ジャズ喫茶ベイシー菅原正二さんによる記事。
昨年、映画『Swiftyの譚詩』でも話題になったジャズ喫茶「ベイシー」(岩手県一関市)。アナログ・レコードだけを、JBLのヴィンテージのスピーカー・ユニットと、これも希少なJBLのアンプで鳴らす同店は、ジャズ・ファンとオーディオマニアの聖地であり、”日本一音のいいジャズ喫茶”、”本物よりもリアル”という人もいます。私自身も3回訪れたことがありますが、そのたびに音の洪水に圧倒され、思考が止まってしまうほどです。その店主・菅原正二さんが吉福伸逸さんについて、以下の記事を書いてくださいました(朝日新聞岩手版2020年9月26日付)。
菅原さんは早稲田大学のビッグバンドの名門サークル「早稲田ハイソサエティ・オーケストラ」に在籍、ドラムスを担当していたことが知られています。実は、菅原さんが1年生のときの3年生に吉福伸逸さんがいたのです。吉福さんの担当楽器はベース。菅原さんはドラムス。当然、二人で練習する機会も多くなります。
菅原さんは「イビラレっ放し」と書いておられますが、このころの吉福さんは学生なのにすでにプロでの活動も始め、腕には相当の自信を持っていたようです。
この写真は吉福さんが4年生の1965年、「TBS大学対抗バンド合戦」のビッグ・バンド部門で優勝したときのもの。ベースを弾いているのが吉福さんです。「TBS大学対抗バンド合戦」はTBSラジオで夜の9時から放送されていた番組(司会は大橋巨泉)で、現在の「山野ビッグバンドコンテスト」の前身ですね。
菅原さんの記事にあるように吉福さんは、すでにプロとして活躍していた1967年に「ハイソ」のアメリカ西海岸ツアーに同行。初日にカリフォルニア大学バークレー校でコンサートを行い、その夜にジャム・セッションをしていたところバークリー音楽院の関係者が聴いていて、奨学金を得て、ボストンのバークリー音楽院に留学することになります。
その後の波乱万丈については『仏に逢うては仏を殺せ』に書いてあります。私が1993年におこなった吉福さん自身のインタビューと、今回、吉福さんのアパートに居候をしていた方と話をすることができ、そのときの事情が明らかになりました。菅原さんが書く「波乱万丈の人生」についてはぜひ本書をお読みください!