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ヴィパッサナ瞑想体験記その1

 以下は1995年1月5日から15日まで私が体験した、京都ダンマ・バーヌにおけるヴィパッサナ瞑想の記録です。もう20年以上前のことなので、現在はようすが違っているかもしれません。

前日

 朝7時起床。午前11時、荷物をまとめる。5日分くらいの着替え、洗面道具、タオル、シーツ、掛け布団用のシーツ、毛布、懐中電灯…。大きなボストンバックとリュックがはちきれんばかりになった。ちなみに書籍やノート、筆記用具の類は持参してはいけない。宗教関係の数珠やお守りもダメなので、昨年11月チベットのお坊さんにつけてもらった首のまわりの紐もはずしていく。

 東京駅につくと、新幹線はガラガラの状態だ。3人掛けのシートにゆったりと座り、ヴィパッサナ瞑想のパンフレットに目を通そうと思うのだが、その気になれない。京都までの3時間がやけに早く過ぎた。なにしろ10日間も泊まり込みで瞑想をするなんて初めての体験。知らないうちに不安を感じていたのだろう。

 京都駅で山陰線に乗り換えて、園部へと向かう。あたりの景色はだんだんのどかなものに変わり、さすがに遠くに来たなあと感慨深い。

ヴィパッサナとはなにか

 今回ぼくが参加する「ヴィパッサナ瞑想」とはインド在住の元実業家S・N・ゴエンカさんの指導する瞑想法だ。ゴエンカさんは裕福な商人の息子としてビルマで生まれ、若い頃からビジネスの世界で成功した。ところが、様々な精神的身体的な疾患に悩まされ、世界中の名医にかかったが症状は改善されず、最後に出会ったのがこの瞑想なのだという。

 当時ビルマ政府はほとんどインド人が牛耳る世界だったが、そのなかでビルマ出身の官僚として活躍していたのがサヤジ・ウバキン。このサヤジ・ウバキンのもとでゴエンカさんは指導を受ける。そこで長年の病が癒され、自身も瞑想指導者としての一歩を踏み出す。新興宗教にありがちな教祖誕生物語みたいだが、果たして信用できるのだろうか。

 ところでヴィパッサナ瞑想と言う名前で瞑想法を伝授しているのはゴエンカさんだけではない。アメリカではジャック・コーンフィールドが有名だし、日本でもスリランカ出身のスマナサーラさんというお坊さんがいる。だが案内を読む限り、ゴエンカさんのヴィパッサナとほかのヴィパッサナはちょっと違うようだ。一般的にヴィパッサナの瞑想とは自分の呼吸を観察することがら始まる。その過程でさまざなま感情や身体的な症状が出てくるが、それをただ観察したのちにまた呼吸に戻れという。単純で分かりやすいし、それだけに効果がありそうな気もする。

 ゴエンカさんのものはそれだけではないようだ??? だが案内を読むだけでは、よく理解できない。

 一時間ほどして園部という駅に着く。駅前にさえ喫茶店が一軒しかない(しかも焼き肉屋と兼ねている!)。5時すぎ、そこからバスに乗り換えて桧山バスターミナルまで40分ほど。あたりはどんどん暗くなっていく。人家の明かりも少なく、日本にもこんな場所があったんだなあと感慨に浸る。

 桧山バスターミナルで降りたひとが5人いた。一緒に瞑想をするひとたちだ。ぼくが代表で電話をかけ、迎えにきてもらう。そのあいだに話を聞いたのだが、ほかのひとはみんなこの瞑想のエキスパートで、今回が4回目というひとがふたりもいた。10分ほどして車2台が迎えに来てくれ、瞑想所へ向かった。

完全なる沈黙

 この瞑想を実施しているのは京都府船井郡瑞穂町にある日本ヴィパッサナ協会。瞑想センターそのものは「ダンマ・バーヌ」と呼ばれる。ダンマは法、バーヌとは夜明けという意味だそうだ。

 センターについてすぐ、申込書に諸事項を記入する。この瞑想をどこで知ったのか、今回参加した目的、現在の精神状態など、くわしく書く。さらに10日間のあいだ、センターの規則に従うことに同意してサインする。規則とは五戒を守ること、聖なる沈黙を守ること、だ。

 五戒とは仏教における根本的な五つの戒律のこと。すなわち、いかなる有情の生き物をも殺さないこと。嘘をつかないこと。盗みを働かないこと。邪淫にふけらないこと。酒・麻薬類をとらないこと。日常生活でこのすべてを守ることはかなり難しいだろうが、こういう場所に缶詰になっていれば、いやでも守らざるを得ないだろう。むしろ、五戒を破ることのほうが難しそうに見える。

 もうひとつの聖なる沈黙とは、話をすることはもちろん、ジェスチャーによるコミュニケーション、心と心による会話(?)も禁じられている。カップルでの参加者も多いのだが、どうしても顔を合わせると目で合図したり、うなずいたりしてしまう。それさえも厳禁。ちなみにこの10日のあいだは男女は完全に分離されているので、知人と来るとかえって厳しいのではないか、と思う。

 こうした事項を確認したうえで書類にサインして手続きは終わり。

 そうそう、書き忘れていたが、この瞑想は決まった参加費というものはない。ずべて寄付によってまかなわれている。しかも寄付は、一度はこの10日間のコースを修了したひとからしか受け取らないことになっている。クリーンでいいのだが、この寄付という行為は日本人には馴染みにくいもので、それによって功徳を積むという伝統もない。だからこのセンターの運営は大赤字だという。

 午後7時30分、簡単な説明を受け、自室へ。おっと忘れるところだたけど、今回の参加者は男が4人、ぼく(当時34歳)とぼくよりもうちょっと若い男の子、40代くらいの長い髪を後ろで結んだ男性と60歳くらいのおじさん。女性は20代から30代くらいがほとんどの13人。こういうワークショップとかセミナーでは、ほんと女性の姿が目立つ。まあ、正月そうそう10日以上の休みがとれる男というのも少ないんだろうけど。

 メインの建物は二階建てで、ぼくの部屋は瞑想ホールと隣接している。建物はまだところどころ工事の途中なのだが、ヨーロッパ調のけっこうおしゃれなログハウス風だ(あとで聞いたところによるとカナダから材料を輸入してみんなで組み立てている途中なのだとか)。

(続く)


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