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【87時間出産レポ】人生最悪で最高の一週間

令和5年7月27日第一子となる男児を出産しました。これは、その時の記録です。

7月23日日曜日 入院予定日当日(40w3d)
19時00分
 この日は予定日超過&でか胎児ということで、誘発分娩のために里帰り先の実家から入院。この時の私はこれから起こる幾重もの苦難を全く知らず、両親の「行ってらっしゃい」の言葉に「明日にはサクッと産んで週末には帰ってくるよー」くらいのテンションで「いってきます」と言った。

19時30分
 病院到着。見送りに来てくれた旦那は院内立ち入り不可ということで、ここでお別れ。その後、陣痛室なる部屋に通される。2人部屋だったのだが、通されたタイミングでは1人だったので、ちょっとラッキー、と思った。が、すぐに隣に別の妊婦さんが案内されてきた。しばらくすると看護師さんから診察のために1階に下りるよう言われる。しばらく待たされたのち、医師の診察。子宮口を開かせるために、まずは膣からバルーンを入れる処置を行う。ちなみに、「膣からバルーン」と聞くとヤバそうに聞こえるが、入れること自体は別にそこまで痛くない。ただ、若干の違和感はあるのと股下からなんか風船の持つとこみたいな棒が飛び出たまま寝ないといけないというのが結構ストレス。「誘発分娩 バルーン」などと検索して、出産ブログを読んで気持ちを落ち着かせる。そして、隣の妊婦さんと看護師さんの会話を聞いているとどうやら、隣の妊婦さんも誘発分娩でバルーン仲間のよう。勝手に共に戦う戦友の気持ちになる。思えばこの時はまだそんな心の余裕があった。

7月24日月曜日 入院2日目(40w4d)
5時00分
 バルーンがストレス、とか言っていた割には意外と眠れた自分に驚きながら起床。しかも夜中に破水していたことに気づかず、抗生剤の点滴が始まる。
 早朝から2度目の診察。バルーンにここでさよならを告げ、頚管を和らげる効果のある膣剤を挿入。いわゆる陣痛促進をメインの目的とした内服薬や点滴とは異なるようだが、促進効果もあるようなので期待・・・していたところ、思ったより頻回に陣痛がくるようになって、かなり苦しい時間を過ごす。無痛分娩は無痛じゃ無いとはもちろん聞いていたけど、こんな頻度で長時間の陣痛を経験するものなのかい!?

12時頃
 そんな中、看護師さんから病室を移動するよう言われる。どうやらこの病院の繁忙期に当たってしまったようで、妊婦過多病床不足のようだ。苦しみつつ病床を移動。移動先の病室では、産後と思わしき方と相部屋。産後さんにお昼ご飯が提供され、いい匂いが漂ってくる。この時点で昨晩実家を出た時から何も食べていなかった私は、羨ましくて仕方なかった。麻酔2時間前くらいまでは食べられる、と思っていたので、こんなに絶食期間が長いと思っていなかった。にもかかわらず、産後さんはおそらく後陣痛などで腹が痛くあまり食べられていない様子。「ずるい!その残り物をオラに分けてくれ!」と思ってしまったが、今思うと産後さんは何も悪くない。勝手に微かな怒りを覚えてごめんなさい、産後さん。

14時00分
 助産師さんの内診。5分に1回くらいのかなりのペースで陣痛がきていたので、子宮口開いているかなーと期待したけど、まだ1.5センチしか開いていないと言われる。3センチは開かないと麻酔入れられないので、まだ折り返し地点か・・・という気持ちになる。が、助産師さんが私の空腹に気づいてくれたのか、飴ちゃんをたくさんくれて、少し元気が回復。

