病気になるとはどのようなことか〜<医>の概念工学〜(1):がんと言われたとき何を考えるか

【noteを始めるにあたって】


こんにちは
仙台市で内科開業医をしています小田倉と申します。
医者になって35年目になります。これまで自分の専門知識の向上を兼ねて「心房細動な日々」という私的ブログを10年以上ほそぼそと書いてきました。
さて,そろそろ医師人生の終盤に入り,また私自身もやや大きな病気を経験し,病気とは,健康とは,医療とは,などということを根源から考えたいと思うようになりました。

そうこうしているうちに,印象的な2冊の本に出会いました。一冊目は哲学者・戸田山和久さんの「哲学入門」です。この本はそれまで私がやや慣れ親しんできた「哲学」とは全く異なる視点で書かれており,当時の私にとっては驚嘆すべき本でした。

もう一冊は,最近出版された医療人類学者・磯野真穂さんの「他者と生きる リスク・病・死をめぐる人類学」です。そこで私の専門とする病気(心房細動)に関してある重要な指摘を発見しました。

これら2冊の本に刺激を受け,この先あまり長いとは思われない人生の足跡として,今考えていることをまとめておきたいという強い衝動に駆られました。

今考えたいこと。
それははじめに述べたように「病気になるということはどのようなことなのか」をよくよく考えることです。以前から哲学や思想に比較的興味がありましたが,50代に2度の大きな病気を経験してからは,病者であること,病気になることはどのようなことかという視点をが常に頭から離れなくなりました。

さて,その書き方はどうするのか。単なる体験談ではあまり面白くないなあ。そう考えたとき,ある有力な方法が先述の「哲学入門」に記されていました。それが「概念工学」です。

いろんな人が指摘していますが,人間が他の動物と違う大きな点は「いまここ」にないことを考える能力です。戸田山さんの言うように「概念」とは「目に見えないが幸福に大きく関係する人工物」(戸田山和久著 <概念工学>宣言)であり,たとえば,病気になったときに感じる「不条理」「不安」といったものも「概念」と言っていいかもしれません。あるいは,「リスク」とか「意思決定」とか。

そういったことを,単なる知的なゲームとしてでなく,医療者として,現場に実装できる形で,哲学の力を借りて捉え直したい。そうした「工学」=エンジニアリングとして書こうとしたのが本テキストです。もとより哲学とか人文科学とかは単なる趣味の域ですし,的外れのことを述べるかもしれません。そうお断りした上で,それでもなるべく医療現場に役立つように,現場でお遭いしてきた患者さんのことを,取り上げながらすこしずつ考えていこうと思います。

【体の不調を感じたとき】


今回は,病気になったとき,病気と言われたときにまず何を感じるか,について考えます。

私たちはからだに変調を感じたとき,まずどんなことを思うでしょうか?
たとえば,私は今朝起きて散歩をしたら,歩きはじめのときなんとなく左足首が痛かったのですが,その時まっ先に思ったのは,「なぜ左足首が痛くなったのか」ということです。昨日歩きすぎたからか?最近急に散歩をし始めたからか?新しい靴が合わなかったのか?やっぱり年齢のせいなのか?そういったからだの内と外のさまざまな要因について,可能性をあれこれ考えるわけです。

そして,こうした原因探しの欲求は,同時に「昨日散歩をしすぎなければこうならなかった」「もっと足に合う靴を選んでおけばよかった」などといった後悔と自責の念に同時変換されます。

原因探しとほぼ同時にやってくるのが,「この先どうなってしまうのだろう」という「不安」です。もっと悪くなるのでは,生活に支障をきたすのでは,最悪入院まで行くのでは、までさまざまなレベルを想定してしまいます。

現在からみて「過去」であるところの原因探しと「未来」にたいする不安。病気とは現在を起点にして,過去と未来に同時にアプローチせざるを得ない状況になることである。とも言えます。

このことを実例を上げて考えてみます。今回の実例は「私」です。

【胸腺がんの宣告】


2014年椎骨動脈解離/小脳梗塞で入院したことは別なブログに書きましたが,実は2016年に胸腺がんの手術を受け長らく療養いたしました。
2016年1月、健康診断的に自院で施行した胸部写真に、心臓の影とは別に右心房の脇のあたりに膨らんだ異常な影が見つかりました。胸部CTで縦隔(左右の肺に囲まれた空間)腫瘍の診断でしたが直径5cmと大きかったため,同年3月8日に開胸による摘出手術を受けました。主治医からも摘出した腫瘍は境界がはっきりしていて周りへの浸潤も明らかでなく,良性の胸腺腫だろうとおっしゃっられたので安心していました。

