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アメリカ旅行記⑤ Los Angeles前編

もう旅行からすっかり時が経ってしまった。このごろは卒論や引っ越し、アルバイトに契約など、やることに追われて自由に使える時間が殆どなかった。サラリーマンになるなんて思ってもいませんでした。

ようやく旅行記は最後の地、ロサンゼルスまで辿り着いた。すっかり昔のことのように感じるが記憶を辿り辿り旅行記を書くのは楽しかった。

コロナで大変なこんな時だからこそ、旅行記を読んでみて欲しい。次いつ旅行に行けるかはわからないけれど、またいつかきっと行けるようになるはず。その時はきっと、とびきり楽しい旅行になると思いますよ。

アメリカ6日目・迄ロサンゼルス、ルート66

(ルート66道中)

部屋の電話が騒ぎ立てる音で目覚めた。機械的で、不快な音だった。最初はここが何処なのか認識できず戸惑った。よくある見慣れない天井の景色だ。

スマートフォンの時計を見て絶望した。12時前。部屋で鳴り響く電話はチェックアウト時間を過ぎていることを知らせる電話だったようだ。チェックアウト時間はたしか10時で、しばらく電話に出ずに全員が寝ていた。

予定が狂うだけでなくチェックアウトにも全く間に合わない、不快な朝だった。ただ、ここまでかなりのハードスケジュールをこなしてきただけあって皆疲れが相当溜まっていたので良い睡眠になったので良かったと思う。

急いで身支度をすませ、荷物を閉じる。旅行の朝、洗面所とトイレの取り合いは熾烈だ。できるだけ無駄のない動きをしながら、空いている場所やモノをできるだけ使う。朝から忙しなく動き回るのは嫌だが、これはこれで、旅行に来ているという感じがしてなんとなく好きだ。

(モーテルの喫煙所)

清掃の人に煽られながらチェックアウトして外にでると、カラッと心地よい空気と地平線まで続く青空に包まれる。Williamsは居心地の良い街だ。車に荷物を積み込み、一服する。旅のルーティーンになってきた。

(この日はモーテルに泊まっていた。チェックアウト時間を大幅に超えていたのに追加料金とかはなぜか取られなかった。)

どうせ今日もじゃんけんで負けると思ったので、運転手に立候補した。まずはサブウェイでランチを買う。英語での注文にも慣れてきた。案外身振り手振りで伝わるものだ。

(日本でもアメリカでもサブウェイは注文がムズイよね)

寝坊した分、時間短縮したいのでサブウェイは車で食べることにした。アメ車を運転しながらサブウェイ。なんかかっこいいけどめちゃくちゃ難しい。

とりあえず目指したのはルート66。

小説や映画、音楽でよく登場するため有名な道路だ。ルート66はアメリカの国道で、中東部のシカゴと西海岸のサンタモニカを結ぶ2347マイルに及ぶ旧道なんだそうだ。

1926年頃から1985年まで国道として使われたのち、州間高速道路が開通したためその役目を終えたが、今なお観光に訪れる人々が多くいる道だ。レトロな感じが残っていて、西部の雰囲気を楽しめる。

ルート66に入って興奮しているなか、全身ブラックの革ジャンハーレー集団に追い抜かれた。ハーレーに男女二人でまたがった集団のツーリングはまさにアメリカ西部といった感じで、洋楽のミュージックビデオのようだった。かっこよくて、楽しそうで羨ましかった。自分は一生やらないだろうなという休日の楽しみ方だ。

(日光とかにあるお土産屋的なノリなのかな)

荒野の旧道をすすむと、急におみやげ屋が集まった観光スポット的な場所が現れる。ルート66に関連した雑貨を売る店が立ち並ぶ。ツアー客もよく訪れるようで、the・アメリカの雑貨屋というような店内の壁にはところせましと様々な人々の名刺や記念写真が貼ってあった。

