見出し画像

マレーシア語とインドネシア語

 マレーシアに留学していたという話をしたときに「インドネシア語専攻だったのにマレーシア?」と言われることがあります。専攻する言語が使われている地域以外に留学する人はじつはあまり珍しくないのですが、それはともかく僕は「インドネシア語とマレー語はおなじ言語なんですよ」なんて言ってます。

画像2

 使い方を間違えるとかなり誤解を招きかねない表現ではあるのですが、マレー語(Bahasa Melayu)という言語をもとにマレーシア語(Bahasa Malaysia)とインドネシア語(Bahasa Indonesia)が成立しています。お互い学習者はなんとなく「あっちに行けば通じるんだろう」という意識があると思いますし実際わりとふつうに通じます。

マレー語(Bahasa Melayu)とは

 そもそもの話、これらの言語はなんやねんという話でして、というかこの時点で「マレーシア語?マレー語じゃないんですか?」とか「インドネシア語の話をするのになんでマレー語の話が出てくるんですか」という疑問もあるかもしれません。この記事では具体的な事例は出さずにまずはその説明をさせていただこうと思います。前提知識というやつですね。

 マレー語とは何ぞや、というところで「マレー語とはオーストロネシア語族に分類される言語で…」みたいな話からしてもいいのですが、そのへんの詳しすぎる話をしだすと終わらないので、今回は近代のマレー語を取り巻く状況からについて説明します。

画像2
マラッカの中心部ハン・ジュバット通りの案内板。上はジャウィ文字で、平たく言えばアラビア文字マレー語

 世界史の教科書でも出てくるとは思いますが、マラッカ王国という国がありました。現在でもマラッカという街がマレー半島にありますが、あそこです。ちなみにマラッカはマレー語でMelaka(むらか)と呼びます。このマラッカ王国の影響が大きかったこともあり、ヌサンタラと呼ばれるマレー世界では古くから共通語がマレー語となっていました。

 Nusantaraというとインドネシアでは「インドネシア諸島」くらいの意味になっている感は否めないのですが、上の地図で示しているあたり、現代国家でいえばマレーシア、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、そしてタイ深南部とフィリピン南部、東ティモールを含みます。
 インドネシアの言語や民族を説明するときに300くらいの言語があるとか500くらいの民族がいるとか言われますが、正しい数が出せなくても何百という言語がありそれらの共通語としてマレー語が機能するようになっていったのです。ことばの違うスンダ人とブギス人が出会ったらマレー語で会話する、みたいなかんじです。日本人がモロッコ人と出会って、お互いにアラビア語や日本語がわからないときは英語でコミュニケーションを図ろうとするとは思いますが、現代でいうその英語みたいなかんじで、共通語として、そして単なる共通語を超えた影響を持つ言語になっていきました。
 マレー語圏でなかったスラウェシという島にあった国々は記録をマレー語で残していますし、後にやってきたオランダやイギリスと現地のリーダーたちはマレー語で交渉したりやりとりがあったのです。

画像3
シンガポールのバスの「非常時には窓を割れ」という案内。時計回りに英語(左上)、中国語(右上)、タミル語(右下)、そしてマレー語(左下)が書いてあります。

インドネシア語の「登場」

 そんなわけでマレー世界に広がっていったマレー語ですが、この言語を共通語に独立しようという動きが、オランダが植民地統治をしていた蘭領東インド、現在のインドネシアで起こります。1928年10月28日、インドネシア青年会議で「インドネシア語」という語が登場するのです。

Kami putra dan putri Indonesia, mengaku bertumpah darah yang satu, tanah air Indonesia.(我々インドネシア青年男女は、滴る血がひとつであると認める、それは祖国インドネシアである)

Kami putra dan putri Indonesia, mengaku berbangsa yang satu, bangsa Indonesia.(我々インドネシア青年男女は、ひとつの民族であると認める、それはインドネシア民族である)

Kami putra dan putri  Indonesia, menjunjung bahasa persatuan, bahasa Indonesia.(我々インドネシア青年男女は、統一された言語を置く、それはインドネシア語である)

 最後のインドネシア語の部分だけでよかったのではないかと思うかもしれませんが、これは全文読んでいただけるとインドネシアという国について理解していただけると思います。端から端まで、インドネシアではよく「サバンからメラウケまで(Dari Sabang ke sampai Merauke)」と呼ばれる範囲はアメリカ本土よりも長く、いままでまったく関係のない違う地域どうしが、何百、何千とある言語の違う人々がひとつの国として独立するとき「我々はインドネシアなのである」という意識を持っていただくしかなかったのです。でなければ「我はスマトラのミナンカバウ人だが、なぜ言葉も民族もぜんぜん違うスラウェシの奴らと同じ国なのだ」となる可能性があります。だから我はジャワ人だろうがマカッサル人だろうがインドネシア人なのだと、インドネシア民族なのだという統一意識を付けるための「インドネシア」という宣言で、そのなかで登場したのが、共通言語として使用されていたマレー語をインドネシア民族の言語として定めた「インドネシア語」という統一言語なのです。

 インドネシア語と呼んだ理由はまず、マレー語だとマレー人の言語だと思われる可能性があったということ。マレー語を母語とするマレー人は、現在のインドネシアでいえばスマトラ島のリアウ州やその周辺にまとまっていますが、マレーというとどうしても彼らの民族性を帯びてしまいます。

