見出し画像

北海道百年記念塔解体への想い〜消極的解体賛成の私

解体決定の経緯

 札幌市厚別区から江別市に至るあたり、森林公園の方向を見ると、いつもそこに雄大にそびえる褐色の巨塔があった。1968年、北海道開道100年を記念し施工されたこのモニュメントは、その後2023年現在に至るまでの間、森林公園周辺の土地を静かに見守っていた。遠い東区の豊平川からでも確認できるその巨塔は、まさしく北海道100年とこれからの未来を感じさせる堂々な佇まいだった。

 そんな100年記念塔の解体が正式に決定したのは、2022年春頃だった。筆者は大学時代を江別で過ごし、その雄大な佇まいのある風景を見慣れていたので一抹の寂しさはあったが「まあ、そうなるよね」というのが本音だった。

 以前から劣化が目立ち、筆者が大学在学中は既に外壁の一部が剥離落下するなど老朽化が進んでおり、かつては石狩平野を一望できた展望部分には立ち入る事が出来なくなっていた。その後大学卒業後は上京し北海道を離れるのだが、Uターンで札幌に移住する頃には、既に塔内に立ち入るどころか、そのたもとに行くことすら出来ない状態となっていた。

 2020年頃に行われた補修見積もりは、今後50年間の維持として、展望室まで出入り可能にする場合28億6,000万円。出入り不可の状態でモニュメントとして残す分には26億5,000万円。そして一般観光客が立ち入り可能とする場合は、別途最新の基準に沿った耐震化が必要となる。

 尚、解体する場合は4億円だという。その時点である程度の地元民は「まあ…だったらしょうがないよね」と消極的賛成に回っていた。

 その後、解体反対を訴える市民団体などが塔内部の調査を行い「補修見積もりは過大。老朽化はそもそも道の管理放棄が原因」等と解体撤廃を訴えるが、道側の解体決定は覆ることはなく、札幌地裁は市民団体の訴えを却下。2023年の統一地方選挙では、解体反対を掲げる立候補者も知事選に現れたが、いずれも惨敗。その後は小規模な市民団体や右翼系政治団体が細々と反対活動に興じているが、解体は粛々と進められている。

 この記事を書いている時点で既に半分以上の解体は終わり、おそらく数ヶ月のうちにその姿は無くなってしまうだろう。

いち札幌市民の想い

 北海道にUターンで戻ってきて札幌に住居を移しもう6年近く経つが、やはり100年記念塔がなくなってしまうのは寂しさがある。可能ならば残る形が望ましいし、今後も札幌の雄大な土地を見守って欲しい気持ちは理解できる。実際解体に反対している人たちもある程度は存在していると思う。気持ちはよくわかる。

 しかし私も道民というか、暖めやすく冷めやすい、中途半端は好まないが飽きっぽい、そして名より実を取るドライな気質がある。正直なところ、無理して残すくらいなら壊したほうがいい…と消極的に解体賛成の立場である。そして未だ江別に住むかつての大学同級生たちも同じような考えだ。

 遠くからでも見えるあの褐色の塔は確かに素晴らしいモニュメントだと思うが、言ってしまうと無くても困らないというのが正直な感想だ。

 勿論、無くても困らないものは全て壊してしまうべき…とは思わないし、想いの込められたメモリアルやレガシーを大切するのは重要なことだと思っている。

 しかし無理して残して欲しいと思うほど100年記念塔に愛着があるかと言われると正直微妙なのである。なんせ札幌は魅力的な土地ゆえ、その手の物件は沢山あるのである。そこにただあるだけ…では、今ひとつ強い愛着が持てないのだ、

 そして観光資源としての価値が高く日々たくさんの観光客が訪れ地元に恩恵をもたらしてくれるものなら良いのだが、100年記念塔は立地からしてそれを見込むことも出来ない。北海道らしさを感じることが出来る物件は、何も100年記念塔だけではなく、むしろもっとアクセスもよく魅力溢れるものが札幌に溢れている。

 「名より実を取る」「おおらかだが合理的」という道民気質らしい、ドライで冷めた感覚なのかもしれない。ただ「寂しいから」で無理して残し、数十年後に同じように朽ちて将来に負担を背負わせるくらいなら、寂しさは自分たちで受容しし「そこに100年記念塔というものがあった」という思い出に存在を移すのが、ずっと良いのだと思っている。

解体反対派に今ひとつシンパシーを感じなかった

 この手のモニュメントが解体撤去されるに当たり、反対運動が巻き起こるのは決して珍しくはない。ある程度反対運動が盛り上がれば、撤去が覆える事例も沢山ある。

 100年記念塔の解体に当たっても反対運動は起きていたのたが、正直その活動にシンパシーを感じなかったのもある。

 この手のモニュメント存続活動というのは、鼻息荒く反対してるうちが一番の盛り上がりと高揚感があるのだが、いざ残ると決まると途端に熱量は冷め、それで終わってしまう。モニュメントの観光価値を自分たちで考え創出したり、未来に残すべきものだと将来世代たちに認識してもらうにはどうしたらいいか…という真摯で継続的な活動が行われる事例は稀だ。仮にその手の活動を行う団体が作られても、数年のうちに情熱が冷め開店休業状態になるのを数多く見てきた。

