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制約とビジネスの関係

こんにちは😃

まず初めにそれらしい題名を付けた文章を書こうとしているが、私は大学も卒業していないし、座学でのビジネスを学んだ記憶はセミナー等でしかない、あとは適当なビジネス書籍を数十冊読んだ程度の知識なのでここで書くほとんど以上の事は私が実際に経験した事や、その上で感じた事でしかない。

(ちなみに私は小さな頃から読書が大好きだが、ビジネス書よりはサスペンスやミステリー物から村上春樹まで、より現実に近い非現実的な登場人物に感情移入して行くことを好む傾向にある)

それを踏まえた上で無学な一ビジネスマンとして「制約とビジネス」という切っても切れないであろう物の関係について書きたいと思います。

ここでいう制約とは、自由な行動や言動を抑えつける物や思考を指します。

まず、社会通念上の「制約」と言われて思いつくのは法律、法令だと思うが、私達はその大きな枠の中の小さな社会(所属する企業や学校、団体)において、就業規則や校則等の別の「制約」を受けている。

そして私達を一番制約する物は私達自身の道徳心や常識ではないかと私は思っています。

その小さな世界の中の一つ一つのタスクにおいても、「時間」や「予算」あるいは「場所」等の様々な「制約」を受けている事を意識しながら働く事があるだろうか?こうじゃなきゃいけないと思い込んでいる事はどれだけありますか?

実を言うとこれを書いている私自身が制約される事をかなり嫌っています。

なので、私は生活する中の一つ一つの物事に関して、制約を外した上で「ベストであり、より快適な回答」を探しながら生活をする事が癖のようになっています。

もちろん私は1社会人として実社会で生活する上で法律や就業規則を遵守する事の大切さは理解した上で生活しているが、

全く車の通らない横断歩道をボーッと立ってただ信号が変わるのを待っている事や、訳のわからない理由で坊主を強要される野球部員のような物には100%アグリーとは言えない。

かといってそれをしない事で社会や先生、先輩達を敵に回すのもごめんなので、渋々ながら守るように生きてきました。

肝心なのは、

疑問を持つ事

だと思う。

昨今高校野球でも髪を伸ばしていい文化がやっと出てきたが、それは誰かが疑問を持って、それを誰かに提唱して、その輪が広がる事で、妄信的にそれを強要してきた、もしくは強要されてきた人達の目を覚ましたという事だ、なのでそれ自身に疑問を感じる人が増えると(もしくは圧倒的強者が疑問を抱くか)そこにある制約は緩和されていく。

ようは「制約」とは誰か、もしくは団体の、「こうあるべきだ」という一方的な意見から出来ているもので、私達の生きる社会では隅々までそう言った制約が蔓延している、

そう例えば夫婦生活の中でも奥さんに料理を作らないといけないという制約をしていないか?「掃除はあなたがして下さい」という制約を受けていないか?今料理や掃除をする事がお互いにとってコンセンサスの取れたベストなタイミングなのか?制約に渋々流されていないか?結婚とはお互いの制約を受け入れる事も内包しているのか?そもそも結婚という形が二人にとって何をもってベストだと言えるのだろう。

たった二人の生活の中にもそう言った制約はあって、私達は制約と共に生きていると言っても過言ではないと言えます。

どれだけ優秀な経営者でもtwitterの中では280文字と言う1投稿の制約があったり、不適切な言動は削除される等の制約がある。

しつこいようだけど、この世は本当に制約だらけなんだ!

私達は制約という世界の中で生きていると言っても過言ではない、何故なら生と死はこの世で一番厄介な制約なんだから。

だから人の生殺与奪についての制約を破る殺人はこの世で最も罪の思い犯罪なのだと思う。

さて、大きく本題からズレてしまったけど、ここまでで、私達の生活はいかに制約されているかをご理解いただけたんじゃないだろうか?

では、本題に入るとします。

ビジネスとは「制約」の宝庫であり、制約を自由にコントロールする事で成功も失敗もする事が出来ると考えています。

昨今のビジネスではクリエイティビティが重視され、他の人や企業が考えつかない、もしくは考えても実行出来ない、しようとしないようなアイデアの商品やサービス、販促を提供する事で評価される事が多々ある。