ところが,手術後3週間目に主治医から電話があり「胸腺がんでした」とのことでした。主治医の言葉が、遠くにある音質の悪いラジオから聞こえてくるかのようでした。まずとにかくいろいろ情報をネットなどで仕入れたました。あくまで冷静にしていよう,そう自分に言い聞かせていたその夜。。。全く思いもかけず心の底から涙があふれてきました。いま,家族と別れたくない,まだまだ皆と一緒に楽しい時間を過ごしたい。そして自分の存在がなくなるのではという震え上がるような恐怖感。それらの感情がせきを切って身体全体から一気に溢れ出きました(がんを宣告されたときの「感情」についてはまた別に書きたいと思います)。

【原因探しの旅】


良性腫瘍だとばかり思っていたところに、突然のがん宣告。
すぐに原因探しの旅が始まりました。若い頃カテーテル治療でたくさん放射線を浴びたからか?父親ががんだったからか?食品添加物の多いものを摂っていたからか?ストレスの多い生活が続いたからか?医学的な根拠だけでなく、迷信めいたものまでさまざまな要因を考えるわけです。それなりの理屈を考え一旦は納得した気になりますが,また新たな疑問が湧いてくる。その繰り返しです。

一応医学的に言うと,現在多くの病気が,ある一つの原因により発症するのではなく,多くの原因が複雑に絡み合って成立しているという「多因子病因論」から説明されています。がんの場合も同様で,一つの原因で説明がつくことはないのが医学的な常識であり,肝に銘じているつもりです。しかしそれでもなお、なにがしかのことに説明を求めたい,これが原因だよと誰かが言ってくれたほうが納得できる,いわゆる原因と結果の物語を求めたくなるのです。

私の場合,実はがんが発見される前の年の2015年は,毎年受けている人間ドックを受けなかったのです。なぜ前の年に検査を受けていなかったのか。いろいろ考えを巡らせました。その前の年に脳梗塞(椎骨動脈解離)で入院し胸部写真を含め一通りの検査をしていたこともあります。また人間ドックは毎年2月に受けるのですが,その年は正月にひいたかぜが長引いてついつい申し込み時期が過ぎてしまったというのもありました。しかし,では前の年に脳梗塞を起こしたのはどうしてだったのか,あのとき首をひねるようなことをしたからなのか,あるいは解剖学的にもともと解離しやすい血管だったからなのか。また,かぜが長引いたのは,前々からアレルギー性鼻炎があって夜間口呼吸になったりするからなのか,加湿器を炊いていなかったからなのか,加湿器を新しいのにしなかったのはどうしてなのか。。。。という具合に前へ前へと,原因を求めて過去を遡及してしまうのです。明らかな原因などわかるはずもないのに。。。

【聞こえてくる2つの声】


ここに来て,相前後して2つの内なる声が頭の中に響いてくるのです。
1つは,「なぜ去年人間ドックを受けなかったのだろう」「受けていればもっと早く見つかって進行していなかったのではないか」。。。「あのときああすればよかった」あるいは「そうしないこともできたはずだ」。。
一般的には後悔という範疇に入る感情ですが,おそらくこの感情は,病気に限らず人間のあらゆる過去の行為について,誰しもが抱くものだと考えられます。「ラーメンを注文したけどやっぱりカレーにすればよかった」というレベルからがんの宣告に至るまで,日々過去の行為や出来事に対し後悔の念を抱いては,だんだん忘れていく。しかしときにふと「そうすることもできたはずだ」という内なる声が湧いてくる。内なる声は,その出来事のインパクトが大きいほど,いつまでも響いて消えることはありません。忘れた頃に突然日常に入り込んできたりします。「なぜ去年検診を受けなかったのだろう」と。

毎日こうした後悔の念に苛まれていると、もう一つ抗いえない声が聞こえてきます。なんで自分はこんなに苦しまなければならないのだろう、たとえ1年くらい検診を受けなかったからといって、がんにならない人はたくさんいる。この年齢でがんになるのはとても早い気がする、なぜ「今、この自分が」がんになってしまったのだろう。この声は先述の原因を探る問いおよりもより深いところから発せられる、いわゆる「不条理」の感覚です。

「後悔」と「不条理」。この2つの声は、原因探しの旅よりももっと根源的な、こころの底から湧き上がりたまっていく魂の叫び声のようなものに思われます。がんと言われたとき、こうしたこころの叫び声にどう向かっていけば、あるいは受け止めていけばいいのでしょうか?

