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被災地で目の当たりにした「差別」。

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まもなく東日本大震災から10年が経過する。あらためて犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、いまだ被災の影響を被る方々にお見舞いを申し上げる。

私が初めて被災地を訪れたのは、震災発生から1ヶ月半が経った頃だった。体の不自由な私が現地を訪れたところで、ボランティアなどできるはずもなく、かえってご迷惑をおかけするだけだろうと、しばらくは訪問を控えていた。だが、実際に現地でボランティア活動に従事してきた女優・水野美紀さんの言葉を聞き、心を動かされた。

「女性の私だって、どれだけ物理的な手伝いができたかわからない。でも、みなさん『何より来てくれたことがうれしい』と言ってくださった。『踊る大捜査線、見てました』とか言ってもらって。あのときほど、あの作品に出ててよかったと思ったことはなかったなあ」

実際に現地を訪れると、まだ震災から1ヶ月半しか経っていないにもかかわらず、すでに失意の底から立ち上がり、未来に向かって動き出すリーダーがあちこちに登場していることに驚かされた。その一人が、石巻市で配管工を営む黒澤健一さんだった。

黒澤さんとの出会いについては、ちょうど一年前の記事で書いたので割愛するが、自宅と店舗をすべて津波に流され、ご自身も松の木によじ登り、そこで一晩を過ごすことで九死に一生を得たという黒澤さんは、変わり果ててしまった自宅があったあたりに「がんばろう!石巻」という看板を立てた。

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その後も地域のリーダーとして復興にご尽力されてきた黒澤さんとのご縁はずっと続いていて、もうすぐ10年のお付き合いになるのかと思うと感慨深いものがある。

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初めて訪れた際には瓦礫の山だった地域にも、数年前には立派な公営住宅が建てられた。震災直後の愕然とするような光景がいまでも脳裏に焼きついて離れないだけに、現地の人間でもないのに思わず涙してしまった。

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もうひとつ、現地を取材していて胸を締めつけられることがあった。それは震災直後、福島県郡山市を訪れたときのことだった。

震災当日、私は、バンドの仲間たちと池袋のスタジオにいた。ひとまず建物の外に退避することになったが、エレベーターは止まっている。仲間たちが重さ100kgある電動車いすを抱えて運び出してくれた。

エレベーターが止まっていれば自宅にも帰れない。計画停電になれば車いすを充電することもできず、家から一歩も出かけられなくなる。震度4クラスの余震が来るたび、家具が倒れてきてそのまま逃げ出せなくなるのではないかという恐怖に怯えていた。

普段はあまり障害者であるという実感を持つことなく生活していた私だが、あらためて自分が障害者であること、そしてその“弱さ”を突きつけられた。東京で暮らす私でさえこのような状況なのだから、被災地で暮らす障害者の方々はどれほどの苦境に立たされているのだろうと想像しては、胸を締めつけられた。

だから、私は郡山市に到着すると、まっすぐに「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」(以下、支援センター)を訪れた。被災地において、障害当事者にはどのような困難があり、それを解決していくにはどのような手段があるのかを考えておきたかったのだ。支援センターには日常生活に介助を必要とする重度障害者が3名いて、インタビューに答えてくださった。

最年長の橋本広芳さんは、リハビリを兼ねた気功教室に参加中でビルの3階にいたところ、大きな揺れに襲われた。同じフロアでビジネス研修を受けていた若者たちに、自身と車椅子を別々に担がれ、無事に避難することができたという。

「階段で降ろしてもらってるときにも、大きな揺れが何度もあって。そのたびに、『ぎゃあ、助けて〜』って。私がいちばん長生きなのにね。わっはっは」

池袋でまったく同じ経験をしていた私には、とてもその話を笑い飛ばすことなどできなかった。

脳性麻痺のために車いす生活を送る秋元恵子さんは、地域の避難所に指定されていた公民館ではなく、自宅から離れた「郡山市障害者福祉センター」に避難していた。公民館にバリアフリー設備がなく、トイレなどにも行けなくなってしまうためだ。夫と二人での避難を余儀なくされたが、福祉センターの収容人数には限りがあるため、高校生と中学生の2人の娘は、会津にある実家に預けなければならなかったという。

母親として最も子どもたちの心のケアをしてあげたいと思うときに、それが物理的な制限によってすることができなかった。「公」民館と言いながら、そこが障害者を受け入れることのできない施設となっていたために。

「やっぱり、悔しい……」

秋元さんの表情に、私は何ともいたたまれない気持ちになった。

先月の森発言から、「差別」ということについて考えさせられる機会が多くなったように思う。下記の動画を見てほしいのだが、私は差別を「正当な理由なく、特定の人々を低く扱うこと」と定義している。

だとすれば、これは立派な差別ではないだろうか。震災時に避難場所として指定されている場所が、車いすユーザーを受け入れられないなんて差別ではないだろうか。

あれから10年。こうした許しがたい状況は、どこまで変わったのだろうか。それとも変わっていないのだろうか。次に大きな震災がどの地域に訪れるかなど、誰にもわからない。そうしたなかで私たちにできることは、みずからが住む地域の避難所が「すべての人が利用できる場所」になっているかを確認し、そうでなければ声を上げていくことだ。

聴覚障害者に、視覚障害者に、災害時の情報は届いているのか。留学生など日本語を理解できていない人々の安全も、しっかり確保できているのか。いざ震災が起こってしまえば人々はパニックに陥り、弱者と呼ばれる人々への配慮は後回しにされる。だからこそ、こうした平常時から点検を続けていく必要がある。それこそが、東日本大震災から私たちが学ばなければならない教訓のひとつではないだろうか。

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