17時00分
 2度目の病室移動。元々いた陣痛室に戻される。戻ると戦友の息遣いがかなり苦しそう。どうやら私も戦友も膣剤のせいで陣痛が頻繁に起こりすぎているらしく、膣剤を抜去することに。陣痛は定期的に波のように来るのが理想とされていて、あまり頻度だけ高くバラバラと起きるのは良くはないらしい。(助産師さんによると、沿道に落ちた車をみんなでいっせーのでと力をかけるべきなのに、それぞれの人がバラバラで押そうとしている状態)

19時00分
 夕食が提供される!待望のご飯ではあったものの、「ご飯が来る=しばらくお産はないと判断された」という印なので、嬉しさよりもがっかり感が勝る。いつ終わるかわからない不安感に急に襲われ出す。またしても「誘発分娩 日数」などと検索。すると、「こんなに入院するなんて!誘発分娩入院をしたら2、3日で産まれてくると思っていたのにー!」というまさに私の心境を代弁したタイトルのブログを発見。読むと入院から出産まで6日ほどかかったレポで、自分がこんなに耐えられるのか自信がどんどん消えていく。
 そんな中、隣の戦友に麻酔が開始される。もうこの時点で気持ちが相当ダークになり始めていたため、戦友→裏切り者みたいな気持ちになっていた。ほんとにごめんなさい、見知らぬ妊婦さん。

7月25日火曜日 入院3日目(40w5d)
7時00分 
 膣剤の影響が残っていたのか、夜中も痛みが続き、全く寝られず。朝から診察。待望の子宮口が開いた!という良い知らせを受けて、気持ちが一気に前向きに。助産師さんからも麻酔のための点滴はじめましょうねー、と言われて点滴開始。陣痛は引き続きあったものの、「もうすぐですね!」という声をかけてもらい、「あぁ、いよいよ出産か」という気持ちになる。

9時45分 
 助産師さん内診。「子宮口は開いているけど、子供の頭の位置が高いですね。子供のやる気スイッチが入るまで、麻酔は入れられません」と言われる。ゴールが見えた!と思っていた矢先に、そのゴールが一気に遠くに持って行かれたような気持ちで心が折れそうになる。「人のメンタルを壊すためには、確かレゴブロックを目標まで組み立てさせて、組み立て完了したら壊してみたいなのを繰り返すのがもっとも効果的だよ!」みたいな論文があった気がしたのだけど(記憶あやふや)、まさにその状況に直面した。たしかにこれは効果的。

11時00分
 隣の元戦友がいなくなったベッドに別の人がやってくる。自然分娩希望のようで、ものすごい音量の呻き声が終始聞こえてきて、聞いているだけでも苦しくなってくる。自分には無理だな・・・と自信メーターがさらに下がっていく。自然分娩はやはり進行がすごい早いようで、ものの1時間もしないうちにこの自然さんは分娩室に運ばれていった。

14時30分
 助産師さん内診。子宮口の状況も胎児の状態も特に変わらず牛歩。むしろ陣痛が遠のいてしまっている感覚がある。そして、自然さんに変わって、また別の妊婦さんが到着。入院バッグがヒステリックグラマーだったので、勝手に心の中でヤンキーちゃんと名付ける。ヤンキーちゃんはやはり束縛を嫌う?のか、身体につけたモニターがかなりの頻度で外れて、警報音が鳴り止まない。そして、病院は引き続き分娩ラッシュで、子供の産声も鳴り止まない。妊婦のうめき声、赤ちゃんの産声、モニターの警報音・・・これらをずっと聞いているとほんとに頭がおかしくなりそうだった。産声なんてほんとはハッピーな音色のはずなのに、うるさいとしか思えなくなっていた自分にも嫌気がさし始める。

18時00分
 陣痛が弱まってしまい、子宮口も朝より2センチも狭くなってしまう。この日も夜だけご飯が提供される。またゴールがどんどんどんどん見えなくなる。大好きなお風呂も入れず、臭くなっていく頭の臭いを嗅ぐとどんどん気持ちが落ちていくのがわかった。旦那とはずーっとメッセージのやり取りをしていて、それが唯一の心の支えだったけど、やっぱり直接面会して話せないというのはかなり孤独で辛い。「ゆっくりね」と言ってくれているのに、なぜかみんなが待っているのに産めないことに強い焦りを感じ出す。

