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もがく日々と、やさしい手

 眠気が来るのを待ちながら、これを書いている。昨日12時間眠ったせいかしら、いつもは睡魔と闘っているこの時間でも眠くない。過眠気味な私にはとても珍しいこと。眠気、まだかな。まだかな……。このまま目が冴えたままだったら、薬を半錠に割って飲もう。うん、半錠だけ。

𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣

 一昨日、職場の飲み会だった。あまりお酒が進まず、ビールをみくちだけ飲んで、1次会で失礼した。これも私にとっては珍しいこと。いつもはビール→サワー→日本酒と飲み進め、しっかり2次会まで行って、終電間際に慌てて帰ることが多いから。

 疲れて弱っていたのだと思う。心も体も。それなりに混んでいる電車に乗り込んで、いくつか駅を通り過ぎたところで、胃を揉み込まれているような不快感がせり上がってきた。視界がぐにゃあと歪み、周囲の音がこもったように遠くなり、脚の力が抜けてぐらぐらした。天井がぐるぐる回っている。まずいまずい、ここで倒れ込んだりしたら、「体調を崩されたお客様を救護」されてしまう。そして電車が遅延する。非常にまずい。ああだから、お近くの駅でお降りになり駅係員にお声がけください、ってアナウンスするんだな……などと朦朧とする中で腑に落ちたりしながら、ドアが開いた瞬間、一目散にホームへと降りた。自販機の横にあるベンチで休憩しよう、急げ急げ、と歩いていたはずだった。はずだったが、気付けばひんやりと冷たい地面に頬を付けていた。

「貧血かしら?」
「駅員さん呼んできます!」
「大丈夫よ、大丈夫よ」

 どうやって倒れ込んだのか、まるで覚えていない。おそらく数秒間、意識を失ったのだと思う。意識を失うというのは私史上初めてのことで、こんなに一瞬で呆気ないんだと他人事みたいに考えた。

 まず蘇ったのは触覚、それから聴覚だった。数人の女性の声と、パタパタ駆ける靴の音がした。体を起こしたかったけれど、腕に力が入らず視界も歪んだままだ。すみません、ご迷惑おかけします……とぼそぼそ呟くと、「横になっていれば楽になるからね」と柔らかな声が返ってきた。ふたつの手が、とんとん、と背中を控えめにさすってくださった。このかたがたは電車に乗り遅れたんじゃなかろうか。厄介ごとに巻き込んでしまった。もしも逆の立場だったら、私は見知らぬ人をこんなふうに介抱できるだろうか?申し訳なさとありがたさで、目頭がつーんと熱くなった。ほどなくして、別の女性が駅員さんを連れてきてくださった。散らばった荷物をまとめ、車椅子に乗せてもらうまで、彼女たちはずっとそばについていてくれた。

𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣

 涼しくなってきた頃から、仕事でつらいことが続いた。どんなにしんどくても、たとえ出勤途中に涙が止まらなくても、当日欠勤だけはしないと決めていたのに、とうとうその掟を破ってしまった。布団から出られない。着替えられない。玄関先で足が動かない。出勤時間の逆算ができず、立ち尽くしてしまう。身体を縮こまらせて職場に電話を入れる。「無理しないでね」、上司の優しい語り口に少し安堵して、また眠る。

 出勤してしまえば、案外なんとかなったりするものだ。5年の社会人生活でそう学んだつもりだった。だから薬を投入し、感覚を鈍らせて、頑張って働き続けてきた。社会人ってそういうものだと思ってきた。でも今は、「出勤」のハードルが、想像すらしなかったほどに高いのだ。……年明け、私はこのハードルを越えられるだろうか。また元に戻れるだろうか。戻りたい。戻りたいよ。

 どんよりした寒空の下で、ゴールの見えない着衣水泳を続けるような日々だけれど。見知らぬひとの優しさと、背中を叩く手の温かさは、心にそっとしまってたまに取り出して、忘れずにいたい。私もひとに手渡せるようになりたい。

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