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次の店、どうする?                 『パーティーが終わって、中年が始まる』

  

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その瞬間、近くを歩いていた二十歳くらいの男の子がとっさに僕に向かって、
「あぶない、おじさん!」
と叫んでくれて、それを聞いた僕はあわてて車をよけた。
そのこと自体は何事もなく無事に済んでよかった。しかし、あの男の子は反射的に、純粋に善意で注意してくれたのだろうけど、「そうか、自分はもうおじさんと呼ばれてしまう年齢なんだな……」と思って、少し落ち込んでしまった。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p1

 この冒頭部分で苦笑いするとともに、思いっきり「つかまれて」しまった。
この本の著者の phaさんと自分は同世代である。
自分の場合は、子どもが生まれたときから「おじさん」という属性を受け入れたつもりだが、二十歳くらいの人に「おじさん」と言われたらちょっと複雑かもしれない。
(実際、自分と二十歳の人とは親子ほどの年齢差はあるのだが、うちの子どもはまだ小学生だ。)

この本は、かつては「日本一有名なニート」と呼ばれ自他共に認める自由人である phaさんが四十歳前後を境に訪れた心身の変化を赤裸々に綴った書である。

お金よりも家族よりも社会的評価よりも、とにかくひとりで気ままに毎日ふらふらしていることが、自分にとって大切だった。
だから定職にもつかず、家族も持たず、シェアハウスにインターネットで知り合った仲間を集めて、あまり働かずに毎日ゲームとかをして暮らしていた。世間からダメ人間と見られても、全く気にしていなかった。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p2

しかし、四十代半ばの今は、三十代の後半が人生のピークだったな、と思っている。肉体的にも精神的にも、すべてが衰えつつあるのを感じる。
最近は本を読んでも音楽を聴いても旅行に行ってもそんなに楽しくなくなってしまった。~ 中略 ~
楽しさをあまり感じなくなってしまったら、何を頼りに生きていけばいいのだろう。正直に言って、パーティーが終わったあとの残りの人生の長さにひるんでいる。下り坂を降りていくだけの人生がこれから何十年も続いていくのだろうか。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p3~4

 人生のピークだと思う時期は人それぞれだろうが、若いときに楽しかったことがそのままずっと続く人というのは稀ではないだろうか。 
昔慣れ親しんでいた物事や記憶をひっぱり出して、そのときの気持ちが甦るということはあったとしても、同じようなことを続けていればなんか飽きてしまったり、何かしら感覚も変わっていくものだ。

 しかし、今まで「楽しさ」最優先で生きてきた phaさんはその基準がゆらぐことに「ひるんで」しまった。

このままアリとキリギリス的な反省話の展開に流れるのかと思いきや、ここからがまた phaさんらしさが出ることになる。

しかし、この衰えにはなんだか馴染みがあるようにも感じる。思えば自分は、若い頃からこうした衰退の気分が好きだった。
昔素晴らしかったものは、既にもう失われてしまった。大事な友達は、みんないなくなってしまった。すべては、どうしようもなく壊れてしまった。そんな物語を好んで読んできたし、そんな歌詞の歌を繰り返し聴いてきた。喪失感と甘い哀惜の気分を愛してきた。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p4

若い頃から持っていた喪失の気分に、四十代で実質が追いついてきて、ようやく気分と実質が一致した感じがある。そう考えれば、衰えも悪くないのかもしれない。自分がいま感じているこの衰退を、じっくり味わってみようか。
この本では、そんな四十代の自分の「衰退のスケッチ」を描いていきたい。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p5


この本の話を大体のパターン別に要約すると

  • 気力や体力が無くなって、最初は戸惑ったけど枯れた感じでやって行く。

  • 自分の感覚でやってきたことが時代遅れになってきたと感じるが、このまま行けるとこまで行く。

  • 体力や金銭を使わなくて済むなら、時代や世間の流れに逆らわず乗っかる、というか流されてみようとする。

といった感じだ。

いわゆる典型的な「中年の危機」というやつかもしれないが、可能な限り社会的な責任からは距離を置くライフスタイルだった phaさんさえも、すっかり「中年の危機」に振り回されているのが一部で話題になっているのだと思う。

内容はちょっと違うが個人的にはこの本が頭をよぎった。


 時とともに失われていくものの話ばかりかと思いきや、そればかりではない。 
四十歳から初めてバンド活動を始め、そのためにドラムも始めたというのだ。

 昔からずっとバンドに憧れがあった。こんな歳から今さら、という気持ちもあったけれど、やらずに後悔するよりはやれるうちにやっておこう、と思ったのだ。
 ずっとドラムを叩いてみたかったので、独学で一から練習し始めた。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p107

 この記事の冒頭のリンクが貼ってあるイベントのときに、ご本人から聞いたが、ドラムは若いときにやってなかったから若いときの自分と比較のしようがないので、体力の衰えは感じなくて済むらしい。

 バンドといえば、みんな十代二十代くらいで結成するものだと思うけれど、四十代でこんなことをやっているのは、まあ自分にお似合いだなと思う。~ 中略 ~ 年を取るにつれて少しずつ周りに目を配る余裕ができて、なんとかバンドをやれるくらいの協調性が生まれてきたのだ。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p137

 自分の好きなように音を出すだけではなく、他人の出す音をちゃんと聴いたり、テンポや音程といった客観的な基準に合わせることを意識しないと、心地よいものはできない、ということをようやく認められるようになった。よくある人間的成長というやつだろう。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p137
 

 phaさんの今までの価値観と真逆のようだが、物事にあまり執着しないという点では一貫しているのかもしれない。

自分に音楽的才能があるとは思っていないけれど、バンドで演奏するのは楽しい。誰かと一緒に音を合わせているときは、今ここにしかない特別な瞬間にいる、と感じられる。スタジオに入るたび、またここに帰ってきた、という気持ちがするようになってきた。

『パーティーが終わって、中年が始まる』p138
 

今までやってきたことに対する意欲は無くなるが、新しいことを始めることで、また別の意欲が湧いてくるようなのである。

これは、最近になって文章を書き始めた自分も同じ感覚なので、なんとなくわかる気がする。(今までやってなかったことを急に始めるのも「中年の危機」あるあるらしいのだが。)


 パーティーが終わっても、気の向いたやつだけで集まる、ゆるい二次会は始められるかもしれない。











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