それは制約を少しだけ外れる事で生まれる事が多いと感じています。

例えば最近車や洋服、自動販売機にまで採用されている流行りのサブスクリプションサービス(定額課金制サービス)だけど、元々は車や洋服は売るもの、という制約(ここでは思い込みの要素が強い)から少し外れて、「別に売らなくても車や洋服にどういうサービスを付加すれば一定の消費者のソリュージョンが出来るのだろう?」と考えれば、いくつかの選択肢の中で当然出てくるはずの回答の一つなわけで、あとはその仕組みを考えていけばいいだけなんだけど(実は仕組みを考える事が一番難しい)、とにかくそれによって道筋はできる訳だ。

例えば、朝9時に出社しないといけない、スーツを着ないといけない、ランチは12時から、会議に出ないといけない。

もちろん私も先述したように、それらの制約に反対して上司や会社にわざと角が立つような事はしなくていいと思っていますが、ようは先程申し上げたように疑問を持つ事が大事なのです。

私は社会人になってからしばらくは出社時間や帰社時間、服装や会議の在り方に昔から疑問を抱きながら、渋々それらに従っていました。

そして、ある新しい部署の管理職としてチームを任された時にある程度の制約から抜け出して、常態化している残業の意味や、暗黙で守られている服装のルール、なんとなく続けている会議等について、「変えてみよう」と思って、私の部署は「残業禁止」という逆制約や、「服装自由」という制約外し、「会議前にアジェンダを見て会議が必要なければ個別で話しなさい」と言った当たり前になされていた事を当たり前に変えてみました。

その結果、それだけではありませんが、実施した年から、それまで低調だった業績はみるみる回復していき、個々人は「残業をせずに業務を終わらせる為にこれを辞めたい」という業務のリストラを提案し始め、無駄な業務をなくし、残業していた時間に部内で飲みに行く人達が増え、今までそんなタイプに見えなかった部員が飲み会の席で熱い話をし始めて、「そういう部分もあるんだ」などという部員の新しい発見もあり、コミュニケーションは深まり、2年間産休、育休以外では離職率がゼロという状態が保たれました(その後私が新しい部署の事業部長として異動する事となりました)。

それからはそれ以上に制約をコントロールしながら業務をする事を意識するようになりました。

マネジメントの観点で言うと、

why?

という事です。

部下からの提案に何故?何故?何故?と聞いてみる事で、それがその人の今考えうるのベストの考えや成果物なのか、もしくは知らないうちに、ある制約の中で仕事をしているのかをあぶり出す事が出来ます。

例えば小売店を持つアパレル業界では、店頭にポスターやPOP等を設置する事があります。

ある日、販促担当のスタッフが「来月のポスターのビジュアルなんですが、こんな感じで行こうと考えています」と私にプレゼンをしてきました。その時の私と部下のやり取りを簡単に再現してみます。

私「何でポスター作るの?」

部下「えっ?いや、いつも作ってるからです」

私「何でいつも作ってるの?」

部下「それは、ブランドのイメージを訴求して入店客数を上げるためです」

私「ブランドイメージ訴求して入店客数上げるための方法ってポスターがベストなの?」

部下「いや、ベストかどうかは考えてませんけど...」

私「じゃあ同程度かそれ以上のROIが得られる施策をもう一回考えてみて」

部下「あっ、はい」

このように、人は往々にして今までやってきた事を、何も考えずに繰り返す事を仕事だと思っている事が多々あります。

私はこのようなルーティンワークはただの業務であり、移り変わるトレンドや顧客思考の上を行くためには、常に「今」何をする事で効果を最大化出来るかを考えるべきだと思って、それを繰り返し部下に問うようにしています。(おそらく部下は面倒くさい上司だと思っていますがw」

そうする事で、部下の頭に「これを持っていくと、こういう事を言われる、だからこういう事も考えておかないといけない」という危機感が生まれ、そこから提案に深みが出てきます。始めはそうやって強制的に頭をストレッチさせる事から始めて、それを繰り返す事で部下が自身の業務に対して、「何故それをやるか?」を考える癖が付いてきます。

そうやってクリエイティブな発想が始まり、新しいソリューションが生まれていく過程を何度も目にしてきました。

なので、私はビジネスとは制約を自由にコントロールして、時には意図的に外れたり、円滑に進めるために制約の中に収まったりと、意識的に制約を行ったり来たりする事で、クリエイティブ且つ協調性のある仕事が出来ると考えています。

もっとも制約に縛られる事なく、周りから異端な存在に見られる覚悟があれば、さらに新しい扉が開かれると思いますが、残念ながら今の社会ではある程度の立場がなくそれを実践しても、上司や同僚によって排除される可能性が高いことも事実なので、制約を上手く使いこなす事をお勧めします。

かなり長文になりましたが、本文が少しでも誰かの頭のストレッチになれば幸いです。

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