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子どもの成長は誰が決めるものなのだろうか

研究している中で
仕事している中で
ふと手が止まってしまって
今ここに書きたい思いがあった。

日常生活において
何かしらの困難さがある子どもたちの
“できない“部分を
自分は一方的に見つけて
そこだけに関わっていないだろうかと。

留学中に読んでいんた、この本。

この本を最近また読み直している。

自閉スペクトラム症のうちの一つ
アスペルガー症候群の著者が、
経頭蓋磁気刺激法
(Transcranial magnetic stimulation; TMS)の
治験に参加した体験談を記述した本です。

TMS治療による利点や
いわゆる健常者の世界を
体験したことで得た新しい視点など
さまざまなことが記述されていて
とても面白い体験記です。

この著者の経験の中で語られていたのは、
いわゆる普通の人と同じように
世界を認識できるようになったことは、
良いことばかりではないということ。

どうしても、
何かしらの病気や疾患が原因で
“できない“または”苦手な”
ことのある人がいれば、
その部分にフォーカスを当てて
その人と関わるのが
一般的なリハビリテーション職の
あり方かと思う。
(そうでないという意見もあると思うが。)

ただし、出生する前に
何かしらの問題が生じたことで
その後も継続的に
“できない”または”苦手な”
ことのある人の場合は
どこか違うんじゃないか。
彼ら/彼女らの世界は、
生まれてから
その状態なんだと。

前に書いた、スピノザ哲学のこの記事。

「自由」とは
与えられている条件のもとで、
その条件に従って、
自分の“力”をうまく発揮できること。

小児リハビリの視点は
とにかく、良くしよう、良くしよう
という概念から
ハンドリングや治療法を
発展・開発しているのが現状なんだと思う。

でも、こっちが思ったように
子どもは動いてくれないし
変わっていかない。

自分はまだ子どもがいないけど、
親御さんの話を聞いてると
「言うことを聞いてくれない」とか
「勉強しなさいと言っても勉強しない」とか
親御さんの思った通りにも
子どもは行動しない。

子どもは子どもでも
そもそもはヒトなんだと。
子どもだって思考するし、
子どもだって意思がある。

ここで、最初の自分の疑問に立ち返る。

日常生活において
何かしらの困難さがある子どもたちの
“できない“部分を
自分は一方的に見つけて
そこだけに関わっていないだろうか。

たぶん、イエス。
子どもの意図を意思を
ちゃんと汲み取らないといけないし、
その中で何が苦手なのかを
どうやったらできるかを
きちんと伝えてあげることが
自分の仕事なんだと。

そして苦手なこと、できないことの
共通点を見つけ出して
どんな手助けが有効なのかを探し出すのが
自分の研究なんだと。

子どもの成長は誰が決めるものなのだろうか

自分でもないし、
親でもないとも思う。

それは子ども自身であって
その成長のための環境を
調整することができるのが
自分や親なんだと。

子どもを思った通りに変えようなんて
おこがましいんじゃないか。
とさえ思う。

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