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どんな状況なら、差別は許されるのか。

先週、こんなツイートを見かけた。

このツイートに、私は深く共感した。私だけでなく、多くの人が共感していた。そこに、私はモヤモヤを感じている——。

私たちは、なぜ歴史を学ぶのだろうか。

人によって答えは違ってくるのかもしれないが、個人的には「過去の過ちを繰り返さないようにするため」だと思っている。では、その意味で私たちは歴史教育に成功していると言えるのだろうか。

これもまったくの私見となるが、いまの歴史の授業は受験のための暗記教育に終始するばかりで、ある事件が起こった年号は覚えていても、その事件が歴史的にどんな意味を帯びていたかにまで思いを馳せられるようなものになっているとは思えない。

だからだろうか。この国が歴史に学び、同じ過ちを避けることに成功しているようには感じられていない。つい先日も、下記の記事でこのように書いたばかりだ。

私自身は、いまの日本をどうしても戦前の日本と重ね合わせてしまっています。どう考えても勝ち目がなかった太平洋戦争。優秀な人材を集めて設立した「総力戦研究所」のシミュレーションでも敗戦が予測されていたにもかかわらず、「雰囲気」や「忖度」を羅針盤に、誰に責任があるのかもわからないまま戦争へと突入した当時の状況は、いまの日本とかなり近しいものがあるのではないかと思っています。

各国がワクチンを含めた対応で日常を取り戻しつつある中、日本ではいまだ緊急事態宣言で多くの人々が大切なものを奪われている。それでもオリンピック開催が既定路線として進んでいくさまに、「責任の所在が曖昧なまま」「科学的検証を無視して」「“空気”で進んでいく」点など、まさに80年前の愚かな歴史をなぞっているように見えてしまうのだ。

自国の歴史から学ばなければならないのは当然のことだが、もちろん他国の歴史にも学ぶべきことが多く眠っている。この100年の歴史を振り返ったとき、世界的に最も恥ずべき過ちのひとつとしてはホロコーストが挙げられるだろう。ナチスによるユダヤ人の迫害、そして大量虐殺。研究によって数字の違いはあれど、じつに600万人近い犠牲者が尊い命を奪われている。

では、私たちがこのような愚行から学ぶべきことは何か。

「人種差別を行ってはならない」
「虐殺など許してはならない」

誰もが深く胸に刻むこれらの教訓だけで話を終えてようとしてしまうのであれば、あまりに表層的だとの謗りを免れない。私はもう少し「私たちの身の回りのこと」に目を向けてみたいと思う。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
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