ハリポタの作者はサルトルの影響を受けている!?

岡田先生が言うところの二次創作、ある作品の解釈を制作者の意図をも拡大することによって新たな意味や価値が生まれるという…

俺が大学の哲学で習った限りだとサルトルは選択の自由について論じているんだよね。

それが実存主義だと。これは20世紀の哲学として紹介されて比較的新しい思想である、と。

ハリポタのJKローリングは明らかにこの実存主義の影響を受けているんだと思うんだよね。知ってか知らずか。

ハリーポッターと秘密の部屋でダンブルドアがハリーに言った。「僕はスリザリンに入るべきだったんだ」でも帽子はグリフィンドールを選んだ。それはなぜ?「僕がそう望んだから」

「それじゃ」
「それが君とヴォルデモートの違いじゃ」

校長:
「人が何者であるかは運命によって決まるのではない、どんな選択をするかだ」

これが僕の大学で習ったサルトルの弟子に対する言葉と酷似しているんだよね。

詳しくは覚えてないけど、

内戦中?
だったかに母親と恋人の二人がいて、二人は離れたところにいる。どちらか一方しか助けられない。

そういった状況で、弟子は
「サルトル先生!僕はどちらを助ければいいですか?教えて下さい…」

するとサルトルはなんて言ったと思う?

「君は自由だ。選択したまえ」

って言ったんだよ。無責任って思う?

いや、俺はこれを講義で聞いて物凄く感銘を受けたんだよ。すげぇな。って。

確かに人に何言われようと最終的には自分で決めて行動するしかないんだよね。

そんなサルトルの思いやハリポタの原作はどうなっているのかを知りたくなって、サルトルの「存在と無」とハリポタの原作を買ってみようかなって思ったんですね。

まだハリポタは買ってないんだけど、買ったらまた更新するかも。

それではまた。