【第1位】「重度障害者に国会議員が務まるのか」という疑問に、重度障害者の私が答えてみる。
2019年に反響が大きかった有料記事を、今回のみ無料公開してしまおうという年末特別企画。第1位は、れいわ新選組から当選した重度障害者について書いたこちらの記事。公開時にこの記事をご購入くださったみなさん、どうかご容赦ください。
今週4日(木)、参議院議員選挙が公示された。
その中でも毀誉褒貶が激しく、とかく注目度が高いのが山本太郎氏が代表を務める「れいわ新選組」だ。
とりわけ、株式会社アース副社長で難病ALS当事者である舩後靖彦氏、自立ステーションつばさ事務局長で脳性まひの木村英子氏の擁立は、かなり話題となっている。
報道されている状況をみるかぎりでは、お二人ともかなり重度の身体障害があるようだ。舩後氏は2002年から人工呼吸器や胃ろうを取り付け、いまでは歯で噛むとセンサーが反応するパソコンを操作することで周囲とのコミュニケーションを図っている。一方の木村氏は、首から上と右腕が少ししか動かない状態で、現在は文字を書くこともできないという。
これだけの重度障害者が立候補することには、「障害当事者が国政の場にも進出すべきだ」と好意的に捉える声もあれば、「はたして国会議員の務めを果たすことができるのか」とその政治活動を危ぶむ声も聞こえてきます。
たしかに自分で文字を書くこともできない、話すこともできない候補者に、国会議員が務まるのかと疑問に思う方が出てくるのは当然のことだと思います。そこで、彼らと状態は異なるものの、「1種1級」という最重度に位置づけられる障害者である私なりの見解を記してみたいと思います。
ここで、ちょこっとCMです。
2019年、私が最も力を入れて取り組んだ義足プロジェクトが本になりました。その名も『四肢奮迅』(講談社)。
最新テクノロジーを搭載したロボット義足で、仲間たちと歩くことを目指すドキュメンタリー。Amazonレビューでも、かなり好評いただいています。ぜひとも正月休みにでも読んでやってください!
結論から言うと、「務まる」と私は考えます。
そもそも、「重度障害者に国会議員としての務めが果たせるのか」という問いと向き合うならば、私たちは「国会議員の務めとは何か」を定義することから始めなければなりません。
かつては「国会議員を目指した重度障害者」である私ですから、当然、自分自身が立候補を考えるにあたって、「はたして自分に務まるのか」「そもそも国会議員の務めとは何なのか」という問いと徹底的に向き合う必要がありました。
そこで、さまざまな識者や現職の政治家に話を聞き、議論を進めていく中でたどり着いた答えが、たった二つのシンプルなこと。
「意思決定」と「説明責任」。これだけです。
政治とは、さまざまな利益代表者が意見をぶつけ合い、その落とし所を調整していくものです。ですから、どちらの言い分にも理解できるところがあろうとも、最終的に国会議員は「意思決定」を下し、法案に賛成か反対かの票を投じなければなりません。そして、その法案になぜ賛成、もしくは反対したのかを有権者にはっきりと「説明」していく責任が生じます。
逆に言えば、これだけです。この2つさえ可能ならば、私は歩けずとも、字が書けずとも、話すことができずとも、政治家としての務めを果たすことはできると考えます。
「選挙カーに乗れないじゃないか」
「地元の夏祭りを回ることができないだろ」
それってまったく本質的ではないし、本人が選挙で不利になるだけで、「国会議員としての務め」にはなんら影響がありません。さらに言えば、彼らは全国比例での出馬ですから、「地元の夏祭りを回る」という選挙活動をする必要もないでしょう。
「国会議事堂はバリアフリーじゃないだろ」
「自分ひとりで議場に入ることができないじゃないか」
ならば、国会議事堂をバリアフリーにすべきでしょう。もちろん、改修のために税金が使われるという批判の声も上がることが予想されます。しかし、そもそも全国民の代表が集う場所に、物理的に入ることができない人がいるという状況がおかしいとは思いませんか。そうした誤りを改善していくために税金が投じられることに、私は問題を感じません。
「彼らには意思表示をする手段がないじゃないか」
「起立採決や記名投票、押しボタン式投票は可能なのか」
ここは議論の余地があるでしょう。起立採決などの非効率的なシステムは、今すぐにでもやめてしまえばいいだけの話ですが、舩後氏や木村氏のような重度障害者となると、記名投票も、舩後氏に至っては押しボタン式投票も難しいかもしれません。
もし難しいとなれば、当該議員が介助者もしくは代理人にその意思を伝え、代理の人間が記名もしくは押しボタンで当該議員の意思を反映させるという手段になってくるでしょう。
これが可能なのか。代理の人間がみずからの意思を挟み込むことなく、議員の意思を必ず反映させるということを、どのように担保するのか。ここは知恵とテクノロジーを駆使して解決しなければならない壁があるように思いますが、それでも「意思はあるのに、障害によってそれを示せない」ことによって政治の世界から排除されていいとは、私には思えません。
(ちなみに、ここまで書いていて気づきましたが、こうした重度障害者の方々は有権者として投票する際、どうしているのでしょう。やはり介助者などが意思を受けて、代理で投票しているのか……。)
民主主義は、この国の根幹を成す仕組みであるはずです。その意味するところは、一人一人が主権者として、政治に参加することにあります。どんなに重たい障害であってもその権利は奪われるべきものではなく、またどんなにコストをかけてでも、その権利は全力で守っていかなければならないのではないでしょうか。
もちろん、賢明な読者のみなさんには説明の必要もないことと思いますが、この記事は「だから彼らに投票しよう」という呼びかけのために書いたものではありません。
ただ、「なんびとも政治の世界から排除されることがあってはならない」という、ごく当たり前のことを再確認させていただきました。
さて、参院選投票日まで、残すところ二週間強。「選挙カー、うるさいわ」という率直な感想はひとまず脇に置いて、私たちの一票を誰に託すのがベターなのか、まずは候補者たちの声に耳を傾けてみましょう。
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