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人の気持ちがわかるということ

この前友達と話しているときに、人の気持ちがわかるという言葉の意味についての話になった。

僕がこの言葉の意味をいまいち理解できてなくて、結局、これって相手の性格とその時の状況とそれに対する自分の言葉みたいな変数のパターン化が自分の中にデータとして蓄積されていてそれをもとに予想できるということなのか、それとも相手と同じ気持ちになっているかどっちなのか。という質問をした。
相手は僕が言った前者の概念の意味がよくわからないと言っていて、もちろん後者だと言った。僕にとってはこの回答は想定はしてたけど、だとしたら本当に理解ができないというか、おそらくその経験をしたことがない。

たしかに、元々小さい時は空気が読めなくて、場違いな発言とか人を不用意に傷つける発言は多い方だったが、歳を重ねるごとに減っていった。

これに寄与してくれたのが映画や小説で、あれは、人の特性と状況と出来事の変数のパターンが多様でデータとしてとても参考になる。僕は映画をこれまで1500本ほど見てきているがそれのおかげもあって、そういったことのプロファイリング能力が異常に高い。少し喋って家族構成を当たるのとかがかなり得意。でも、きっと一般的に言うが言う、人の気持ちを理解するということを経験したことがない。というか、わかる範囲もあるにはあるけどその範囲が自分が経験した範囲に閉じられててかなり狭いし、そのセンサーが働かないことがたびたびある。

てっきり、みんなこういうステップを経て人の気持ちがわかるという状態になっていると思っていたのだけど、どうやら大多数はそっちではなくて、シンプルに同じ気持ちになれるということらしい。

たしかに、映画を見て感動することはあるけど、それは自分の経験を想起させられて感動するというパターンがほとんどで、例えば最愛の人が死ぬみたいな展開の場合は、僕は最愛の人が死んだ経験がないから全く感動できない。けど、あれだけあのパターンの映画があるということはあれで感動する人が多いということで、その経験をそんなにたくさんの人が経験しているとは今の社会では考えにくい。

なので友達に、じゃあ相手の気持ちって何を見てそう判断してるかと聞いたら、判断とかじゃなく直感的にわかるらしい。僕からしたら判断基準もないのにそんなに自信たっぷりにわかるというのも不思議なことだったけど、そういう超能力を使えることの方が普通だということを最近知ってとても驚いたという話。
まあn=2なんだけどね。
何をすればこの辺の感覚が養われるんだろうか。


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