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うんこを漏らすとテンションがキマる

修論のことを考えるのが一番つらかったのは夏の頃だった。
テーマを決め、目次を仮決定して、アウトラインを作る段階。すなわち0から1を生み出す段階である。


前回書いたように、僕はここでつまずいた。
周りの同級生は1を10に100にしようと必死に頑張っているのに、僕は今でも0のままだ。



つらかった夏の頃、ゼミで修論の中間報告をする前日、研究のダメっぷりを教授にひたすら批判される夢を見た。
「こんなんじゃ間に合うわけないだろ!!」
「先行研究も全然読んでないんじゃないの!?」
「なんで大学院に進んじゃったかなあ!!」
とか何とか、アカデミック・ハラスメント気味に罵倒された気がする(現実ではとても優しい先生です)。


半泣きで目が覚め、布団を出たのはようやく昼のことだった。
のそのそと這い出し、カップラーメンに湯を注ぎ、屁の予感がしたので軽くふんばると、括約筋に裏切られた音が聞こえた。ぶじゅじゅじゅ、と水気のある音だった。

ノー便意の不意を突かれた僕は、「ぁ」とか細い声を漏らした。お気に入りだった白い七分丈のパンツが黄色く染まる。


不思議なことに、まず感じたのは「ああ、俺はおかしくなってしまった。これで休む言い訳ができる」という安堵の気持ちだった。
何というか、忌引みたいなものだと思ったのだ。僕は社会的に一度死んだのだから。

しかし、さらに不思議なことだが、たちまち逆に「うんこを漏らしたんだからこうしちゃいられねえっっ!!!!!」と気分が高揚してくるのだ。
脳内麻薬がぶじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅ、と染み出して、ニヤニヤしながらうんこパンツを洗う。躁状態、うんこハイである。



聞いた話では、スカトロプレイでもうんこハイは起こることがあるらしい。
うんこを口の中に入れ、「これは食い物じゃない!!!危険だ!!!!」という脳の信号を無理やり無視して飲み込むと、バッチバチのギャリンギャリンにキマるのだそうだ。



本当のことを言うと、高校2年生のときにもうんこを漏らしている。

吹奏楽部の部長である重圧に押しつぶされそうになっていたときだ。
誰もいない早朝の楽器庫兼部室で、つらい、つらい、つらい、とうじうじしながら、屁をここうと片尻を上げたら、うさぎのうんこみたいなのが、のっ、と顔を出した。やはり、便意を司る脳の部分がストレスでがちゃがちゃになっていたのだろう。


このときも、「うんこ漏らしたことを誰かに言いたい!!!!!!」といううんこハイに陥った。この感覚は、糞漏(ふんろう)界隈ではあるあるなのだと思う。

しかし僕は、すぐには言わなかった。冷静と情熱のあいだで狂っていた。高3の定期演奏会が終わって数日後の、引退式という晴れ舞台をわざわざ待ってこれを告白したのだ。

目の前には、部長からのありがたい感動的なメッセージが聞けるものだと思っている同輩・後輩たち。
僕が「ここに懺悔します。実は、部室でうんこを漏らしました。」と告白すると、キンッ……、と2秒ほど場が静寂に包まれた。
遅れて、爆笑とも悲鳴ともつかない叫び声が響いた。僕らの音楽室に、良い音響で響いた。

そのあと顧問の先生に挨拶に行くと、「まあ、君は東大に受かると思うよ。これまで受かった生徒も、みんな変な性癖をもっていた」と温かい言葉をかけていただいた。別にスカトロ趣味でうんこしたわけではないが、確かに先生の言うとおりだった。


人は強いな、と思う。
ダウナー方向に頭がおかしくなってしまったら、脱糞して、アッパー方向にビャンッと舵を切ってバランスを取るのだろう。そういう人体の不思議が備わっているのである。

うんこを漏らした人間のほうが、強い。



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