小説家志望作家の徒然なるままに。ちょっとラノベ的創作論。part5     キャラクター小説なるもの

さて、続々行きましょう。パート4が舞台設定だったので、次にキャラ設定について書いていきたいと思います。やっぱり定期的に恥ずかしくなるので、あくまで素人ワナビの駄文だと思ってくださいネ。批判も肯定も自由です。ではでは。

 キャラ設定、私もとても苦手です。どこまで作りこめばいいのか、と日頃思います。ですが、ラノベはキャラクター小説だと言われたりもしますよね。それ以外のレーベルでもキャラクター文庫とかくくって、本屋でワンコーナー作ってあったりします。っていうかキャラクター小説ってなによ、と思わず言ってしまいますよね。編集者よ、いつからそんなに物語が浅くなったよ、といち読者としては訴えそうになりますね。

でもまあ、そう評されるからにはそうなんでしょう。でもそこを突き詰めるとハッキリ言って漫画に絶対負けます。頭おかしいキャラを自然に描くのは漫画の領分です。小説だとそういったキャラばかりだと共感できないとか、言われます。キャラクター小説なのに(笑)

なので、私的にその言葉を解釈すると、『ちょっと奇特なキャラが暴れまわり、通常と異なる変化に普通なやつがドタバタする様子を第三者の視点で描く物語』ということでしょう。その第三者というのが読者なのか、あるいはぴたりとくっついて一人称で語る主人公なのかの二種類。

ツーパターンです。つっまんねーのと思った方、そうです、つまらんのです。いまのラノベ界隈がキャラクター小説なるうすっぺらいものを追求する限りその程度なんですよ。そこで描かれる複雑な人間関係や社会的テーマ、謎、そういったものがない限り「おもしれぇキャラだなぺらぺら」の流し読みで充分の本です。考える必要がないから。

とまあ、キャラクター小説という読者を舐めた言葉はさておき。ここでキャラ設定について述べると、要は都合のいい見た目と思考回路を組み込むってことじゃないでしょうか。利発なくせに、女心は全く分からない。とか。愛より金が好きだとか。ものすごい胡散臭い中国語で語るけど、めちゃくちゃ頭はキレるだとか。単純でいいのだと思います。誕生日とか一番どうでもいいでしょう。焼肉が好きだとか、そんなのはレストランに行ってから後付けすればいいでしょう。

そして思考回路に至る人生経験を後付けする。なぜそういう思考になったのか。でも、それだって過去編をやったとしても思考回路がいまと変わらないパターンだってある。キャラなんて所詮その程度だと思うんですよね。涼宮ハルヒだって一言で書くと行動力がぶっとんでるだけの常識人だし。思いのほか暗い過去もなければ、本当の意味で奇天烈でもない。

初めに考えるより、ざっくばらんなプロットで描きたいテーマに合わせて思考回路を設定して、あとから肉付けすればいいんじゃないかな。コーヒーが好きだとかそういう簡単な設定があれば地の文で描写が細かくなるとは思うけどね。容姿もそう。描写に役立つ程度でいいんじゃない?適当過ぎかな。そんなんだから私はダメなのかもね。罵ってもらって結構です。

っていうかキャラクター小説だとか謳っといて未だに『ゴールデンカムイ』のアシリパさんや死刑囚たちを超える思考回路のキャラなんて見たことないし、『チェーンソーマン』のデンジくんやパワーちゃんを超える尖ったバカも出てこないのが小説です。描いたところで読者はついていけなくなるとか編集に言われるのがオチでしょう。

キャラクター小説なる方向性の大いなる間違いこそが、ラノベの凋落の始まりかもしれませんね。編集者さんよ、いまからでももっと小説という媒体に向き合おうぜ。

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