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【note創作大賞2024】スカートとズボンの話 〈2〉ブロークンユース

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第2話 ブロークンユース

2002年

「ヒロヤも、結婚するらしいよ」
「へえ。あの彼女と? 隣のクラスだった」
「そうみたいよ。らしいよな」
「らしいねー。なんだかんだ言って、王道外さないタイプ」

 そうそう、わかる。王道を外さない。
 少しだけチクッとする思い出を胸に、わたしは横でうんうんと頷いた。

 わたしは、高校3年のクラスの友達と飲んでいた。サヤカが結婚することになり、その報告会だ。サヤカは、短大時代からつきあっていた彼氏とゴールインすることになったのだ。

「結婚する人増えてきたね。サヤカもかあ」
「いいなあ。わたしも早くしたいよー」

 結婚。わたしは、あまり興味がわかなかった。
 わたしには、誰かと人生や選択を共にしていくということが、どうにもピンとこないのだ。
 親や目上の大人たちがあてにならないことは、就職活動で身にしみていた。自分の親の言うことすらろくに聞かないわたしが結婚して、夫やその親とうまくやっていけるとは思えなかったのだ。


「おー来た来た。お疲れー」
 遅れて入ってきたのはヨシカワだった。

「結婚おめでとう」
ヨシカワはサヤカに、声をかけた。
サヤカはニッコリした。
「ありがとう」

「『できちゃった』なの?」
「ちがいます」
 サヤカは目を見開いて、ヨシカワをにらみつけた。

 いきなりそれは、なくない!? と可愛らしく憤慨するサヤカを意に介さず、ヨシカワは懐をさぐって、あっタバコ切らしてた、ちょっと買って来るわ、と来たばかりなのに踵を返し、店を出た。


「ヨシカワ、やせたね。仕事大変なのかな」
いなくなると、誰からともなくそんな声が出た。

「大変だよ。だってあいつ、あの会社だよ」

 答えたのは、ナカムラという男子だった。成績がよく、近県の国立大を出ていた。ナカムラが口にしたのは、とある消費者金融会社の名前だった。

「俺の大学からも、そこに入ったやつがいるんだけどさ」
「お前の大学から消費者金融?」
「そうだよ。だって就活めちゃ厳しかったじゃん。ていうかヨシカワだってけっこういい大学出てるだろ。あの会社、ゴールデンタイムにバンバンCM流してるしさ。景気いいんだよ。でも仕事はエグいらしいぜ。債権回収? 取り立てみたいな…… まあ、ヨシカワがそういう仕事なのかはわからないけどさ」


 そんな話をしているうちに、ヨシカワがタバコを買って席に戻って来た。
 皆がワイワイと騒ぐ中で、料理に手も伸ばさず、ひたすらタバコを吸っては焼酎を飲んでいる。

「ねえ華ちゃん、1人暮らしどう? お店の近くに引っ越したんでしょ」
 サヤカがわたしに話を振った。わたしは、1人暮らしを始めたのだ。

 サヤカが、はなちゃんのお店知ってる? 吉祥寺のmerメルbleueブル だよ、有名なんだよ、とやたらに持ち上げるので、わたしは少し居心地が悪くなったが、幸い皆の反応は悪くなかった。mer bleueはおしゃれが好きな女子にはよく知られる存在になっていた。

「ねえ、ヨシカワも吉祥寺じゃなかった?」
 誰かに言われ、え、とヨシカワはふいをつかれたようにこちらを向いた。こちらの話は聞いていなかったのだろう。芋焼酎のボトルは、残りがもう半分以下だった。


 帰り際、わたしはヨシカワをつかまえて声をかけた。
「ねえ、吉祥寺に住んでるの? 今度ご飯か飲みに行こうよ」
 え? うんいいよ、行こう行こう、とヨシカワは頼りない口調で答えた。