 言ってしまうと「残して終わり」。その後のことは知ったことではない…という一過性の活動になりがちなのである。極めて主観的であるが、100年記念塔の解体反対活動がそのように見えてしまったのが、シンパシーを感じなかった大きな理由である。

 この100年記念塔の解体騒動にあたる数年前、同じような経緯を持ちつつも、従来とは異なるやり方で存続を勝ち取った事例がある。徳島県小松島市における「金長神社」の存続活動だ。

 「金長神社」は1956年に映画「阿波狸合戦」の成功によって建立された、いわゆる地蔵寺だ。主祭神も神道系の神様や神話人物ではなく、伝説上の化け狸「金長」を祀り上げた「金長大明神」である。無論、神道系宗教法人に管理されてる訳でもなく、宗教施設でもない。

 この金長神社は、2018年頃に市の防災公園建設計画により撤去の危機に見舞われ、例のごとく反対運動が巻き起こるのだが…その反対運動は従来の「守る会」系のものとは大きく異なるものだった。

 発足された「金長神社を守る会」は、まず市の防災公園建築計画に反対することはなく、理解の姿勢を示していた。それを踏まえて「なんとか残せないか」という話し合いを自治体と繰り返し行い、一方的に「残せ」と要求するような事はしなかった。この手の活動にありがちな自治体を憎悪し批判する姿勢はマイルドに、あくまでも「なんとか残すことはできないか」という主体的なスタンスを取り続けていた。

 そして「ただ残して終わり」ではなく、町おこし萌キャラクター「ついなちゃん」とのコラボやオリジナル御朱印の配布活動…など、新たな観光価値の創出と、若い世代への認知浸透活動を精力的に行っていたのだ。

 ただ訴えるだけではない主体的で真摯な活動が実を結び市は方針を転換。「金長神社」は存続することになる。しかし観光価値創出の活動は存続が決まっても尚続けられ、「金長神社を守る会」を前身とする「金長と狸文化伝承の会」により今なお継続されている。

 それに対し、100年記念塔の解体反対活動はあまり現実的では無かったように思えた。老朽化の真偽や補修見積もりの妥当性を問い掛ける事自体は納得できるのだが、あくまでも「とりあえず残すこと」ばかりに執着し、ただ残して終わりという短期的な目線での活動に見えてしまったのである。

 観光価値の創出や未来へ伝えていくための活動は「それは私達のやることではない。道の仕事だ」と始めからする気はないようで、金長神社のような主体的な価値創出活動はあまり行われていなかった。SNSでの活動発信こそしているが、内容は自治体への要求と呪詛憎悪、解体賛成の人たちや無関心層を責めるようなリツイートが立ち並び、真摯な啓蒙活動や意見交換が行われているようには、私には見えなかった。

 これでは私ような「大雑把だが合理的」「中途半端は嫌いだが飽きっぽい」道民気質の人には刺さらないというか、賛同し難いものがある。

 「仮に残すとして、それで?」という先の部分は考えず、それは道の仕事だと放棄してしまうのは、なんというか…少なくとも私には賛同できるものではなかった。

 勿論「残したい」「寂しい」という想いは理解できる。解体反対の気持ち自体を誤ったものとは一切思わないし、実際に行動に起こしている点で尊敬の念もある。解体反対を否定するつもり無い、ただ賛同出来ない…というのが、私の思うところである。

これからの未来と北海道へ

 おそらく解体はこのまま粛々と続き、当初の計画通り跡地には管理の容易な記念碑が作られ、100年記念塔の存在は記憶と記録の中にしか存在しないものになるだろう。いずれは、そんな解体に関わる騒動があったことも忘れられ、解体反対の人も賛成の人も等しく記憶が薄れ、自身の日常に帰っていくのだろうと思う。

 とはいえ、北海道を北海道たらしめているものは形残るものだけとは限らない。道民は故郷への愛着が強い人が多く、100年記念塔に込められた過去の歴史への認知、未来への展望の気持ちを心に秘めている人は決して少なくないだろう。

 札幌を札幌たらしめているもの、北海道を北海道たらしめているものは、絶えず変化し新陳代謝のように入れ代わり立ち代わり創出され続けている。北海道はそれだけ変化のある、開拓スピリットを持った面白い土地なのである。

 これまで札幌を見守ってくれた100年記念塔と、100年記念塔に北海道の未来への希望を込めた先人たちに感謝し、静かにその解体を見守りたい。いち札幌市民の想いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?