人のためになること
スペシャリストになりたかった。
資格を持って働いていた父が、私に向かってこう言ったのだ。
「ジェネラリストじゃなくて、スペシャリストになりなさい」「どこでするかじゃなくて、何をするかが大事なんだよ」
お父さんは、私が成人した年に亡くなってしまった。私が何の仕事に就いたのかも知らないままで。
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私は、父とはまったく異なる分野の仕事に就いた。専門的で、ちょっと特殊な世界。
働きながら資格をとるために勉強した。
なぜ資格をとりたいのか、これからどういう風に働いていきたいのか。上司と話をしたとき、肩書きだけ欲しいように聞こえる、と言われた。初心が大事だとも言われた。
悔しかった。
外側だけきれいに固めた、志望理由書。
私の内側を覗いてみても、初心なんかなくて、空っぽで、それが悔しかった。
働くことはきれいごとではないのだから、その理由が、お金のため、名誉のためであってもいい。けれど私は、それでは納得できなかった。私は、肩書きが欲しいだけなのだろうかと、何度も自問自答した。
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そんなとき、ふと思い出すように見つけたのが、おじいちゃんの残した手記だった。ずっと実家に眠っていて、存在すら忘れていた。それは、おじいちゃんが亡くなったとき、お父さんが冊子の形にまとめたものだった。
その手記には、『我が人生』というタイトルがついていた。家族や友人との思い出。仕事での苦労や学んだこと。すべて読んだわけではないけれど、ぱらぱらと頁を捲っていると、ある文章が目に止まった。
私の内側のもっともっと深いところが疼くのを感じた。
戦争、兄弟の病死、両親の離婚。
ほかにも書くことのできなかった苦しみや悲しみが、きっと、たくさん、あったはずだ。それでも、私の人生は丸儲けである、と書いたおじいちゃんの想い。
人のためになるように、人のために尽くしたい、という想いは、私の中にもたしかに生きている。
空っぽではない。私の全身には、先祖から受け継がれた素晴らしい血が、脈々と流れている。
私が私を否定してしまうことは、そこに息づく先祖の血をも否定することになるから。信じよう。私の直感を、私の内側を。信じよう。私は、たくさんの人たちに守られながら、生きている。
悩むとき、迷うとき、私は、人のためになることか否か、いつもそこに立ち返りたいと思う。それが私の初心だ。
そして、その想いは、私の中にある自然なものだから、あまりそれにとらわれず、力まずにいられたらそれでいい、とも思う。
ただ、生きているだけで、必ず誰かの役にたっているのだから、目に見える行為や結果にとらわれなくていい。それくらい気楽な気持ちで過ごしてゆこう。人のためになるように。
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