見出し画像

日本人の習慣がわからない話

 僕の両親は在日韓国人で、そのまた両親(つまり両祖父母)は韓国出身である。血縁の親戚は全員が韓民族ということになる。
 父方は祖父が代々キリスト教徒なので父方宅では祭祀がない。祖母はもとは共産主義者で大韓民国サイドに転向した非キリスト教徒なのだが、北送(帰国事業)で7人きょうだいのうち5人が北韓国(北朝鮮)に行ってしまったので祖母のほうで祭祀が受け継がれなかった。

 一方、母方の家は韓国式の祭祀(チェサ)というものをやっている。こちらは一般的な韓国人の宗教観を持ち合わせている、と言えばいいだろうか。お寺にも行くし、自然崇拝というかアニミズム的要素も持ち合わせている。韓国の田舎に行けば韓国式の盛り土の墓で日本に来た母方一族はチェサを受け継いでいる。このチェサというもの、日本語でいえば法事である。母方宅の直系の長男であるおじさんの家でチェサを執り行う。

 チェサはどう説明すればいいのかわからないのだが、長方形のテーブルの背後に屏風を置き、前に戒名だかが書かれた位牌を置く。テーブルには料理を並べ、酒が入った杯をテーブルの前で焚いている線香の上で回し、酒を先祖がいるという白米の前に持っていっておかずの上にある銀箸をほかのおかずの上に置き、三回礼をする、そしてまた酒を捨てて礼・・・といって通じるだろうか。

 おそらく儀式にかんしては動画を撮るか、詳しく説明された文書に当たるほうが早い。
 僕はただ酒を注いで礼をして先祖に挨拶するだけだ。といっても僕はキリスト教徒なので目の前のテーブルに先祖が帰ってきているなんて思っていない。そういうことを母方の家で口にするとキリスト教の悪口大会が始まるので言わないが、言わなくてもどうせ「お前らのところのキリストっていうのはな、あんなんインチキでやな」と言い出されるので変わらない。
 チェサをするときは帰ってきた先祖の霊を迎える日なので家の玄関を少し開けておく。そんなん帰ってくるもクソもあるかい。

 このチェサは母方の家では3代前の先祖の命日に執り行われる。そして旧正月と旧盆にチャレ(茶礼と書く)というスペシャル法事もあるので、だいたい月に一度かそれ以上はやっている。その度に料理やらなんやらを準備しなければならなず、これがめちゃくちゃ負担になる。このクソ面倒くさいイベントは長男の家で引き継がれるものだが、母方の祖父は家族でただひとりだけ日本にやってきた。具合の悪いことに祖父は長男で、そのため本家筋が日本の家に引き継がれてしまい祭祀をすべて受け持つ。
 余談だが母方の韓国の親戚たちはものすごく熱心な仏教徒でしょっちゅう法要だかなにかをしている。先祖崇拝の儀式に割かれるはずだった時間を仏教に全振りできたのだろうか。

 法事は朝から始めるものらしいが、母方の家では時間の都合もあり夜の八時などなんというか法事をするには少々イカれた時間から開始される。なので学校や仕事のあとにも行けるというわけだ。
 法事で供された食事は先祖の霊が食べていくのだが、そんなもんなくなるわけがなく、終わった後に生きている我々がいただく。僕はそれが楽しみで法事に参加しているといっても過言ではない。法事の食事は少々特別なのだ。刺激物を使ってはいけないとかなんとか聞くが、たしかにあまりない。
 他人事のように言っているのも理由がある。スーパー家父長制社会である韓国では法事の食事の準備は女性がすることになっている。なので僕は恥ずかしい話だが手伝ったことがない。行こうと思ったことがないわけではないが「李家の人間はいらん」と弾かれるのである。

 とにかく母方の家の法事はそんなかんじである。チェサにはある程度のルールというか決まりごとがあるのだが家や地方によって違うそうだ。うちは慶尚北道というところなので地域性もどこかで出ているのだろう。いかんせん比較材料がないのでわからない。