「女子だけじゃ入りにくい店があってさ。つきあってよ」
 うんうん、と頼りない様子でヨシカワは答え、わたしたちはメールアドレスを交換した。絶対記憶ないな、とわたしは思った。何しろ、1人でほぼ1本、芋焼酎のボトルをあけている。

 高校を卒業してから何度も会ったわけではないけど、ヨシカワの様子は明らかにおかしかった。最初こそサヤカに軽口を叩いていたが、その後はほとんどろくにしゃべらず食べもせず、酒とタバコばかり口にしていた。

 ナカムラの話も気になった。自分が力になれるとは思わなかったけど、とにかく心配でほっておけなかったのだ。


「吉祥寺はいいよな。仕事からここに帰ってくると、ちゃんと人間に戻ったって気がする」
 そんなことを言ってヨシカワは、瓶ビールをわたしのコップに注いだ。

 2週間後の土曜日、わたしたちはこの街で待ち合わせた。あの後メールをしてもヨシカワはやはり何も覚えておらず、要領を得なかった。でもすぐに快く、わたしの誘いに乗ってくれた。

 現れたヨシカワはこの間のくたびれきった彼とはちがい、さっぱりとした顔をしていた。わたしは、大きな公園の近くにある焼き鳥屋に行きたい、とリクエストした。煙がもうもうと立ち込める、古くさくて開放的で大きな店だ。美味しい焼き鳥が、1本80円で食べられる。

 人間に戻るって、なんなのだろう。やっぱり、そんなに仕事が過酷なのか。でもわたしは、仕事のことは向こうから話し出さない限り、聞かないことに決めていた。

 窓ぎわのテーブル席に座ったわたしたちは、開いた窓から外を眺めた。公園への道がすぐそこにあり、通行人がよく見える。
 思い思いの服装の人たちにまじって、制服を着た女子高生が何人か通る。彼女たちは相変わらず元気で、スカートが短い。

「女子高生はどこ行ってもあんなだな。土曜日なのになんで制服なんだろうな」

「高校の頃うちの母にね、あんな格好をしたらいやらしい目で見られるだけよ、ってよく言われた」

「そうなんだ。俺なんか華のこと、いやらしい目でしか見てなかったけどな」

 わたしは、飲んでいたビールをブッと吹き出しそうになった。

 むせるのと笑いをこらえて伏せた顔をあげると、ヨシカワはなんだかとても優しい顔で笑っていた。

「大丈夫? ごめん俺、相当気持ち悪いね」

 わたしは首を振って、大丈夫だよ、と答えた。


 わたしたちは夜が更けるまで居座った。ヨシカワに仕事の話は、聞かなかった。
 わたしたちの家の方向はバラバラだったから、ヨシカワは、わたしの家の近くまで送ると言った。この街は、中心部を通り過ぎると途端に暗く、静かな住宅街になる。


 わたしは歩きながら、ヨシカワの手をつないだ。酔っ払って気持ちがよくなるとわたしは、時々こういうことをしてしまう。

 信号のない交差点で車が横切って、わたしたちは立ち止まった。

 目が合って、どちらからともなくキスをした。
 いちど唇を合わせて離して、また繰り返して、誰もいない夜道で互いに止められなくなり、わたしたちはしばらくそうしていた。

 そのままヨシカワは、わたしの部屋に来た。わたしたちは抱きあって、ヨシカワはわたしのTシャツをまくりあげ体にふれた。ベルトやジーンズの下腹が痛いくらいにあたり、わたしは思わずそこに手を伸ばした。
 欲求と心が動くのとどちらが先だったのか、お互いにわからない。わたしにとっては、どちらでもよかった。
 ヨシカワの欲求がわたしにまっすぐに向けられることが、うれしかった。それでわたしは満たされて、豊かになる気がした。


 それからわたしたちは、お互いの部屋を行き来するようになった。
 ヨシカワはいつも深夜まで仕事をしていたから、会うのは週末だけだった。夜遅くなっても会いたかったが、平日に押しかけると、あのボロボロになった彼を目の当たりにしそうで、わたしは怖かった。

