Images and Words.
最近はnoteを更新するサイクルがめっきり長くなってしまった。
収益化したわけでも「中の人」として更新しているわけでもないし。
マイペースに進めていこう。
行動の頻度
そう、noteはマイペースにやろう、と決めている。
一時期、Instagramを毎日更新することを意識し過ぎて義務感を感じ始めてしまった。当時を振り返ると、その時期は、写真の思い入れよりも更新することを重視していた。今となっては、何だか失敗したな、と思うし、自発的かつ自分に閉じる義務感に駆られて本気で物事に取り組めない、なんて勿体無いではないか。
写真撮影についても、趣味なのでマイペースに。焦って撮る事はない。
写真を撮る頻度
「写欲」は日に日に高まっている。
撮りたいけど撮らないのは、今ちょっと満足した写真の出来栄えに未来の自分が「後悔」するのではないか。
そのようなことを、撮る前に一瞬考えてしまう。
この一呼吸は、人の思い切りを削ぐのに十分な時間である。
一瞬の尻込みにより、その撮影機会は、失われる。
自分が撮影した過去の写真の出来栄えに対する後悔は、言い換えれば、喪失感とも言えると思う。
一瞬迷って撮らないことも喪失だが、撮ったが故に「掴んだ機会を活かせなかった」感覚。
それを「伸びしろ」と名付け、心のバランスをとる。
表現力の源泉
「伸びしろ」なのは、今の自分は、かつての自分が意識していなかった部分に意識が及んでいるからである。もっと言うと、「撮影意図の言語化」が出来るようになった証左だからである。
当時の写真を手に取り、「この部分をこうすれば良かった」と、現在の自分の意図を言語化する。言語化により、工夫が生まれ、過去の写真が次の一枚の糧となる。
言葉は表現力の源泉だと思う。
自分が抱く感情を適切に表現出来なければ、他人に何も伝えることは出来ない。感情だけではない。素晴らしい考えを閃いたとき、具現化するためには言葉が必要である。
難しい単語でなくても良い。
言語化出来れば思考に繋がる。
撮影意図の言語化を重んじるようになったのは、「憧れ」を因数分解したからである。
思考の回数
今年になって私はライティングに夢中だ。
ライティングという手段を意識したのは素晴らしい作品に出合ったからだ。私が憧れた素晴らしい写真は、確かにライティングを行うことでその写真の魅力を生み出していた。しかし、その写真が真に魅力的だったのは、被写体の被写体らしさを余すことなく写しきったから、なのであり、ライティングはその手段だった。
私の経験も重要な要因だった。
自分が表現したいと感じたことと自然光を活かすことが調和する経験を通じ、自分の撮影意図にしっかりと注目したいと考えるようになった。
写真は撮らなきゃうまくならない。
この言葉を私なりに解釈すると、「写真を撮影する」行為は「被写体を観察し、理解する」行為と同義と捉えるべきだ。
何も意識しない反復練習に意味はない。
試行ではなく、思考。
試行の回数
業務で、写真撮影を依頼された。
写真を撮る事が仕事なのではなく、仕事をした記録としての写真を撮る事を依頼された。本業ではないが、仕事なので限られた時間の中で成果を出す必要がある。その写真は顧客の目に留まるので、本気で写真撮影に臨んだ。
この撮影はもう一人、カメラとは無縁の生活を送る同僚と行うことになったため、言語化は非常に役立った。
言語化により「どのように撮りたいか」は明確になった一方で、私にはそのイメージや言葉で説明した結果を得るための技術が足りなかった。
何度も撮り直すなかで、適切な機材と適切な技術の必要性を痛感した。
技術を身に着けるには、試行錯誤が必要である。
試行の回数。
勿論、しっかりと「思考」、即ち被写体の観察と理解が伴う必要がある。
新しい仲間
そういうわけで、結局、新しい機材を買った。
前回の記事で『写真撮影とは「機材ありき」ではなく「使い方」』と書いたが、結局、機材も必要だ、ということにしておく。
Images and Words.
その界隈の人には最早説明不要な、Dream Theaterの名盤だ。彼らが何を意図してこのアルバムタイトルを採用したのかは定かでないが、このたった三単語は示唆に富む。
被写体を観察し、理解し言語化する。
目的に対し適切な手段、機材を用意する。
そして、具現化するための撮影技術を発揮する。
この全てが組み合わさって初めて、自分にとって満足のいく写真になる。
満足のいく写真を撮る。
途方もなく遠い目標のような気がする。
そしてそもそも、他にも必要な要素があるかもしれない。
noteの余白
SNSを連続更新するあまり義務感を感じてしまうことの続きだが、noteも、公式による連続投稿キャンペーンなどは更新の義務感を生む可能性がある。これはnoteというサービスの「利用機会の創出」にはなるかもしれないが、「質の担保」については疑問符が付く。
月間利用者数は、消長角逐のソーシャルメディア業界において株価にも直結する重要なファクターではあるものの、敢えて言えば「記事の質」はnoteというサービス自体の質だと思うので、その低下が起きnoteが沈没してしまうと、自分の考えの保管場所を失うことになり困る。
世界で長く愛されるSNSほど、使い方はユーザーに任せている気がする。
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