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かも知れない説

そもそも 
その『正解』だと
思っていること そのものが

正解じゃないかも知れない

そもそも正解なんて

ないのかも知れないって話

名付けて

"かも知れない説"



仕事柄なのか(仕事以外の場でも)
ヒトを眺めていると

試したこともない
知りもしない世界のことを


何故かわかったように

「絶対」と言い張る人が少なく無いと思う。


言われる側になる事もあるため

いつも「うっ」てなりつつ


どうして「絶対」だなんて
言えるのだろう?


と思う


自らの手と行動の積み重ね
それの応用 
その場もその数ヶ月先までも
結果と実績を出さねば残れない

先読みの繰り返し
そこからの計算と感覚
どちらに偏ってもいけない
世界にいる私には


知りもしない
世界のことを見聞きする際

「なるほど(°▽°)!」と口にすること数あれど

「絶対〇〇」などと
決めつける言葉や意見は

口が裂けても言えないし

言わない。



何故ならその方が

価値観の幅が
良くも悪くも広がるし

価値観の立ち位置や
学ぶべき点なども確認出来ると考えているから。


そもそも「絶対」や「正解」って…


それが環境や思考操作により
”刷り込まれた”可能性は?


安心 安全だとイメージから
”思い込んだ”可能性は?


考えたらキリがないけど

「何も」知ろうともしないヒトほど

決めつける

(その傾向が強い)

そんなのを目の当たりにすると

心が
ぎゅぅーと苦しくなる


狭い世界で生きてる人程
言い切るし
他を認めない


自分の世界しか認めないと言うことは 
「キャパが狭いんです」と言ってるのと同じなのに

答えが一つしかないなんて


「絶対そんなわけない!(・∀・)」


って 敢えて「絶対」を使うなら
そう反論したい
とある街の美容室のど真ん中から。


髪を触り続けているからこそ見える

「答え」や「道」の多さを

知ったから

見てきたから

触れてきたから

実際 作っているから!!
( ´θ`)ノ


だから

視野が狭く

発展も融合も調和も無く

生産性がない

"二元論的思考人間"は苦手だっ٩( 'ω' )و



ずっとずっと子供の頃から思ってる


目の前に
見えるもの、コトが

”全て”ではないと思うんだ



その成り立ちや奥や裏
上下斜め前後ろ

様々な仕掛けや思惑

あれやこれやがあることで
全ては成り立っていることに

気がつくことって

驚くことはあるけれど

知らないでそのまま流されて生きるよりも

面白いし
こわいことでも全然ない


だけど だけどもさ
だから何ってこともなく


在るものは”ある”

かも知れないし

無いものは”ない”

かも知れない

ただそれだけの話。


そう思うのも
どう感じるかも 
自由じゃん?


『ハリポタ』は物語
『コンポタ』は飲み物
『ハリボテ』は偽物


全てが ”かも知れない” 

そうでない "かも知れない"

本当にそうかしら? と 

疑うよりも洞察で見れば

不必要に怯える対象物が減って
視界はむしろクリアに見える

ただ冷静に
疑問を持って向き合ってみると

まだわからないことだらけじゃないか(°▽°)! と気がつくし

違う側面もその都度発見出来て
面白くなる かも知れない

(個人的には面白い)

もちろん
失敗もするかも知れない
(まぁあるわな初めは)


でも だからこそ

"不確か" で "不安" になるなら
押しつぶされそうならその前に

確かなものは 
一体どこにあるだろう?


探せばいいし
人に尋ねたって良い


偽物もそうだが
本物って実はあちこちにたくさんある

教えてくれる人
導いてくれる人のところへは

今は望めばどうやったって
繋がれる


見つからないなら 
自分自身が確かな本物になればいい

かも知れないし


そんな風に思えない現実なら
なんかもう
悲しいじゃないか


行動すること
伝えることで
なんか少し変われるかもしれない

身に着けたつもりや
持ってるそれは 

実は全部不要かもしれない


無いと思っている
かも知れないそれは

実はもうそこに
あるかも知れない


だからたぶん 
「かも知れない」で色々を眺めてみると


世界は可能性に満ち溢れている
(*´ー`*) .。oO


かも知れない

と思えてならないんだ



いかがなもんかな。


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