7月26日水曜日 入院4日目(40w6d)
8時00分
 昨晩もこの日の朝も診察がなく、痛みと不安な気持ちを抱えて過ごす。病院が超忙しそうなので、緊急性の無い私のような妊婦は放置されているんだろうな・・・と思い、強い孤独感に苛まれていく。

12時30分
 先生の診察。「調子はどうですか?」という質問に「痛みも辛いし、メンタルも辛い」と言いながら、号泣してしまう。優しい先生と助産師さんに慰めてもらい、「他の人がどんどん出産している中、進まなくて辛いと思うけど、競争じゃ無いからね」と言われ、なんとかメンタルを立て直す。そして、促進剤の内服薬をもらって、もう一度頑張ることに。

13時00分
 病床が本当に無いのか、分娩室に移動。分娩室の分娩台は枕も台も硬くて辛い。内服薬の影響で陣痛が増しているが、優しい助産師さんが腰をさすってくれて、それだけですごく楽になった。隣の分娩台では、無痛分娩の妊婦さんが出産。痛みはずっとゼロと言っていて、トイストーリーのDVDやなんかを見て会話できる余裕があるくらい楽そう。出産時も痛みなく、声かけに応じて腹筋に力を入れている感じ。まさにイメージ通りの無痛分娩のお産!ハッピーバースデーの音楽が流れる。

15時00分
 朝飲んだ促進剤がうまく効いたようで、麻酔がようやく開始できることに。分娩台の上で麻酔を打ってもらう。局所麻酔の注射は軽く痛みがあったものの、むしろ幸せな痛みと感じるくらい気持ちが晴れていた。

17時00分
 子宮口の開きに変化があまりないということで、促進剤追加。そんな中、またしても隣に別の妊婦が運び込まれる。さっきの無痛妊婦とうって変わって、ものすごいうめき声。「あぁ、自然分娩か」と思ったら、なんとそこから麻酔が打たれる。どうやら「子宮口は開いているものの胎児の位置が高く、麻酔まだ打てないよー」と言われている間に、一気に子供が降りてきたようで、ほぼ自然分娩状態になった模様。イメージとちゃうタイプの無痛分娩。そして、2回目の他人のハッピーバースデー。

25時00分
 てっぺんを超えてもまったくお産が進まない。分娩台の硬い枕とベッドの上で過ごし出してゆうに12時間以上経過。やれることもなく、ただただ他人のお産を聞きとげるだけの半日。そして、ついに麻酔もこれ以上入れ続けると、規定量に達するので最後の最後で入れられなくなるかもとの脅しを受け、恐怖に苛まれる。

25時50分
 緊急で妊婦が運びこまれる。経産婦さんでもうすぐにお産になるとのこと。25時に陣痛がきた、と言っていたので、1時間弱で子宮口全開。名前と訛りから判断するに中国系の方で、子宮口全開状態なのに「お姉さん、私と星座一緒」など助産師さんと話せる余裕すらある。すごいなチャイニーズ経産婦さん。3回目の他人のハッピーバースデー。

27時00分
 促進剤をマックスで使い、この時間になっても一向にお産が進行しないため、一旦促進剤も麻酔も中止することに。その時、明日の朝の診察次第で、これ以上麻酔は使わず自然分娩もあり得る、という趣旨のことを助産師さんに説明され
パニック状態に。ここまでいろんなお産を生で見せられ続け、もう自然分娩に恐怖心しかなかったのと、ここからさらに何時間もの陣痛に耐え続けてお産の時に力を出せるパワーが残っている気が全くしなかった。このままだと産まれてきた我が子に愛情よりも憎しみを覚えてしまいそう、そんなことがよぎっただけでも恐怖と自己嫌悪で涙が出てきた。

