ピカソに恋をした。
こんにちは、はるかです^^
先日お部屋に飾る絵を増やしたくて、pinterestを漁ってました。
その時にふと ピカソ が頭をよぎって、検索したら、イラストタッチの絵が出てきました。
え、すんごくかわいい。
わたしの知ってるピカソはこっち☟だったので、プチ衝撃。
ここ数年、美術館や作品展に積極的に足を運んでるけど、正直ぜんっぜん詳しくない。
なんでこの絵が評価されてるんだろう?って口にしちゃうこともよくある。批判してる訳ではなく、今のわたしにはまだ分からないって自分の青さに気づく。10年後は感じるものが変わってるかなぁ?って未来のわたしへの課題を得る。
これが面白くて、自分探しのために芸術に触れている。
20歳の時にオルセー美術館、ルーブル美術館に行ったけど、ナポレオンの絵の大きさに心底驚いたこと、モナリザの絵の小ささ、そして遠さに笑ってしまったこと(行ったことある人は分かると思う。笑)美術の教科書に載ってる絵を見つけては、あった〜!!!って喜んでた記憶しかない。笑
簡単には行けない場所だから、そんな楽しみ方はもったいないことしたなぁって思うけど、あの時はmaxで楽しんでいたし、まぁそれはそれでよかったのかな◎
話は ピカソ に戻しますが、
イラストタッチの絵を見つけた時、わたしは何もピカソのこと知らないのに、興味をなくしてたなぁ〜って気づいた。
というのも、ピカソの絵を初めて見た時、奇妙な絵を描く人だなぁって思ってちょっと怖くて、それ以上の感情が生まれなかった。何歳の時だろう?おそらく10年は経ってる。
こうやって10年経った今、またピカソに出会って、ちょっと調べてみたら、数々の名言に痺れ、すっかりトリコになってしまった。
自分には過去も未来もない。
ただ現在を生きようが為に
絵を描くのである。
うぅ、かっこいい〜〜!!
丁度昨日、尊敬しているヨガの先生ふたりがインスタライブしてたんだけど、
"人間は時間の流れに支配されると動けなくなる。だから、今を生きるために行動する。"
とおっしゃってました。
行動するということは、今を生きること
まさにピカソが言ってることと同じだなぁ〜って思った。
色んなことがあって、わたしはヨガに行き着いた。わたしの場合 "今"に意識を向けるために、ヨガをしている。
過去や未来の支配から自分を自由にするため。
決して簡単なことではないけど、まずは意識的に自分に集中する時間を確保することが大事なんだと思ってます。
ピカソが芸術なら、わたしはヨガ。
ツールは違っても、行き着くところは一緒。
現代はとても便利で、SNSもどんどん発達し、情報はすぐに手に入る。
だからと言って、知った気になってしまうのは違うから、やっぱり実践するしかないよね。
先人たちがたくさんの知恵を残してくれてるし、それらは生きるためのヒントだから、いい意味で疑って自分のものにしていきたい。
特に昔の人たちは、誰がなにをやってるのか、なにを得たのかを聞かないとわからない世界で生きていたからこそ、自分たちでその領域に達することができている。生きることを極めてるように感じて、とても感動する。
太陽を黄色い点に変えてしまう描きもいれば、
黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる。
私は対象を見えるようにではなく、
私が思うように描くのだ。
このふたつの名言を聞くと、絵とかよくわからないからって芸術から遠ざかってた時期を後悔する。
そもそも、理解しようとすることがナンセンスだね。
ふたつ目の言葉なんて、極端に言えば本来ミドリのものをピンクに書いてるかもしれないし、イヌをウサギに書いてるかもしれない。
本当のことはピカソに聞かないとわからないし、もしかしたらピカソ自身もわからないかもしれない。
その時の感情で対象になるものの表現はどんどん変わる。魂で書くってそういうことなのかもしれない。
すごく自由で素敵だし、本来それくらい自由であるべきなんだ。
だから、受け取る側も自由でいい*
作品を見て何を感じるか、なにを思うか、が大事なんだと思う。
10年前のわたしはピカソの絵を怖いって思ってピカソへの興味も一瞬にして消えたけど、10年経った今、最高に魅力的だと感じ、ピカソへ興味を持ち、恋に落ちた。
自分で自分の可能性を潰しちゃいけないし、わたしもずっとそこにいるわけじゃないから、いつだって新しい目で世界を見ていきたい。
縁あるものとは、何度だって出会うはずだから。
コロナが終息したら、ピカソに会いに行く。
両手広げて待っててくれてるといいな。
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