 週末でも時おり、疲れた顔をすることがあった。仕事忙しいんだね、とわたしが言うとヨシカワは、忙しいのかなんなのか、と力なく言うだけだった。


 「兵士だね、華の彼氏は」
 ミシンを踏みながら、耀子ようこさんはそんなことを言った。

 兵士? わたしは聞き返した。

「戦場の兵士と同じ。彼らがやってることは残虐だけど、それをやらせているのは国でしょ。兵士は従うだけ。サラ金もやってることはエグいけど、社員はそれに従うしかないわけでしょ」

 あっ今、サラ金って言わないのか。なんて言うんだろう、とぶつぶつ言いながら、耀子さんは縫いかけの服をかざして眺めた。

「そんなにエグいのかな」
「わからないけどね。でも商売してるとさ、いろいろな話を聞くよ。回収される側のね」

 そして耀子さんは、こんなことを言った。

「兵士の精神的ストレスって、ひどいらしいじゃん。ベトナム戦争とか湾岸戦争の帰還兵がそうだったって。一緒にするのもなんだけど。彼氏、大丈夫?」


 わたしは夜中に目を覚ました。隣で眠っていたはずのヨシカワはベッドの脇に座り込み、ベッドにもたれかかって眠っている。目の前のテーブルにある灰皿には、吸い殻がたまっていた。

 わたしと眠りについてもヨシカワは、すぐに目が覚めてしまう。目が覚めるとタバコを吸いながらぼんやり起きていて、いつしかまた、こんな風にうたた寝のように眠る。わたしは吸い殻に火がついていないか確認して、ヨシカワに毛布をかけた。

 夜中の3時だった。つけっ放しのテレビでは「翌朝まで生テレビ」という老舗討論番組をやっている。
 画面右上のテロップには
「激論!ド~する?!『制定10年・女性下衣選択法』」
とあった。

 あれから、もう10年か。

 画面に映るショートカットの女性がフリップを片手に、滔々と話している。

「本法制定後、単筒の女性と複筒の女性の各種データの概要が、こちらでございます。単筒の女性の就職率は、30代で著しく下降し50代で緩やかに上昇するという、典型的なM字カーブを描いています。一方複筒の女性はこの下降があまりなく全世代で就職率が安定している一方、婚姻率が単筒女性と比べ、有意に低下しており……」

 大学の同級生の、サトウさんだった。彼女は気鋭の若手論客として、有名人になっていた。主張は専ら「女性下衣選択法撤廃」だ。大学の頃からこれは、ゆるがない彼女のテーマなのだった。

「データは承知した、しかしこれは、本人の選択という大前提があるね。大部分の女性は単筒を選択した、つまり女性は仕事より婚姻を選びたい、ということを表しているんではないかという見方がある。これに対してあなたはどう説明する?」
 司会のベテランジャーナリストが、サトウさんに鋭く指摘した。

「それには強く反論します。なぜなら特に若年女性の単筒選択には、両親の意向が深く関わっているというデータがあり……」

 わたしは、彼女が好きだった。
 ずば抜けた弁舌、そしてどんなにアウェイでもまったくめげない精神。お友達になりたいかは別として、その強さをわたしは尊敬していた。
 エキセントリックなところはあるけど、少なくとも、利口なつもりで彼女を見下して笑っている子たちなんかよりは100倍立派だ。そうわたしは思っていた。

 でも今のわたしは彼女に、あまり共感できなかった。言っていることが間違っているわけではない。わたしがこの法律に、すっかり興味を失っているのだ。

 この10年の間、世の中の景気は悪化するばかりだった。有名な銀行や証券会社が次々潰れた。治安も悪くなり、今まで聞いたことがないようなテロや凶悪事件も起こった。そんな世の中で、女性下衣選択法は「たかが女性の服の話」扱いされるようになっていた。

