小説家志望作家の徒然なるままに。ちょっとラノベ的創作論。part4     舞台設定のリアリズム

さてさて前回はちょっとセンチメンタルな愚痴を書きなぐってしまって反省です。もっと建設的な話題にしなければ。折角読んでくれた読者を感情のどろ沼に引きずり込むようなことは避けたいところ。気を取り直します。

ということで舞台設定について今回は書きなぐりたいと思います。よく聞く設定のリアルさ、作りこみ、という話。ファンタジーなんかだとこれが欠かせないですよね。面倒くさい人は現代学園ラブコメにすればいいと思います。楽なので。そして異世界ものとかオレTUEE系なんかも、らくちんですよね。好き勝手に土台を作ってやりたいほうだいやれるので。

ただ、この異世界ブーム。ハッキリ言ってつまんないですよね。ほとんどの作品が。分析してみると、やっぱり現実との地続き感じゃないでしょうか。スライムのかたはちょっとヒドイ言い方ですが、お子様向けですから、置いておくとして。幼女戦記やリゼロなんかは主人公は現実の地続きで、それ故に社会的な大きな問題をテーマにも扱うことができているんだと思います。テーマが深いから物語に深みが出る。パワハラや引きこもりといったものを直接的ではないけれど、背景として感じる。そういった作品がヒットするから、なんだかんだ読者もバカじゃないことを思い知りますよね。

ということで設定のリアリティというのは何を描きたいのかということに終始するのだと考えます。『灰と幻想のグリムガル』は異世界ですが、若者たちの恋や葛藤、サバイバルを描く舞台として異世界があり、そこを中心に作りこんであります。ゴブリンの生態とかリアルじゃなくてもいいのです。ゴブリンだけをスレイヤーする男じゃないので(笑)
むしろ魔法が万能すぎるとサバイバルにならないので『リアルにするために弱体化』したんではないでしょうか。そんな感じで描きたいものを中心に作りこんでいった世界にリアルがあるのかな、と。それ以外は別にザルでも気にしないのです。

つまり、創作者としては、自分が描きたい世界の舞台として必然性がある設定を用意すると思えばいいのかなと。『86』を例にとりましょう。そこまで調べてないですが、きっと作者は「多脚戦車のカッコいいリアル寄りな戦闘」的なものを描きたくて、ああいった舞台を用意したのでしょう。なので設定は正直アマアマです。でもいいんです。差別や国家のリアルなんてのはこの作品にとっておまけですから。多脚戦車で人間がバンバン死んでも指揮官の主人公は死なない舞台として、リアリティがあればいいんです。戦車で戦う男がカッコよくて、可愛い指揮官がいて、兵士の生活と葛藤と絶望に立ち向かう勇士があれば。それ以外のことなんかどうでもいいのです。

ただ、最初に書きたいテーマから外れ始めると途端に物語がリアリティを失っていく。続編を書くにつれて作品がボロボロになるのはそれが原因でしょう。『86』で突然恋愛なんか描こうとすると、いきなりチープになるだろうね、読んでないけど。だっていつ死ぬかわからない戦場が、ほぼ死なない戦場に変わるからね。死ぬと面白いけど、、、うーん。それでいいのか? そういう意味でも現実寄りの設定が本当は楽チンですね。社会問題がいくらでも転がってますからな。

ここまでつらつらと書きましたが、結局何が問題なのか。どこまで作りこもうと、現実感のまるでないうすっぺらいイチャイチャラブコメなんかが売れたりするから、問題なんですな。これがコメディ要素がしっかりとしてればまだいいのだけれど、、、正直自分にはよくわからない。600円とか金かけて他人のおノロケを見たい人もいるとしか、言いようがない。価値観の相違なんだな、これはきっと。だけど、どう見たって大ヒットした作品ってアニメや映画もだけど、何かしらの地続きなテーマがあってそれを描いた作品が多い気がするけどな。もしくは本当に馬鹿笑いする娯楽がテーマとか。

おっと、また愚痴になっちまう。と、とにかく設定のリアリティってのはテーマを描く舞台としての正しさということが言いたいのさ。学園恋愛なら学園生活のリアル、戦争なら兵士のリアル、リアルを求めるというのは地続き感なのかなーと思ってみたり。長くなりましたが今回はここまで。


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