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最高の部屋

私は、あの部屋が大好きだった。

今でも目を閉じれば鮮明に浮かぶ。
20歳の日の思い出。

じりじりと太陽が照りつける夏の終わり
初めての一人暮らしの始まり

大学寮。
5号棟313号室。
階段を3つ登って、廊下の突き当たりにある。
青い扉を押し開けると、奥に長細い9㎡の小さな部屋。
右にベット、左に机。
正面には、壁いっぱいの窓があって、北向きだけどお日様の光で十分明るい。

生まれて初めての個室。
実家暮らしだった私には、
2つ違いの姉妹が上と下にいて3人部屋だったし、
そこだって他の部屋とは薄い襖で仕切ってあるだけで、
リビングのテレビの音がいつも聞こえた。
そして、洗濯物干しの母の通路だった。

「最高やん」

ところが。
一晩眠って落ち着いた朝
電気をつけた瞬間、急に寂しくなった。
「そこは使わんやろ」ってくらい、隈なく家中の電気をつけて回る母。
「パン転がってますけど」半分眠りながらモグモグする姉。
「髪の毛!!お皿入るって!」こちらもウトウト卵焼きをつまむ妹。
「。。。」新聞片手に牛乳を飲む父。
静かな部屋で椅子に座ってぼーっとしてた。

「なにしにきたんやっけ。」ふと思う。

「遠くに行きたい、大きな世界に飛び出したい」

それだけだった。
来ることだけが目的になってたんだ。

誰もいない部屋。
愛着も湧かなかった。
私にできるのは、とにかく外に出ること。
あまり部屋には帰らなかった。

掃除は苦手だった。
とくにトイレ掃除なんて、大嫌い。

「よし、よし、、、、、よーし。
洗うぞー、今から洗うぞー、えい!」

掃除前のお決まりの掛け声。

ほんと、好きじゃなかった。
古くて音のない辛気臭い部屋なんて。

だけど
がんばって掃除すればするほど、
窓を開いて閉じてってするほど、
築20年以上経ったオンボロの空間が、
そこで暮らす自分が、
愛おしくなっていったんだ。

憧れに理由はいらない。
動く前から立派な理由なんて降ってこないんだから。
動き出したら厳しい現実に怯むかもしれない。
空っぽの自分を情けなく思うかもしれない。
でも、きっと大丈夫。
泥臭く進むうちに気付くだろう。
自分がそこに築いたものに。
理由も世界も全部つくれる。

あの部屋との別れが、心惜しかった。

#はじめて借りたあの部屋

鍋に大きなエビが入っているとき、テンションが上がります。