そうした雑貨屋ではたいてい欲しい物はみつからない。それでも入って中を物色してしまうのは旅行ならではの時間の使い方だ。

ふたたび車に乗り込み暫く走ると、土地が開けてきて文字通り一本道となった。ルート66らしい写真をまだ撮っていなかったので、記念写真を撮るため車を止めて道路で写真を撮った。インスタグラムやフェイスブックでよく見る写真だ。

(よく見る構図、やってみたくなる)

見渡す景色は地平線で空と陸がきれいにバッサリと分けられ、空も荒野も道もそれぞれが違った大きさや色で主張していた。

アメリカの景色という感じで、移りゆく季節とともに繊細に空気感を変える日本の景色とは完全に異なる凄さがあった。

写真にも飽きたところで再び出発した。ルート66を経由して向かうのはカリフォルニア州最大の都市ロサンゼルス。サンタモニカやビバリーヒルズ、ハリウッドなどがある、アメリカでNYに次いで人口が多い都市だ。

ロサンゼルスは”Los Angeles“という綴りの通り、スペイン語で「天使たち」という意味合いがあるらしい。18世期後半に入植した人々がつけた名が縮まりそうした名前になったそうだ。

アメリカは開拓と移住の歴史が根強い。過去にも新大陸としてヨーロッパから多くの人間が開拓と入植を繰り返してきた。その歴史がアメリカの多様性や文化に影響していることは間違い無いだろう。

ロサンゼルスは安全な都市ランキング的なやつには安全度上位で食い込んでいるが、実はダウンタウンの一部などはとても危険な地区がある。ストリートギャングの本拠地もロサンゼルスに多いようで、ロサンゼルスは「アメリカのギャングの首都」と呼ばれるそうだ。

目を覚ますと大きな道路のガソリンスタンドだった。大抵寝ている間に変な写真を撮られるから、今日も沢山撮られているだろう。

みんな腹が減っていて道路の向かい側の駐車場に出ていたタコスの路面店に行ってみることにした。メキシコ方面にも近いこのあたりなら、本格的なメキシコ料理を食べれるだろうという考えだ。

(よく見ると店員に煽られているのが分かるね)

駐車場に入ってみると、フェスとかでよく見る、軽食を売ってるワゴン車が泊まっておりキャンプやバーベキューで友達のお父さんが持ってくる机とベンチが並んでいて、安っぽいのぼりが立っていた。

そのチープさが逆に我々のテンションを徐々にあげていく。注文しようと店の前まで行ったときにかけられた"アミーゴ!!!”の掛け声でトドメを刺された。間違いなく美味しい。この時点でもう美味しい。

テンションMAXで注文を済ませ、受け取ったタコスやトルティーヤは間違いなく今まで食べたそれらの中で一番美味しかった。話したときに店員はメキシコ系の血が入っている、と言っていた。本場の味ってことでいいですよね。

(アミーゴはずるいよお兄さん)

スパイシーなタコスとトルティーヤを堪能して、仲良くなったタコスお兄さんを写真を撮り、再びロサンゼルスを目指し車に乗り込んだ。アディオス、アミーゴ。

アディオスアミーゴ、ロサンゼルス到着

(移動だけで日が暮れたよ)

広すぎる大地を、車で永遠に走っている。地平線は殆ど変わらず、信号もなく真っ直ぐなため、時間と共に空の色が変わっていくのだけがよくわかった。日が昇り、沈むまで空が永遠にグラデーション していることに普段はなかなか気付かない。

友人と旅行をしていても、こうして1人で何かを見て考えることがよくある。非日常で感じたちょっとした発見や感覚は、掘り起こしていくと思い掛けない発見に繋がったりもする。価値観を大きく変えることもある。

だからこそ、こういう時は友人といても感じたことを辿ってみたりするのが好きだ。1人でいる時よりも、友人といる時にふと訪れるこうした一瞬の違和感は多分、大事な何かに繋がると思う。まだ上手く言語化できないけれど。

ロサンゼルスに近づくにつれて道が広く、車が多くなってくる。ついさっきまで電波が途切れるような僻地にいたから、変な感じだった。遠くぼんやりと見えるビルの明かりは久々に文明を感じた。

(高速で停車なんて日本でもしたことないわ)