 自分が自由に服を選べないとかそんなことより、mer bleueがこれからも人気を維持するにはどんな服を売り出していったらいいのか、そして、過酷な職場で疲れきった彼氏が、どうしたら元気になるのか。わたしにとって、そちらの方がよほど重要だった。

 ヨシカワが目を覚まし、気だるそうに身を起こした。画面を眺め、興味がなさそうにリモコンを手にとり、チャンネルを替えた。

「あ、ごめん。観てた?」
「ううん全然。ボーッとしてた」

 替えた番組は、旅番組の再放送だった。沖縄の海が映っている。宮古島だ、とヨシカワは言った。学生時代、夏休みの度にアルバイトで訪れていたことを、ヨシカワはこれまで何度も話してくれた。

 行きたいなあ、沖縄。行くかあ。ヨシカワはつぶやいた。

「華も、行く?」

「行きたい、行きたい」

 ポツンと出てきたヨシカワの言葉に、わたしは食いつくように答えた。

「行こうよ、今度の夏休み絶対行こ。宮古島も本島も。宮古島でダイビングしたいな。海行ってシュノーケルして、沖縄料理たくさん食べて、泡盛も飲んでみたい」

 ヨシカワは、はしゃぐわたしをボーッと眺め、うん、と短く返事をした。せっかく誘われてうれしかったのに、わたしは、梯子を外されたみたいにポカンとしていた。


 新宿の駅ビルで催事があり、mer bleueが出店することになった。わたしは1人で出張し、催事にあたることになった。

 新宿には、ヨシカワのオフィスがある。帰りに待ち合わせて一緒にご飯でも食べよう、とわたしはメールを送った。ヨシカワは、何時に終わるかわからないけど、時間が合えば、と返事をした。


 催事の片づけが終わったのは、21時頃だった。ヨシカワにメールを送ると、22時くらい、とひと言だけの返信があった。わたしは時間をつぶし、22時にもう一度メールを送ったが、返信はない。
 わたしはあてもなく、西口コンコースの交番の前に立って、ヨシカワのオフィスがある方向を眺めていた。

 20分くらいして、ヨシカワの姿が見えた。その姿はJRの改札ではなく、鉛色のコンコースを横切り、別の方向へとずんずん歩いていくのだった。

 ヨシカワは、見たことがないくらいおっかない顔をしていた。わたしは夢中で彼に走り寄って、その腕をつかんだ。

「どこに行くの」

 腕をつかまれたヨシカワは、魂が抜けたような呆然とした顔で、わたしを見つめた。

 中央線に乗って帰る間、わたしたちはずっと黙っていた。

 最寄り駅に着いて改札を抜け、わたしはヨシカワの手をつないだ。とても冷たい手だった。

 華、とヨシカワが、はじめて声を発した。

「好きだよ」

 わたしは、うれしいのにものすごい胸騒ぎがして涙があふれ、何も言えなかった。


 それから、ヨシカワは行方不明になった。メールの返信もなく、携帯もつながらなくなったのだ。



 ようやく連絡が取れたのは、10日後だった。わたしは仕事以外はあてもなく、彼を探し回っていた。
 最寄り駅を歩いていると、携帯が鳴りだした。見慣れたヨシカワの名前と番号が表示され、わたしはあわてて電話を取った。

 今どこにいるの、と聞くわたしに、ヨシカワはひと言、沖縄にいる、と答えた。

「沖縄…… いつ帰ってくる?」

 ヨシカワは、何も答えなかった。そのまま電話は、切れた。


 華の彼氏は兵士だね、という耀子さんの言葉を思い出した。

 ヨシカワはきっと、必死で逃げた。自分を守るために。これでよかったんだ。
 いや、これでいいはずがない、わたしは何もできなかったんだ。
 さまざまな思いが、頭の中をぐるぐる回った。


 見慣れた駅の構内を、大勢の人が行き交っている。
 ここで、好きだよ、と言ってくれた。あれが、最初で最後だ。

 駅から家への道を、わたしは1人で泣きながら歩いた。


〈第2話 了〉

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