27時30分
 少しでも休めるようにとの配慮でなんとか分娩室からは移動させてもらえたものの、麻酔を抜いた後なので、陣痛に苦しみ結局一睡もできず。たぶん大した大きさの陣痛じゃないのに、麻酔後はなぜかより大きく感じた。

7月28日木曜日 入院5日目(41w0d)
7時10分
 先生との診察。やはりここでも子宮口の開きが変わらず。ついに先生から「分娩停止で帝王切開に切り替えましょう」との言葉が。「今日の午前中には子供に会えるよ」と言われ、号泣。ついにほんとにほんとにやっと産める。9時には麻酔開始、9時半ごろには分娩予定とはっきり言われて、最後の力をふり絞って2時間の陣痛に耐える。 

9時00分
 手術開始。麻酔は数時間ぶり2度目の経験なので、なんの恐怖ももはや痛みすらも感じず。麻酔の効きを確認後、目の前がタオルで全て覆い隠され、手術開始。手術中は、保育士さんがずっと手を握っていてくれたので、世間話しながら知らないうちに手術が進む感じ。保育士さんも帝王切開で出産したらしく、「帝王切開は絶対に1人ではできないお産。育児で大変な時に、みんなに助けられて出産したことを思い出して、励みになるよ」と言われて、温かい気持ちになる。

9時47分
 我が子誕生。約3600gの元気な男の子。そういえば、この数日間も子どもの元気が無くなっていると言われたことは一度もなかった。あれだけ促進剤やらなんやらで圧迫されていたはずなのに、ずっと元気でいてくれた。パワフルマイペース我が子。子どもへのメッセージを録音するよう促され、咄嗟に出てきた言葉は「やっと会えたね」だった。

13時00分
 引き続き入院部屋が空いていないので、陣痛室に戻る。やっと無事に出産できた喜びを感じつつ、親戚や友人たちに連絡をとり始めていたところ、助産師さんが診察に。血圧など測りつつ、私のお股のナプキンを見た瞬間に時が止まる。バタバタと助産師さんが出ていったかと思うと、バタバタと複数の助産師さんに囲まれ、もう一度分娩室に戻される。先生にお腹を押されると、子宮から大量出血。麻酔がまだ若干効いているので、何が何やら分からないうちに、大量の助産師さん達と院長先生にまで囲まれながらガーゼとバルーン(「ここでもバルーン!バルーン万能かよ」と心でつぶやいた)を子宮に詰め込まれる。そして、この病院だとこれ以上の処置ができないということで近くの大きい病院に緊急搬送される。

13時10分
 救急車到着。帝王切開後で全く動けないので、タンカで運ばれる。運ばれながら外に出た時に思ったのは、「ああ、そういえば今って夏だった」この数日外に全く出ず、時間感覚も季節感覚も全くなくなっていたので、猛暑の熱に触れ、場違いな現実感を少し取り戻す。

13時20分
 移送先の病院に到着。ざっと見、20名くらいのお医者さんが一気にこちらに向かってきて、次から次へといろんな検査をしていく。「これが救急医療の現場なのか!」とこれまた場違いな感想を抱く。

13時50分
 一旦CTなど一通りの検査が終わり、緊急での処置はこれ以上は必要ないことが告げられる。ただ、経過観察が必要なため、すぐには送り返せないので入院することに。

17時00分
 看護師さんの診察。出血量をチェック。またしても量が異常とのことで、先生と大量の看護師さんが召喚される。エコーなどで検査した後、いきなり脚を抱え込まれ、膣からガーゼが引っ張り出される。何が起きているかその時わからなかったため、恐怖で力が入りまくり、痛みで絶叫する。それこそお産ばりの絶叫をした自信がある。その後、またガーゼを詰められ、再度絶叫。ぐったり。先生から「夜にまた出血してたら、またガーゼ入れ替えるかも」と宣告され、恐怖に震える。思わず「麻酔ってできないですか?」と聞くも、「麻酔入れる方が危ないよ」と返される。帝王切開手術後にまでこんな仕打ちが待っているとは・・・。ただ、この痛みを経験したせいなのか、後陣痛や傷跡の激痛に襲われても、「ガーゼ入れ替えより全然痛くない!」と思えるという謎の強さをゲット。

