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研究日誌の効用[2020/7/11の日記]


・「日記」と題しているのに、前回の更新から約1か月空いてしまった。

・というか、「日記」と題してはいるけれども、noteを毎日更新するつもりは毛頭ない。何でもいいからアウトプットの回数は増やしたいな、と思ったときに、クオリティを担保できる筆力はないので、「日記」と書いておけば読む側の内容への期待が下がるだろうという打算でしかない。「日記」なのだから、オモシロいことを書く必要は全くない。

・はずなのだが、まあ世の中そんな単純ではない。

・世に公開している以上、他人の目を気にしていないというのは真っ赤な嘘で、頭が良い人だと思われたいとか、ウケたいとか、もっと些細でもいいが、とにかく人の反応が欲しいという下心なしに人は文章なんて公開しない。


・実は……ともったいぶる話でもないが、誰にも公開していない日記をEvernoteにしたためて、今日で882日目になる。もっというと、週ごと・月ごと・年ごとに目標を設定し、KPT(Keep Problem Try)に沿って反省している。さらにいえば、IFTTTを使って、Twitterアカウント3つ分のツイートログもすべてEvernoteに記録されている(「Twilog」も併用しているが、鍵垢には使用できないのでそういうことをしている)。

・研究日誌は、すこぶる精神衛生に良い。何に書いたっていいと思うが、Evernoteに書き溜めておくと、単に語句検索しやすいというだけでなく、他のノートブックも同時に検索範囲に入れられるので、セレンディピティが起きやすいんじゃないかと思う。アプリ内リンクが貼れるのもいい。


・始めたのは、2018年2月13日のようだ。この日の日記には「睡眠薬を飲んでまで生活リズムを直している、という緊張感がなくなってきているということをnoteに書いた。」とある。この記事だ。要するに、修論の鬱っぽさのピークを超えて、さあ1年かけて修論を形にしなければ、と重い腰を上げ始めた頃である。

・日記をつけ始めたきっかけは明確ではないが、ウド・クカーツ『質的テキスト分析法』を読んだところ、「質的研究者は日記でも何でもいいからとにかく文章を書き溜めろ」と書いてあって、そういうものか、と思ったから……と記憶していたのだが、この本の発売日は2018年3月5日だ。おかしいな。

・いま日記を検索したところ、『質的テキスト分析法』を読み終えたのは2018年4月15日のことである。うむ、こういうときに便利なのだ。

・となると、Twitterで会社勤めの知り合いが「今日の日誌には~~~と書いた」みたいなツイートをしていて、なるほど、会社に勤めていると日誌を書いて上に報告しないといけないのだな、と思ったのがきっかけだった気がする。大学院生も「仕事」のように研究を進めないといけないよな、と思ったので、研究日誌をつけはじめた。のかな。

・あるいは、初日の日記に「眠れないので『死にたい夜にかぎって』を読んだ」と書いているので、これがきっかけだったかもしれない。確か、彼女が毎日断薬を頑張っているので、自分も毎日原稿を書くことにした……というエピソードがあって、「俺も頑張らなきゃ」と思ったような。

・まあ、このうちのどれか1つが真実のきっかけだったというものではなく、それぞれがまとまって一つの流れになって、私の言葉のダムを決壊させたのかもしれない。


・ところで、僕は小学校低学年のころから、母親が読んでいた育児漫画を自分も読んでいた。嫌な子どもだな。

・その中に、しらいしあい『現代幼児の基礎知識』という漫画があった。漫画は育休するつもりだったが、育児の合間は暇だし、わが子が大きくなったときに読んでくれたら嬉しいなと思って育児エッセイ漫画を描き始めたら、「誰かに読ませないともったいない!!」と思って連載を開始した、という裏話が載っていた。

・子どもながらに「確かに自分が書いたものは人に見せないともったいないよな」と思い、今日まで育ってきた。これまでの人生で、小学5年生のときから絶え間なく、ブログやリアル(って知ってます?)(mixiはなぜか地元じゃ流行ってなかった)、Twitterを通じてネット上に文章を書いてきたけれども、自分のための日記はほとんど書いてこなかった。

・しかし、実際にチャレンジしてみると、これが楽しいのである。


・初期は2行ぐらいの日もあるが、昨日は3,353字書いていたようだ。なお、このnoteは3,449字である。日に日に増えているのを感じる。こんなペースで毎日論文が進むといいのにね……と思うがそれは無理だ。逆に、平均100字ちょいで30ツイート分、と考えると、不可能な数字ではないことがわかってもらえると思う。僕がツイ廃なだけですか???