【決定論と自由意志】


まず不条理感にどう向かい合えば良いのか、私の場合を振り返ってみます。
先述の原因探しの旅をどんどん遡ると「なぜ検診を受けなかったのか」から始まって「そもそもあのとき検査を受けるという選択肢はありえたのか」となり、さらに前に述べたように過去へ過去へ遡っていき「自分がいまここでがんになることは,もうすでにずっと以前から,あるいはひょっとすると宇宙開闢以来から決まっていたことなのではないか」ともうひとつ別な考えが湧いてきます。
こうした,事物や人間の思考,行動は自然法則によって決定されているという主張は「決定論」と呼ばれています。それに対して,私たちは「自由意志」をもち,それに基づいて行為していると当然のことながら思っています。この「決定論と自由意思」は哲学の世界では定番の,ずっと以前からあるテーマなのです。

決定論もいろいろな定義がありますが,ここでは大まかに言って,「ある特定の時点での世界の状態と自然法則によって世界のその後の状態は一つに決まる」というものと考えます。世界は必然的である,と言ってもいいかもしれません。決定論は,実は私たち医師にとって大変なじみの深いものの見方です。医師は医学部6年間の教育のみならず,目の前の患者さんの「病気」を一つの自然的な「事物」として捉え,生物学的なメカニズムと科学的根拠に基づいて診断治療を考える思考の癖がついています(そうでないケースもありますが)。

たとえ自分の身体であっても,一歩引いて客観的な視点から病気を医学的に考える。わたしの場合であれば,50代なかばというのはがん発症年齢としては決してまれではなく,父親の死因もがんであり,科学的に見て十分想定できます。たとえすべてが説明できなくても,がんの発症は科学的な法則性を持った特定のメカニズムで成り立っていると考えるわけです。そうしたメカニズム論を,からだの外の要因にまで広げていけば,たとえば昨年人間ドックを受けなかったそのときの「気持ち」も,脳の中の特定のホルモンや神経活動が複雑に絡み合って成立している。そこまで物質的に考えなくても、人間の行為も自然的な法則性や因果性をベースにしていて,それらが時系列的に連鎖することでがんが発生する。未だ不明な点もあるが人間が知り得るかどうかのことでしかなく,自然は人間の認識など関係ない。曖昧さは一切含まない物質の連鎖があるだけなのだ。

こうした決定論は,「病気」に対して客観的で冷めた視点を与えてくれます。全ては決定したこととしてしまえば,検診を受けなかったことも,がんになってしまったことも全ては「以前から決まっていたこと」として考えることができる。一つのなぐさめ。なぐさめという言葉が陳腐であれば,病者にとって一定の「納得」を得ることができます。一切が決定されたものであれば,検診を受けなかったことも,不摂生な生活もその責任を問われなくて済む。決定論の世界には「自由意志」が入り込む余地がありません。人間の責任とは自由意志と裏合わせのものであり,決定論を採用する以上は検診を受けなかったことや不摂生は免責される。決定論にはそんな誘惑があります。

【運命論の誘惑】


しかしながら、決定論を採用していっときは安心したとしても、すぐに反論があるかもしれません。すべてが決まっていると考えてもあきらめがつくものではない、依然としてがんになった自分はここにいるのだ、そうは言ってもなぜ「今、この私」ががんになることが決まっているのか。
ここにきて、そこには人間の意志や予測を超えたところからやってくる「ままならない力」のようなものが働いているのではないか、とも考えたくなります。これは従来から「運命」と捉えられるものでしょう。がんという異常事態に対し、そうした顛末を「動かせないしかた」で定めてしまう仕組みがあるのではないか。もうこれは自分にとっての「運命」でしかないのだ。そう考えたくもなるでしょう。

先の決定論と違うところは、決定論は自然法則に基づいて淡々と出来事が連なっていくのに対し、運命論は、将来の運命があらかじめ決まっていて、それのためになんらかの力が働くという「目的」のようなもの、あるいは意志的なものを想定している点です。古来、人間が神(あるいは悪魔)と呼んだものもそれにあたるのかもしれません。
決定論をより突き詰めた形で、私たちの努力も機転も及ばない「意志的な何か」にその原因を求めるのでれば、自責の念に駆られることもなく、がんになったことも受け入れられる。私自身そうも考えることで、一時の安らぎを覚えたことは事実です。

