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枠の中の自由・制約が生むクリエイティビティの真実

タンゴもそうですが
アート、音楽、ダンスといった創造的な活動は、一見すると無制限の自由があるかのように感じられます。しかし、よく考えてみると、その自由は実はある「枠」の中で繰り広げられています。

例えば、音楽には五線譜があり、特定の音階やリズムに従います。
それでも、その制約の中で作曲家やミュージシャンは独自の美しいメロディや和声を生み出します。同様に、絵画にはキャンパスの大きさや形、そして使える色の種類があります。それでも、アーティストはその制限を超えて感情やメッセージを表現する方法を見つけます。

ファッションにおいては、
素材や縫製技術、そして着る人の体型といった制約がありますが、デザイナーはそれらをクリエイティブに解釈して新しいスタイルを創造します。

文学も例外ではありません。
文字や言語という制約の中で、作家は心に響く物語や感動的な詩を書きます。実際、制約があるからこそ、その中でどれだけオリジナリティを発揮できるかが重要になるのです。

スポーツにおいては、ルールやシステムという「枠」がありますが、そのルールの中でどれだけ優れたプレーを見せられるかが問われます。

ダンスもまた、ステージの大きさや形、さらには重力という自然の法則に縛られています。しかし、ダンサーはそれらの制限を活かし、時にはそれに挑戦しながら美しい動きを作り出します。

そして タンゴも然り
相手という枠ができますが、そこから無限の広がりを感じられます。

このように考えると、「枠」はクリエイティブなプロセスにおいて必要な要素であると言えます。制約は、逆に言えば、その中で何が可能かを探求するための「遊び場」です。だからこそ、枠が存在するからこそ、私たちはその中での自由や無限の可能性を楽しんでいるのです。

矛盾しているように思えるかもしれませんが、制限があるからこそ、それを超える方法を見つける喜び、新しい何かを創造する過程において真の自由を感じられます。

最終的には、枠の中での自由が、
無制限の自由よりも価値のあるものになることが多い。

枠が自由を生む源泉と見方を帰ると
違った世界が広がってくる。


GYU


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