7月28日金曜日 入院6日目(我が子1d)
8時30分
 2日間絶食状態からの初めてのご飯。緊張しながら食べる。ただの病院食なのに、食べただけでものすごいエネルギーが身体に入って、気持ちも急激に前向きに。ご飯てすごい。

9時30分
 先生の診察。出血がいったん収まっているようなので、ガーゼとバルーンを抜くことに。ご飯パワーのおかげかリラックスして臨むことができたので、昨日と別の処置かと思うほどほぼ全く痛みを感じなかった。ご飯偉大。

11時00分
 出血は一旦収まっているものの引き続き要観察状態とのことで、我が子にこちらの病院に転院してもらうことに。

20時00分
 我が子転院完了。産まれて1日目でPCR検査されたり、タクシー乗せられたりほんと外界は大変だよね。昨日まで腹の中でぬくぬくぷかぷかしてたのに。そんな申し訳ない思いを抱いていたけど、対面した時には、すやすや寝ていて、なんならぐーすかいびきもかいていたので一安心。さすがパワフル我が子よ。

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 そして、今初の授乳を終えました。引き続き入院生活は続きますが、育児&リハビリがんばります。今回の4日に渡る長ーい出産とその後のバタバタを経て、思うことは

  • 産院は出産前含めて、個室確約かつ旦那が面会できる病院がいい。メンタル強めの私でも、心がブラックになっていくことを抑えるのがかなり難しかった。ただ、個室という自分に集中できる環境と話を聞いてもらえる相手がいると随分違ったかもしれないと思う。

  • 分娩誘発→帝王切開って結構リスク高いかも?最初から帝王切開の選択肢があっても良いのでは(今回の大量出血の原因は未特定なものの、分娩誘発が長くて子宮が疲弊していたことも一因として考えられるらしい)

  • お産はまじで命懸け。大きい病院での出産も選択肢としてあり。

  • 「何があるか分からない」は真実。産む前は「とはいえ、自分には起こらんだろう」と思っていたけど、本当に起こる。帝王切開も緊急搬送も当然全く予定していなかったけど、起きた。

  • ご飯は偉大。

 「出産大変ってよくいうけど、大変大変なんて言ってたらより日本の出生率が下がっちゃうよ!」なんて大それたことを考え、「絶対自分は大変というまい!」と心に決めていた私がこんなブログを書いた理由は、まず、今の新鮮な記憶を記録に残したかった。比較的メンタル回復早い(正直書いている今もうほぼ回復している笑)ので、数日経つと当時のリアルな気持ちが消えてしまいそうだから。そして、誰か1人の心の支えになれればいいなと思ったからです。入院中、いろいろ検索して出産ブログを見て、気持ちが少し楽になったこともあったので、自分の経験がどこかの知らない妊婦さんを励ませたら嬉しいです。
 また、これから妊娠を考えている方に恐怖心を与えるような内容になっていたら、ごめんなさい。でも私も事前に知っていればもっと気持ちが楽だったかもな、と思ったので書きました。そして、産んだ今となっては、どんなお産だったかなんてもはやどうでもいいという気持ちです。むしろ陣痛も無痛も帝王切開も、そしてクリニックも大病院も一回のお産で経験できたなんてむしろラッキーでは?くらいポジティブな気持ちになっています。だから、きっとあなたも大丈夫。

 最後に、人生最悪で最高の一週間は最も多くの人に助けられた一週間でもありました。1人ではできないお産だったからこそ、感謝の気持ちを忘れず、育児楽しみたいと思います。

2023年7月28日🥟

 

 

 

 


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