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読書感想文|新しい世界

川端康成『伊豆の踊子』(新潮文庫)

こうして死人のあなたにものいいかけるにしても、あの世でもやはりこの世のあなたのお姿をしていらっしゃるあなたに向ってよりも、私の目の前の早咲きの蕾を持つ紅梅に、あなたが生れかわっていらっしゃるというおとぎはなしをこしらえ、その床の間の紅梅に向っての方が、どんなにうれしいかしれません。

p. 106「抒情歌」

川端文学初挑戦。
「伊豆の踊子」「温泉宿」「抒情歌」「禽獣」の4編。

「伊豆の踊子」

初読は、話に置いていかれないようにするあまり一語一語に目を向け過ぎてしまってあまり面白いと思えなかった。
すぐに再読したらそれでようやく、主人公「私」や踊り子たちの言動を楽しめた。

過剰な自意識と自己嫌悪で心ががんじがらめになると、他人に自分の感情を晒すのができなくなるのかもしれない。

何があったかは知らないが、「私」はそんな精神状態のために伊豆へ旅に出たらしい。
そして、旅芸人の一行に出会った。

一見踊り子への恋心を描いているように読めるが、一種の成長物語のようであるらしい。
本書読後にいくつかの解説を読んだ。それらには「私」が「この世との和解」をするという解説が見られたけれど、正直わたしにはあまりピンとこなかった(読解力不足)。
社会と、ではなく、どちらかと言うと「己との和解(自己受容)」というようにわたしは受け取った。
それがひいては社会と言うものになるのかはよくわからないけど。

「抒情歌」

難しい。生死や宗教、あの世この世の話など読み飛ばしてしまった箇所もある。
それでも、本書の中でこの作品が一番好き。

語りが女性言葉で読みやすく、好きな言い回しが多いせいからかもしれない。
女性が、愛する故人へ語りかける。
愛する人の側で眠る時はその人の夢を見たことがなかったのに、お別れしてから見るようになったという台詞、こんな私にも身に覚えがあることで、強く共鳴してしまう。

「抒情歌」の前に載っている「温泉宿」は、温泉宿で働く下賤の女たちの話で言動が粗暴なところが見られる。それに対して、「抒情歌」の語り手である女性は知識豊富で言葉遣いも美しく、どこぞのご令嬢という印象を受ける。
この2作の落差がすごい。

(「温泉宿」と「禽獣」の感想は割愛)

全体

まず冒頭文がかっこいいなと思った。
特に次の二文。

彼女等は獣のように、白い裸で這い廻っていた。

p. 48「温泉宿」

死人にものいいかけるとは、なんという悲しい人間の習わしでありましょう。

p. 106「抒情歌」

迫力があるというか、端的な潔さを感じるというか。いっきに引き込まれてしまう。
それに対して、結末の文はいつまでも立ち込める靄みたいな、寂寥感を長引かせるような感じを受けた。余韻よりも何か強いものに取り憑かれるような感覚。
ただ、なんでそういうふうに感じるのか、説明が難しい。

説明が難しいことがもう一つ。作品の湿度が高いなと思った。
これも具体的にどの点がということは言えないのだけれど、土がたっぷりと水分を含んでいて木々の葉が青々としているような、そんな多湿の世界、そういう意味ではとても日本らしい作品だとも思った。

もしかしたら、「伊豆の踊子」が雨の降る場面から始まったからそういう印象を受けたのかもしれない。
また別の作品を読んだときに、どう感じるか。

・・・

作品の時代背景や当時の風俗、倫理観、清潔感といったものの知識が乏しいために、難しいと感じる部分が結構あった。(そのせいで初読の時に結構つっかかった。)
まず服装が今とは違い、その名称すら知らない。
家柄や職業などによる格差があり差別もあって、人との関わり方や距離感も今と少し違うらしい。

そういった点で、登場人物たちの関係性や言動、心のなかで思うことなども、自然なものなのかそうではないのか、その辺の読み取りはできてない気がする。

なかでも「温泉宿」は、私の想像の外にある世界すぎた。
ただ、解説で三島由紀夫も「複雑きわまる」と言っているので、私の知識不足だけが問題ではないらしいけれど。(ちょっとホッとした。)

でも、そういうわからないことにたくさんぶち当たる読書体験というのはものすごく久しぶりで、幼かった頃の読み方を思い出した。
当時は社会だの世界だのなど知らなかったし、知識なんて教育テレビと学校で教わるものがせいぜい。
でも、それでも、本を読むことが楽しかった。わからないなりに楽しんでた。
そういう体験にいま立ち返ったというのが、新鮮に感じられた。

これからもっともっといろんな作品を読んだり、知識をもっともっと吸収していって、また本書に立ち返ったら、また違う楽しみがきっとできるはず。

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