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山村留学で得られる学びってなんだろう【山村留学インタビュー ~邑上 貴厚さん後編~】

こんにちは。トガプロ3年のなおとです。
今回は前回に引き続き、公益財団法人 育てる会の邑上 貴厚(むらかみ たかひろ)さんにインタビューしていきます!
山村留学の最前線で働く邑上さんと考える、子どもたちとの関わり方とは?
山村留学のリアルに迫っていきます!


前編の記事は以下から読むことができます!


第1回の山本光則さんのインタビューに引き続き、第2回目の山村留学インタビューです。
(第1回の記事は以下から確認できます!)

今の子どもたちに、山村留学が必要な理由
【山村留学インタビュー~山本光則さん前編~】

利賀村ならではの温かさとこれからの挑戦
【山村留学インタビュー~山本光則さん後編~】

子どもたちに学んでほしいこと

なおと:山村留学の子どもたちにどのように成長してほしいか、そのために何をしているかを教えていただきたいです。


邑上さん:どのようになってほしいかというと、育てる会の中で共通認識としてあるのは活力ある子どもですね。とにかく生き生きと過ごしていけること。その中で我々は、子どもたちの創意工夫を削いでしまうものを遠ざけているんですよ。例えば漫画だとか、ゲームだとかメディアとか、なにも考えずに娯楽を享受してしまうものは子どもたちから離しています。その中でも自分たちで楽しみを生み出したり、何もないところから生み出す子どもになってほしい。最終的には自立になるんですけど子どもたちが自分の足で立っていける、生きていける人になって欲しいと考えています。あと、生まれた街とは別のふるさとというのを持てるようにとも思っています。
そのためにやっているのは、例えばキャンプの活動一つとっても何でもかんでも大人が手出しするというのはしていません。一般的な学校の飯盒炊爨とかだと、必ず成功をゴールにする。けどうちは、必ず皆が成功しなくてもいい。失敗したって良い。失敗する中で自分で考えて欲しい。何がいけなかったのかを考えさせることを意識しています。畑や田んぼの活動だって、種植えて収穫しておしまい、ではなくて水やりなどの面倒な作業もやってほしい。そういう大変なこともやって達成感を味わって欲しいと思います。

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(芋掘りの様子。さつまいもを見つけて喜んでいるそう!)

邑上さん:あと、みんなで協力することも学んで欲しいですね。みんなで協力するということは自分自身がどう動いたらいいのか?とか、自分の役割はなんだろうか?というのを自分で考えて自分で動いていけることにつながります。そういう風になっていくように少しずつ声かけをしながらやっていますね 。うちの会の理想像は指導員はただ後ろから見守るだけっていうのが、本当は理想なんですよ。我々指導員は子供を前に引っ張っていく存在ではなくて、子どもたちが自分で生活を作って自分で活動の中身を広げていって、その中で大人が関わるのは最初に動機付けをして後は後ろから命を守るだけ、というのが理想です。

なおと:介入しないという難しさもあると思いますし 、指導員側が学んでいくところも多いんじゃないかなと思うんですけど、介入しないことに対して、特に何かここで苦労したなとかということはありましたか?

邑上さん:やっぱりこう(子どもが)困っている時とかに、「あとちょっと頑張ればできるんだよ」と思いながら、手を出すか出さないかみたいなところでモヤモヤすることはありますね。ここで言っちゃったらその答えを出してしまうことになるから、子供の考えを止めてしまう。どこでそれをやるかというのが難しいところですね。やっぱり一人一人によって全然到達できるレベルが違いますからね。そこはもう子供と接していく中でこの子だったらこれぐらいはできるだろうという加減を読みながらやっていくんですけど、ちょっとこれはその子には難しすぎたかなとか、逆にちょっと物足りなすぎたかなとかっていうのを反省と成功と繰り返しながら取り組んでいます。

なおと:デジタルから離れた山村留学生活を行ってみて、何か(利賀村出身の)他の子どもたちと山村留学の子どもたちで違うなというところ、村の子どもたちの変化・成長はどのように感じていますか。

邑上さん:やっぱり山村留学をしていくと、どうしても自然の中で何かをするということを基本に生活するわけですよね。地元の子たちと比べて都会から来た子たちの方がなんでも知っているとか、田舎の自然のことを知っていたりとかそういうことがあるので、遊んだりする中でお互いに良い影響を与えられたらいいなと思ってますね。ちょうど利賀の子ども達は、みんな留学生と同じくらい色んなことをやっている子が多いので、利賀の子どもたちと留学生が一緒になってみんなで自然の中で遊んだりしてもらえたら一番いいなと思います。