ビル群目掛けて夕暮れのハイウェイをぶっ飛ばしていたが、友人の1人が尿意の限界を訴え、暗闇の荒野で車を停めた。男はこういう時便利だ。

もうすぐロスというところでまたガソリンスタンドに寄った。アメ車は燃費が悪すぎる。

ガソリンスタンドの喫煙所でアメリカ人が話しかけてきて、少し話すと、「君たちは英語が上手だね」と言ってくれた。と思うと次の返事からもう聞き取れない様子だった。なんやねん。

このあたりからいつも一番元気な友人があまり動かなくなってきた。実際彼はウィリアムズあたりから体調を崩していて、明らかに具合が悪そうだった。こんなハードな旅で体調を崩さない方が難しい。

ロスの100車線くらいあるawesomeなハイウェーを駆け抜け、宿に向かった。なんといっても車線が100レーンくらいあるので、目的の出口へ向かうのは至難の業だった。夜の高速道路は日本もアメリカも変わらず良いものだ。

(正直ハンバーガー飽きてきた)

腹が減ったので気になっていた"In-N-Out Burger"へ行った。注文を受けてから調理を始める、新鮮さを売りにしたハンバーガーだ。ポテトに至ってはじゃがいものカットから始めるらしい。悪く言えばアメリカらしさはない。

体調を崩した友人は車で寝ていると言うので、四人で店に行った。何にしようか迷って、定番のチーズバーガー的なものを頼んでいたら隣で友人が「裏メニュー」たるものを注文していた。

裏メニューを事前に教えてくれなかった友人に文句を言ったのを覚えている。「裏メニュー」なんて言われたら食べたいに決まっている。

アメリカンな部分を削ったファストフードを食べたあと、宿に向かわずカジノに行くことに。夜すぐに宿に行かないのは本当に悪い癖だ。

カジノの喫煙所で偶然であった日本人のマダムが「バカラはバカでも勝てるからバカラっていうのよ。あんたらバカラで賭けてきなさいよ!」と言っていたので、バカラでバカみたいに賭けてみたらすごく勝った。

我々は一部を除きラスベガスでかなり負けていたのだが、ロスのバカラでバカみたいに勝ち、ロサンゼルスの負け分を加味してもかなりプラスに転じた。マダムありがとう。出会いに感謝。皮肉なことに、カジノが大好きな彼はブラック・ジャックで力尽きて車で寝ていた。

疲れも吹っ飛びウキウキな気持ちで向かった本日の宿は、Orangeという地域だ。ロスからサンタ・アナ・フリーウェイを南東に飛ばして20分くらいの位置にある。高級住宅街の雰囲気だ。

(リラックスできる宿でした)

宿はとても良いところだった。部屋が2つとバスルームが2つ、広いリビングとテラスが2つ。リビングには大きなソファがあった。

最も重要なベッドはやはりひとつ足りなかった。と思ったらクローゼットから謎のエアベッドが発見され、初めて全員が一人でベッドで寝ることができた。今夜は珍しく運命のジャンケンで快勝し、フカフカのベッドをゲットすることができた。

1人で寝るのは何日ぶりだろうか。シングルベッドが広くて寂しく感じるくらいにはおかしくなっていた。日本に帰ったらジャンケンの修行をしようと決心した。(今でもジャンケンでは負けるし、男気ジャンケンでは勝つ。)

今夜もリビングでリラックスタイム。リンキン・パークはすごく飛ぶことがわかった。numbとかちょっとヤバいとこまで飛ぶ。

リンキン・パークは中学生の頃から大好きなバンドだ。チェスターが死んでしまった時は本当にショックだった。天才と呼ばれる人は若くして死んでいく。天才故の苦悩というやつなのだろうか。凡人の自分には一生理解できないのかもしれない。

リンキン・パークはここ、LAで結成されたと聞いた。まさかLAで聴くことになるとは思ってもいなかった。先のことはわからないものだ。

今夜もリビングはひどい有様だ。久々に1人でベッドに入り、明日からの本格的なLA散策に胸を躍らせながら眠った。もう明け方。まだ続きます。

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