【後悔するとはどういうことなのか】


全ては決定されたこと、あるいは運命だと考える。それは病気への不条理感を少しでも和らげ、自責の念を軽減させるものかもしれません。しかし、とは言っても、いつまでたっても「あのとき検診を受けていれば」「もっとストレスのない生活を送っていれば」「薬をきちんと飲んでいれば」・・・という後悔の念を全く消し去ることはできないように思われます。
「そうする(そうしない)こともできたはずだ」これはいわゆる「他行為可能性」と呼ばれていて、これがゆえに人間は自由なのだとされる、いわば自由の重要な成立条件として指摘されるものです。あのときは(自分が選択した)Aではなく、Bという行為もできたはずである、その思いはそのとき私が「自由であった」ことと関連があるかもしれません。

ここで哲学者、中島義道さんの「後悔と自責の哲学を取り上げることにします。中島さんはこの著書で、後悔と自由のあり方について非常に独特で重要な指摘をしています。通常私たちが「あの時はAもBもできたはずだ(その上でAを選んだ)」と言うときそこには、「私たちはどちらも選ぶことができたという意味で自由であり、ゆえに後悔の念も生じる」、そう考えることが多いでしょう。しかし中島さんは、

全く逆なのです、私はあのとき「Aを選ばないこともできたはずだ」という信念を抱くからこそ、私はAを自由に選んだと了解しいるのです。つまり、自由とは、みずから実現したある 過去の意図的行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」(他行為可能性)という信念とともに生じてくる。この信念は根源的であり、ほかの何ものにも由来するものではない。そして、本書では「そうしないこともできたはずだ」という信念をー日常の使い方より広い意味を含んでいることを承知のうえでー「後悔」と呼びたいのです。

「後悔と自責の哲学」P11

こう述べるのです。中島さんは、人間は本来後悔する存在でありそれが故に「自由な」存在なのである、後悔する限りにおいて自らを自由と認めざるをえない、このように通常とは反対の考え方を提示しています。「もしあのときああしていたら」とくりかえしても答えは出ない。このある意味救いの無い状態こそが人間の真実の姿である。そう述べています。

後悔するということこそがデフォルトである。そしてそこから目を背けないことに人間の誠実さを見出す。後悔することを悪いことのように考え、否定的な感情を持って後悔にむせぶ私にとって、この指摘は目を見張るものがありました。後悔は泣いたり、笑ったり、怒ったりするのと同様に人間の根源的な精神活動なんだから、とことん後悔すればいい。ある意味で開きなおりの思想を私たちに与えてくれます。

【病気になるとはどのようなことか〜視点の行き来】


以上、後悔と不条理感をどう受け止めたらよいのか。私の病い経験に則して考えてきました。これまで述べてきた「決定論」も「運命論」も「後悔デフォルト」も、がんになった自分を、あるいは後悔にむせぶ自分を一歩引いた場所から眺め、より客観的に、冷静に考えることで対処する一種の「工学」として見てきたつもりです。
しかしながら、当然こうした見方だけで病気になったことの意味が腑に落ちるわけではありません。そんなことは言ってもやはり苦しいものは苦しい、当然そうなってくるででしょう。どうしてでしょう。

これまでの論議は今述べたように、病気あるいは病気になった自分を「外から」一歩離れて眺める,いわば三人称的な視点でした。一方、病気になった「いまのこの私」はその内側からしか眺められない一人称的な存在に他なりません。他ならぬ自分であるという「当事者性」は病者として常に抱えているものです。そしてそれは今病気になって「痛い」あるいは「苦しい」身体というものがその基盤にあります。「当事者性」と「身体性」。この2つの絶対的に強固な視点によって病者の意識は成り立っています。これは容易には突き崩せません。

とはいえ、これまで見てきたような三人称的視点も同時に、私たちは持つことができる。そのことも否定しえないのです。哲学者・トマス・ネーゲルの言うように、人間は どんな状況であっても、人生に真剣に(一人称的に)向かい合うのと同時にそこから一歩引いてメタ的に(三人称的に)自分を眺めることができる存在(トマス・ネーゲル「コウモリであるとかどのようなことか」:P22-23)です。

病気になるということは、こうした、自分を内側から眺めて苦しみ後悔するサイドと、そこから一歩引いて外から自分を眺めるサイドのどちらか一方だけに立つのではない,そうではなくその間を行き来すること。つまり,内側から病いに苦しみ喘ぎながらも、その苦しい自分を一旦仮固定して外から考える、その揺らぎそのものである、ということができるかもしれません。

【おわりに】


以上、がんになったときいろいろ考えたことをまとめてみました。しかしながら依然として上記の一人称的視点と三人称的視点の間のギャップ問題が残ります。そこを埋めるものは何か。予想通りそれは二人称的な視点かもしれません。

実際には,がんになった私は、次の段階として治療法を選ばなければならなかったのですが、次回はこの「選択する」ということを通して、病気になるとはどのようなことか考えたいと思います。


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