なおと:都会の子たちはデジタルと関わってから移動してきたと思うんですけど、逆に田舎の子たちがデジタルに興味を示すことはありましたか。

邑上さん:昔だったらデジタルに関するギャップって結構大きかったと思うんですけど、今こうやってインターネットが普及して、むしろ田舎の子たちの方がそういうところに親しんでる子たちってすごく多いと思うんですよね。やっぱり田舎の子たちって隣近所に子どもがいないので遊びに行くとか一緒に遊ぶとかっていうのがなかなかできない子たちが多いと思うんですよ。親の送り迎えがないとダメだったりとか、同じ学年の子と遊びたいって思っても5km圏内に友だちがいないとか、そういう中でいるので、その辺について多分大きなギャップはないと思っています。今の子どもで都会に住む子も田舎に住む子も同じぐらいメディアとかデジタルというのは享受してるものだと思っています。

だからこそ山村留学生が地域の中の本当の良さ、自然の豊かさを知って、他の人に波及していって欲しい。それがきっと地元の子たちも改めて自分たちの所ってこんなに素晴らしい場所だったんだって知れるんじゃないかなって思います。

皆さんも実家に住んでたりすると、例えばそこが大きな観光地だったりしてもそんなに魅力って感じないじゃないですか。それと一緒で外部の人からそういうことを言われて、初めてそんなにいいところだったんだって気付くことはあるんじゃないかなと思います。

なおと:地元って外からの視点とかがあると何かいいなって思ったりします。

山村留学の未来を見つめる

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(保護者の方も一緒にラジオ体操する様子。)

のもと:山村留学に対する中で今後の目標とか夢とかはありますか。

邑上さん:一番の目標はやっぱりここがずっと続いていくことですよね。これまで衝撃だったのは2年前まで勤めていた学園が、5年後ぐらいを目処に学校の統合話が出ていたはずなのに、トントン拍子で学校の統合の話が進んで閉校になった結果、山村留学自体もなくなったことがありました。学校がなくなって山村留学がなくなってしまうことはある意味仕方がないことではあるけれど、できるだけ長く山村留学というのが続いていって欲しいなと思います。そのために自分たちもできる限り地域に関わっていきたいし、(山村留学生の)子どもたち自身も地元の地域の方々から受け入れられていく中で山村留学ってこの地域にとって大事だよねって思ってもらえるようにしていくことが大きな目標です。30年以上続いて欲しいなとか思ってたりもします。

のもと:それは利賀村の山村留学が、ですか。

邑上さん:そうです。育てる会が関わっている山村留学で長いところはもう45年近くになるところもあります。それぐらい根をはることができればいいなと思いながら活動しています。

のもと:30年後の利賀村がどうなっているのかというのは楽しみなところですね。

邑上さん:そうそう。今(利賀村で山村留学に参加している子たちは)1期生じゃないですか。その子たちが大人になって、子供も出来た時に(留学)センターが残っていて欲しいんですよね。利賀村に山村留学がずっと残り続けて私たちが育ったんだよっていうのを自分の子どもとかに語り継いで行けるような場所であってほしい。やっぱりその帰る場所として残り続けていたいっていう。なんならいつかこっちに誰かが移住しても面白いですよね。

のもと:利賀村って他の過疎地域とはなんかちょっと違うのかなって思っていて、過疎地域なのに活気があるし限界集落なのに人が集まる不思議な場所だなと思うんですけどそういう場所に来たからこその邑上さんご自身の変化はありますか。

邑上さん:なんだろう。ここだったら家族持ちたいなって思いました。同世代も多いし、いろんな意味でちょうどいいところだよなって思ったりしています。なんでですかね。何か根拠があるわけじゃないんですけど、ここで自分の居を構えていいよなとか。

のもと:暮らしやすさとか周りの人がお互いに助け合うようなところとかは、もし子どもが出来ても育てやすいと感じるのかもしれないですね。

邑上さん:そうだと思います。あと、未来が明るいなと思うからこそこういう田舎にいたいなって感じます。田舎で暮らしたいっていう思いはずっとあったのでそういうところですかね。

のもと:今の邑上さんにとって利賀村はどういう場所ですか。

邑上さん:まだここに来て5ヶ月間しか経ってないんですね。だから正直なところ、あまり実感はわいていないです。山本さんはもうここに1年以上いるから色々出てきたかなと思うんですけど、多分我々はまだ全然。でもこれからが楽しみというのはありますね。

のもと:これからが楽しみってなかなかないのかなと思いました。限界集落とか過疎とか日本の中ではそういう言葉って、なくなっちゃうみたいなネガティブなイメージを持たれがちですし。それとは対照的に、これからが楽しみというのはすごく明るいなという。