 さて本題なのだが、そんなわけで僕は「法事」というとこの行事だということで育っている。なにせ血縁者に日本人がいない。いとこたちは日本人と結婚したがそのあたりになると祭祀にかかわることがない。
 僕は韓国学校に通ってまわりにも在日韓国人やニューカマー韓国人、韓国出身の友人らが大多数だったので、高校まではまったく気にならなかった。「きょう法事やわ」「お前んとこめっちゃ遅いな」みたいな会話が当たり前のように交わされていた。
 大学に入り日本人の彼女ができ、彼女に今日法事なんだよねというとこんなことを言われた。
 「なんかさ、がんちゃんの家めっちゃ法事多くない?」

 僕は衝撃を受けた。このチェサという行事は韓国人のものだというのは知っていたが、日本人はこの頻度で法事をしないというのである。しかも話を聞いているとぜんぜん違うではないか。なにせその彼女曰く「三年に一回くらい、お坊さんが家に来てぽくぽくする(原文ママ)」ことを法事と呼ぶのだという。日本人の友人やほかに付き合った彼女に尋ねてみても概ねそんな感じだった。

 身内が韓民族しかいないので日本人がやっていることをまったく知らないのである。僕は10歳のときに家族で日本国籍を取得しているが韓民族であることには変わりがない。当たり前だが、日本国籍になったからといって祭祀が突然日本式になるということはないのである。まあ、チェサを受け持つ母方のおじさんは韓国籍なのだが、そんなことは重要ではない。

 そんなわけで僕は日本人の祭祀であったり、冠婚葬祭とかそのあたりのもろもろをわかっていない。これから先の僕が日本人と結婚しなければいつまで経っても知らないままだろう。

 日本人とはいってもおなじような状況にある人はいる。僕の通っている教会には長崎出身のカトリック一族が多いのだが、彼らはおそらくカトリックではない一般的な日本人の法事などを知らないはずだ。僕だって父方の家ではしないので母方の親戚の家でやっていることしか知らない。

 学生時代、在日韓国人の学生団体で活動していた。日本で生まれ育った在日韓国人の学生たちは既に三世、四世で五世の人もいる。多くの在日がふだんから日本語の名前で生活し、韓国語ももちろん知らない、生活様式も日本と同化していくなかで、自らを在日韓国人たらしめるのが各家庭で受け継がれているチェサである。
 ある行事で「自分が在日韓国人であるとアイデンティティを感じる瞬間はなにか」というアンケートを採ったところ、思った以上に「チェサ」という回答が多かった。アンケートの選択肢のひとつだったので「言われればチェサかもな」ということでそう答えたのかもしれないが、学生会に限らず在日韓国人に対してのアンケートで「チェサをすることで民族的アイデンティティを感じられるか?」という質問があらわれる。

 韓国本国ではチェサは簡略化されているそうだが、日本社会に合わせて在日韓国人社会でもそうなる傾向にある。旧正月が韓国とは違って休日ではないので西暦の正月にするようになったとかいうものから、親が亡くなってやり方がわからなくなったので日本式に僧侶を呼ぶようになったり、そもそも法事の習慣がなくなったというところもある。
 かと思えば在日韓国人は昔ながらの頻度で、昔ながらの方法で実践しているところも少なくないのだという。移民した人々のあいだに故地での習慣が強く継承されているといういい例なのかもしれない。ことばも名前もほとんど日本化したいま、韓国人であることを認識するのはこのチェサのときという人も少なくないだろう。もちろん韓国人であることを認識するためにしているわけではないが。

 僕はそんな環境で育ってしまったので日本人が一般的になんとなく持ち合わせている概念がぜんぜんわからない。法事なんか違うことすら気が付かなかった。わかりやすいのが神社で、参拝の作法も行かないので知らない。少なくない在日韓国人は神社にも参拝するが、僕はそれすらもわからない。なにに対して祈るのだとか、なにをしに神社に行くのかとかも。

 「三年に一回くらい、お坊さんが家に来てぽくぽくする」というのも話に聞いただけなのでなにがなんだかわからない。想像しようとしても、法事というワードに引っ張られてしまい、僕の頭のなかにはぽくぽくするお坊さんの前にご馳走が並んだテーブルがいつまでもついてくるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?