小説作家志望の思うことを徒然なるままに綴ってみようかと。part2 『若者向け』って。。。
徒然なるままに。再び。案外大人向けっていいのかも、と最近気づいたことを書きたいと思います。ちょっと遠回りな論調ですが、お付き合いいただければ幸いです。
最近、私もいい加減高校生や大学生には、おっさん、おばさん呼ばわりされる年齢だと痛感するようになりました。特に自覚するのが説教臭さがでてしまうこと。これがいけないな、と最近特に思います。
っていうか、苦悩があって、成長があって、という流れが書く側は簡単なんですよ。実際。起承転結で表すと、起で人物と事件の発端、承で主人公の暗い部分掘り下げ、転で主人公失敗して転落、結で解決と主人公の成長。
単調です。いかにも大人が子供に向けて書きましたって感じですよね。我ながらひどいもんです。
youtubeのしくじり先生というチャンネルで『セガ』がゲームセンターに置くゲーム機開発の失敗を語っていたことを紹介させてください。
『女子高生の心はムズイ。何がヒットするかは分からない。そもそも、狙いに行けば行くほどスベる」
という内容が出てきます。その通りだと思いますよね。自分が中学高校生の時も、読書をしててあからさまに中学高校生の悩みを描いて、解決しました。成長です。あるいは悩みのすえにバッドエンド、道は提示。こういうのが好きなんだろ臭。バカにしてんのか、押しつけがましいと思って読んでいました。
だから、二〇〇〇年前後にラノベが超大ヒットした時というのはまさにいちいち成長だなんだ、と描かない娯楽性がウケていたのではないかと感じるんですよね。『ずっこけ三人組』の作者の那須先生は子供がお菓子を食べながらげらげら笑える小説を目指していたそうです。素晴らしい。
確かに、考えてもみれば、子供が少ない小遣いを使って説教されたがるでしょうか。人間的に成長なんて大人の押し付けをうけいれるでしょうか。嫌ですよ、だったら駄菓子でも食いながらゲームするに決まってます。子供どころか大人だって嫌です。小説なんてどんなものも所詮娯楽です。上昇志向が強い人は自己啓発本でも買ってろ、となります。
鬼滅の刃を分析しましょう。ヒットしましたけど、識者や評論家はみんな書いています。「なんでヒットしたのかわからない」と。少なくとも私が思うに、鬼滅は勧善懲悪ですが、主人公は一貫して人間的成長はしません。
ようはあの漫画って出てくる人みんな人格に問題があるから、説教くさくないんですよ。主人公の炭治郎も長男だから~とか、初対面の男の骨折ったり、しっかりイカレてます。鬼だってただ悪いことをするからやっつけるけれど、苦しい過去があったり複雑です(敵ボスは除く)。
漫画業界って私的に大人向けだと思います。コロコロコミックは別として、ジャンプの呪術廻戦もだし、ヒーローアカデミアも。まず前提に戦闘などの娯楽性の追求。ついでに主人公が成長したり恋愛したりもする。説教くさくないんですよ。
ですが、以前ライトノベルの公募に出したときに、講評で『こうするとより主人公の成長が描ける』と書いてありました。
私は『ああ、こりゃ編集が若者ウケを狙いにいってるわ』と思いました。 落選させやがってこの野郎ってわけじゃなく、ライトノベルって分野がそもそも若者ウケを狙いにいくレーベルで、最初から運に頼らざるを得ない商業としての限界があるのだろう、と気づいたのです。
感動の結末だったり、なぞ解きが面白いだとか、大人のほうがむしろわかりやすい。そう思うと最近ではライトノベルを書く手が止まってしまいました。ライト文芸や純文学系を書いてみたりしています。だって、そっちのほうが読み手の感覚がわかりやすいんだもの。ターゲットを絞れるぶんまだ書きやすい。
そんなことを最近ふと感じました。
以下youtubeのリンク張っておきます。数本くらいの動画に別れているので全部見てみてください。ちなみに私はアベマの回し者ではないです。
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