邑上さん:10年後辺りに利賀ダムが完成してトンネルができるじゃないですか。そしたらもっと便利になるなって。それができることによってみんなどこか行ってしまうのではなく、逆に人が増えていく場所になるんじゃないかなと思ったりもします。
夏に(南砺)市内の子を集めて活動した事があってその中でバスに乗ってくるわけです。そうすると市内の子も初めて来た子がほとんどだったんですよ。「(利賀村の)手前の平村だったらここはスキーに来たことあるよ、でも利賀まで来るのは初めてだ!」みたいな。他の地域と比べてなかなか行く機会もないんだろうなと思うけど、ダムができてくれればもっと近くなるし、近くなる場所がいいところなんだっていうのを我々が広めていけたら一番いいなと思います。市内の人にももっと認知してほしいです。

山村留学は自然を学ぶだけの場ではない


のもと:少し話戻りますが、小学生の頃に山村留学を経験されてたっておっしゃってたじゃないですか。その時の経験とか感じたことってずっと大人になるまで大切にし続けてたのか、それともふと大人になってから自分の人生振り返った時にあの山村留学に参加したことが自分にとってすごく良い経験だったなと思ったのかどちらですか?

邑上さん:山村留学後も、身に付けた生活習慣とかが最初は出てくるんですよね。でも、結局実家で過ごし始めればそんなことは戻ってしまう。
けれどもその中で絶対消えなかったのが、自分自身の両親に対してすごく愛情を感じたっていう、感謝の気持ちが持てるようになったというのが大きかったんです。普段当たり前のように色んなことをやってもらっていたところから離れた生活を3年間すると、それがすごく特別なものに思えました。皆さんも一人暮らしとかされた時に親の存在の大きさに気づくと思うのですが、私はその経験がすごく早く来ました。

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(雪まみれになりながら楽しく遊ぶことも…!)

あとは、多少のことではどうしようどうしようとはならなくなったかな。何とかなるよみたいな心持ちになれたというのは大きい気がします。例えばくだらない話ですけど、大学時代に飲み会に行って終電逃しちゃった時に、自宅まで30kmあるけど、別に歩いて帰ればなんとかなるかみたいな。多少困難な状況に陥ってもまあまあなんとかなるでしょっていう自信みたいなのがついたというのはありますね。

のもと:小学生にしてそのタフさが身についたっていうのが凄いですね。今でこそ動物の関係とかでそうはいかないですけど、(山村留学)入園2日目ぐらいで一個上の子に連れられて山の中で迷ったこともありました。その時は自分はまだ来たばっかりで泣いて泣いてしょうがなかったけど気づいたら帰ってこれてたとか。そういう小さな積み重ねがなんとかなるさっていうところに結びついたのかなと思って。

邑上さん:そんな感じですね。当時は、それぐらい自分たちでなんとかしなさいよっていう生活だったものですから。今でこそ動物の関係とかでそうはいかないですけど、(山村留学)入園2日目ぐらいで一個上の子に連れられて山の中で迷ったこともありました。その時は自分はまだ来たばっかりで泣いて泣いてしょうがなかったけど気づいたら帰ってこれてたとか。そういう小さな積み重ねがなんとかなるさっていうところに結びついたのかなと思って。

のもと:その時の体験があったからこそ、今の指導員としての繋がりが大きいんですね。

りょう: 邑上さんご自身の目標で、山村留学が30年以上今後続いていって欲しいというお話があったと思うんですが、ご自身が山村留学の指導員として(山村留学が)今後続いていくために自分の中でやってみたいとか今後関わっていきたいことというのはありますか?

邑上さん:今はまだ完全に形にはなってないんですけれど、山村留学生という中で閉じたものだけになってほしくないなというのは思っています。できるだけ地元の子が参加できる活動ができるようにと思って準備をしています。地域と山村留学のつながりを出来る限り持って行けたらいいのかなと思ってそこは今取り組んでいるところですね。


以上で【山村留学インタビュー〜邑上貴厚さん後編〜】は終わりです。

とにかく子供たちの成長を第一に考え、指導員としても試行錯誤しながら成長していく邑上さんの姿がかっこよく思いました。利賀村が子供たちの第2の故郷となり、帰る場所としてあり続けるためにも、今後も山村留学が長く続いて欲しいと思います。


全3回にわたる山村留学インタビューも次回がラストです。最後に登場するのは、指導員の山本将寛さん。フレッシュな視点から、様々な話を聞いていきたいと思います!

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