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今週半ば、朝起きてネットサーフィンをしていた際「○○さんがいいねしました」ってやつでヤマトパンクスのツイートが流れてきた。前々からツイッタラーとして捉えていたヤマトパンクスではあったが、それをきっかけにたまたまPK shampooの曲をYouTubeで初めて聴いた。

ダークマターだった。


最初は変ロ長調のギターと森見登美彦的京都ノスタルジーが就活生の自分に共鳴したまでかと思っていたけど、同時に彼に「天才」を感じた自分がいた。それから4日くらい経つが、毎日MVを観て毎日ラジオをきいている。ほかにもインタビュー記事も読んだし、ライブチケットも抽選したし、サブスク未解禁のCDをメルカリで買いもした。自分がこんなに何かにハマったことは今まで多分なかった。

YouTubeのコメ欄を真下まで遡るのも楽しい。

まだラジオを全てきいてるわけじゃないし、まだ出会って4日だからファンに片足突っ込んだくらいだが、こういう時期があったのだとあくまで自利的にこのブログを残している。ブログってそんなもんだろ?(note編集部に怒られるなw)

自分は性質上、パンクロックが好きだ。パンクロックバンドは色々あるし、一番好きなのはこれまでは王道のゴイステであった。でもバンドってのは「あのバンドを聴いてたあの時期」みたいな、視聴者側の時間の閉鎖性みたいなのが大事だと私は思ってて(だから80sシティポップをいつだれが好きになってもいいだろ?って思ってる。ファンの母数と芸術としての洗練性がいつも相関性を持つとは限らない、てか洗練って何?って世の中だけど)、だから少なくとも今このクソ就活人生期に発掘されたヤマトパンクスは、私にとっての後々の人生のスター☆になると思う。


ヤマトパンクスのインタビュー記事で

「僕は物事を表現する方法ってざっくり2つあると思っていて。そのうち1つが、ものすごく身近なものに例えてリアリティを求める方法。たとえば(目の前のペットボトルを取り上げて)“ペットボトルのキャップって俺みたいだな”って言ってみるとか。もう1つは、海とか星、銀河、彗星、雨、自然みたいに形があるけどないもの、手の中にはおさまらないぐらい大きなものに自分を投影する方法。僕はこの2つを同時に使うのが好きなんです。」   (引用元:http://kansai.pia.co.jp/interview/music/2020-04/pkshampoo.html)

という発言があった。上に貼ったMVでカラフルに流れる2ちゃんの引用があるが、まさにその中間地点をそれら2ちゃんの「素人人智」が埋めてるいるのでは?という錯覚を受け、それが今日は喰らってしまった。

「タダ」が生みだす非商業主義的な共同体≒人間の可能性(※あくまで持論)が、身近にある断片性の社会、がたとえ学術的に洗練されたものではなかったとしても、星屑でも、天文学的数字でも抱きしめたいと思うけど、同時に自分の足が一日に進むことのできる範囲は限られてて、そこに途方もない虚無感を覚えられた。


どっかの週刊誌みたいな、アーティストが好きな食べ物とかそういうのには興味はない。資本主義上で共有できる体験とかより、人間そのものの構成要素に興味があって……その追究を一体自分は何歳までやるのだろうか?

同じ魂を探すのはどんなに島宇宙化されても正直、難しい。同時間軸で同じ解像度で同じ方向を眼差すものに出会うことなんてほんとにない。だから間に資本主義とかのクッションがあるのかなって思うけど、もうそろそろこの議論も飽きてきたな。

今日も銀河巡礼概論きくか。

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