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父と夕焼け小焼けと私
父は2008年11月、私が29歳のときに敗血症で亡くなりました。
見た目は桂歌丸さんに似ています。
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はい。
かっこよかったです。
ぶっきらぼうな物言いで、オフィシャルな場所には不向きな人でした。
授業参観も保護者面談も来たことがありません。
職業は職人でした。
無口
近所の人に自分からは挨拶しない。
家でも「おう」「寝るわ」以外ほぼ喋らない。
無口の極みです。
父より無口な人に会ったことがありません。
夕焼け小焼け
小学生の頃、外で遊ぶときは夕焼け小焼けが鳴ったら帰るのがルールでした。
夏のある日、ルールを破ってかくれんぼをしていました。
薄暗くなってきて慌てて帰ると、父が家の前で仁王立ちして待っていました。
「何時やと思っとる」
家に入って時計を見ると19時でした。
「ごめんなさい」
母から、夕焼け小焼けが鳴ってからずっと外で待っていたと聞きました。
叱られるより効きます。
弔辞
父の葬儀の最後にお坊さんから弔辞をいただきました。
こちらのお宅には30年以上、年に一度ご供養に伺って参りました。
私は年一度のご縁でしたので、故人のことは本日お越しの皆様のほうがご存知ですね。
大変恐縮しておりますが、これも坊主の勤めでございますので一つお話させていただきます。
ご辛抱いただけますようお願い致します。
いつも決まった時間に伺っておりましたが、20年ほど前に、大変珍しいことに渋滞しておりまして、遅れたことがございました。
車を降りて早足で向かいますと、玄関の前に故人が立っておられました。
正直に申し上げますと、お叱りを受けるかと思っておりました。
実際にはたった一言、
「遅かったな」
とおっしゃいました。
(ここで笑いが起こる 笑)
お邪魔してから、奥様から、暑い中一時間も外まで出て待っていてくださったとうかがいました。
お叱りを受けるかと思ったのはとんだ心得違いでございました。
私が存じ上げている故人はそういう方でございます。
父はずっと父だった。
子供の頃。
思春期。
反抗期。
離れて暮らすようになってから。
癌がわかったとき。
手術前夜。
手術が終わって意識が戻ったあとの最初の言葉。
入院中。
自宅療養中。
最後の入院の前に父がしたこと。
亡くなる前の最後の会話。
父はずっと父でした。
生きているうちに結婚式が間に合わなかったことが残念です。
急に悪くなって、先に写真だけ撮るのも間に合わなかった。
今の私を見たらなんて言うだろう。
言うとしたらきっと一言やろうな。
めっちゃ効くやつ。
ねえ、お父さん。
どうしたらいいかなぁ。
来週末の父の誕生日に、お墓参りに行ってきます。
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