・そんなに何を書いているのか。頭に思い浮かぶことすべてである。

・神に選ばれた12人に未来予知ができる日記が渡されるバトルロワイヤル漫画、えすのサカエ『未来日記』を思い出す。主人公は、「傍観者」であることを望み、身の回りのことすべてを日記に記録するのが趣味の根暗中学生・天野雪輝。その日々のおかげで受け取れた「無差別日記」は最強かと思いきや、「身の回りのこと」だけが予知されて、「自分」のことが全く記録されない……というナイスな設定である。さらにナイスなのは、天野雪輝のストーカーであるヤンデレ女子・我妻由乃が、雪輝のことならなんでも記録される「雪輝日記」の所持者で……!? という点。有名な漫画だが、改めておすすめです。

・何が言いたいかっていうと、僕は1人で天野雪輝であり、我妻由乃なのだ。

・朝起きた時間、目覚めの良さ、何ポモドーロ目に何をしたか、研究のどこで困っているのか、食べたもの、読んだ本、次にすべきタスク、面白かったネット記事、オナニーのタイミングとオカズ、バーチャルYouTuberの配信の感想、ゼミでの発言の反省、デュエル・マスターズ・プレイスのデッキ改良のアイデア、ドラゴンクエスト・ウォークの愚痴、入眠時間、アプリで計測された睡眠の深度、手が動くままとにかくすべて書く。

・研究の地(じ)には、〈生活〉がある。〈生活〉をおろそかにしては、心身が健康なまま研究を続けることは絶対にできない、と僕は信じている。逆に、〈生活〉のすべては〈研究〉であると思う。食べたもの、寝た時間、すべてのアイデアが、〈研究者〉を作るはずだ。特に〈社会〉を生きる〈社会学者〉ならなおさらである。


・ともかく、思いついたことを何でも書くことには、研究者にとって、生活者にとって、様々な機能を持つことがわかった。


・何より、ライフログフェチの自分にとっては、すべてが書き残されるというだけで嬉しい。「俺の882日間がここにある」と思うとうっとりする。


・やっぱり、誰にも言えないor誰に言うほどのことではないが誰かに言ったことにしたい、という話は生きているといろいろあるもので、日記を書いているとすっきりする。


・思い出せないな……ということがあっても、検索すればたいてい日記にメモってある。給付金の請求はがきを投函した日付とか。去年のあの飲み会には誰が参加していたんだっけ、とか。


・ドクター中松は、毎日の食事を35年間にわたって記録し続けたことでイグ・ノーベル賞を受賞したが、やはり毎日何を食べて、いつ排便して、何時に寝て起きたのか記録していると、2年ちょっとでも多少の気づきがあるものである。


ポモドーロ・テクニック論にも書いたが、日記を書くのは特段頭を使わないので、「まあとにかく日記でも書くか……」という気持ちならタイマーを押しやすい。

・それと連続した話だが、フリーライティングスペースとして有用である。ポモタイマーを押してもどうも落ち着かなかったら、「えー、次は何をすればいいんだっけ。」と、思うままに日記に書く。するとゆっくりとギアが上がっていく。千葉雅也先生が『アメリカ紀行』『勉強の哲学』あたりから、「書かないで書く」ための執筆論として、アウトライナーを使ったフリーライティングを勧めている。僕も真似してWorkFlowy上でフリーライティングすることは多いが、そういえば僕はEvernote上で毎日フリーライティングしているのであった。


・とまあ、研究日誌の効用はそんなところである。

・文章のリズムからすると、ちょっと小気味よくオチをつけて締めたいところだが、これは「日記」なので気にしない。終わる。




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