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「。」で終わると?


…マルハラ、って言うんだね。

最近知った、「なんじゃそりゃ」


ある日 お客様をカットしてると、

「最近の若者はLINEの文末に
『。』がついてると 
相手が怒ってる、って解釈するらしいよ」と29歳が教えてくれた。

「え、なんと。世も末じゃん」と驚く私は45歳。

お客さんと
「困ったねえ」
「うん、まったくだよ」と日本の今後、行く末を案じながらクロスを外し鏡を見せてカットを終えた。

その日帰宅後 録画していた
ある番組を流し観て終わりを迎える頃、その例の
LINE句読点問題が話題となっているではないか。

なるほど、
"あの子はこれを観たのかー"とネタをおさらいして番組を見終えた。

この時代 ネタ元は
あらゆる種類と手段、
速度で溢れかえるというのに 

同じ番組を選び情報を得て共感するとは。

なんか一人でその"偶然"にほっこりした。

次の日、それを思い出し
58歳の女性に例の句読点問題を
「そうなんだって」と伝えると 
「あ、知ってる〜、それアレでしょ?」と、どうやらまた同じ
番組の放送をご覧になっていたようだ。これまたほっこり。

類トモ なのか、
人気番組なのか。
それとも、『。』問題はもう
普通に常識となっちゃったのか。

そして TV離れと言われる昨今、
29歳、45歳、58歳で
それぞれ違う年代が、
同じ番組を選ぶセンスが、
同じ店に集まるという。

偶然か 必然か。

58歳の方は この春
部署に新人を迎えるそうで、
そのLINEの句読点問題に若干怯えているようだった。

でも なぜだろう?
日本語の句読点の立ち位置が
なんか知らないうちに変わろうとしている。

これまたお客様から聞いた
Yahoo知恵袋にて調べたら
ずいぶんと前から「。」は
"怖い問題" はあったようだ。


へぇ、知らんかった。

美容室は、日常の生活、思考に
小さな単位や身近な距離での
情報が行き交う場所でもある。

だからこそ
アホで無駄な(全てとは言わないが聞いてると謎なものが多いよね?)
"コンプラ"が増え始めたた数年前にもそうだったが

どうしてこうも
"生きにくいルール"を嫌がりながら
これほど作り出すのが得意なのだろう?
(みんなドMなの??)

今回も我々は初めて知った
「。」問題について話し合い、
結論 今まで通り普通に文章を書いて送ろうということを選んだ。

文末の「。」さぁ、
なんなら連打してやろうぜ。。。。

ってね。


一体誰が1番に言い出したのでしょうか?(誰か教えて)

そしてなぜそんなルールに従うのか。

おかしいことを「おかしいよぉ〜」って なぜ言えないのか。

言わないのか?
(賢いのか?ズルいのか?)

違うことが当たり前なのに
違うからと敵対するのは何故だろう?

違うことを認め合い、
譲り合い
共存共生する方法を 
お互い 探り見つけようと向き合うのは多様性とは言わないのだろうか?


生きづらい、をテーマに
溢れる情報の中でどれだけのことが日々語られ、
どれだけの人が救いを求めているか。

救いや解決策、
安心や共存

同じ結論に辿り着くはずなのに、
同じ過ちを 誰もが起こす。
気づかぬうちに。


そもそも
そんな話自体ががテレビで放映されていること 
それは平和なのだろうか。

果たして謎だが
そんな風には思いたくもない。

世も末なのには変わりはないか。


終わりに。

最近やたらと出てくる多様性ってなんか偏ってませんかね。

文末の「。」 ただ文を締める為につけたい人の気持ちは 
認められず、 

怖い、と思う人の意見は採用されて
"ハラスメント"化するのって、
なんか 謎、って 思います。

多様性って言いながら
一方的なこと、
なんか 多くないでしょうか?



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