 1945年8月17日、日本の侵略から解放されたインドネシアは宗主国オランダに対して、そして世界に「インドネシア民族の名のもとに(atas nama bangsa Indonesia)」独立を宣言し、インドネシア語が予定通り国語になりました。

画像4
Jadikankah bahasa Indonesia sebagai alat komunikasi utama di tanah air kita(インドネシア語を私たちの祖国でいちばん優先させるコミュケーションツールにしましょう)というスローガンが書かれた看板。この看板があったのはジャワ人地域のジョグジャカルタですが、ジャワ語ではなくインドネシア語を積極的に使いましょうということです。

「マレーシア語」の登場

 そのインドネシアに少し囲まれたように存在する、マレー半島とボルネオ島に大きく離れた特徴的な国土を持つ国が1957年8月17日に独立しますが、インドネシアとマレーシアの違うところとして、マレーシアは「我らマレー人の国だもんね。ほかの民族もいるけどこの国の主役はマレー人だぜ」という国です。だからといって他の民族を排除するということはないのですが、前提として全ての人々をを「あなたはインドネシア人ですよ」とまとめたのに対して、多数派のマレー人が主役ですよという国です。インドネシアでいちばん使用人口の多い言語はジャワ語で、独立を主導して国家運営を担ったメンバーの多くもジャワ人であったものの、表向きだけでもジャワ人やジャワ語の優位を頑として認めませんでしたが、マレーシアは「いちばん多いのマレー人だし、マレー人の国をつくるんだし、マレー語っしょ」というわけだったのです。

 ところがこのノリで国家をつくるとある問題が起きました。マレーシアは現在でもマレー人と呼ばれる人たちが6割ほどで、残り4割はようはマレー人ではない別の民族なのですが、彼らが「マレー語ってマレー人の言語じゃん。拙者らはマレー人じゃないんだしマレー語を使う理由もないじゃん」というわけで、マレー人と話す時にだけ使うための必要最低限以上のマレー語を覚える気がないという事態になってしまうのです。マレーシアは元英領で英語教育が盛んだったこともあり、マレーシアや周りの島々くらいでしか使い道のないマレー語よりも既に国際的に共通語と認識されていた英語のほうがいいじゃないかという空気もそれを後押ししました。

 そこでマレーシアは「たしかにマレー語はマレー人が使う言語だけど、国民みんな使おうぜ。そうだマレーシア語だ、そうみんなマレーシア人だからマレーシア語を使おうぜ!」ということになりました。インドネシアが独立前から「我々はインドネシアなり!!!!!!」とハイテンションだったのに対して後付けのようなものではありますが、1969年に正式にBahasa Malaysia、すなわち「マレーシア語」という言語がマレー人だけでなくすべての民族に共通した国民の言語として制定されました。

画像5
マレー人も華人もインド人もどんな民族でもみんなマレーシア人なんだぜ!ということで小中学校のマレー語の授業は「マレーシア語(Bahasa Malaysia)」で、中華系の学校では国語と呼ばれます。

インドネシア語を話す人はいないという細かい話

 インドネシア語とマレーシア語という説明をしたのですが、ここで「インドネシア語を話す人はいない」というすんごい細かい話をしたいと思います。じつはこれ日本でも「標準語を話す人はいない」という理屈がありまして、というのも標準語というのはNHKのアナウンサーが話すような文章語のことを指すから、東京周辺の人たちが話しているのは標準語ではなく日本語東京方言である、ということになります。インドネシア語も厳密に言えばマレー語リアウ方言を基に、人工的に国語として整備された標準語のことだけを指すのであって、それ以外の変種(方言など)はマレー語である、ということになるのです。よく、首都はその国のすべての中心、のように考えている人がいますが、インドネシアにかんしていえばもともとジャカルタはざっくりいえばスンダ語圏です。

 だからジャカルタのその辺の人たちが話しているのはマレー語ジャカルタ方言(Dialek Jakarta bahasa Melayu)でして、決してインドネシア語ジャカルタ方言という言い方をしないのが原則です。だからといってジャカルタ出身の人に「お前が話しているのはインドネシア語ではなくマレー語ジャカルタ方言だ」と突っ込みを入れるのは、東京の人に「お前が話しているのは標準語ではなく日本語東京表現だ」というのと同じくらい野暮というわけでして、インドネシア人が「私はインドネシア語を話す」と言えばそういうことにしましょう。

 ちなみにインドネシアでは「マレー語」を一般的に使う場合もあります。よくあるのがその地域独特のマレー語の変種が広く使われている場合で、有名どころだとマレー語マカッサル方言(Dialek Makassar bahasa Melayu)などがあります。実際には省略してMelayu Makassarと呼ばれることも多いです。こういった変種が使用される地域の特徴として、古くから言語の違うグループが同じ街のなかに混住しているのでインドネシア成立以前からマレー語がよく使われていた、というところに多い印象です。

画像6
マカッサルのカンポン・ムラユ・モスク。カンポン・ムラユ(マレー村)という地名はインドネシア各地にあり、マレー人商人などが移住して住んでいたというところなんかにあります。

「マレーシア語」を使う場面

 マレーシアでもインドネシアと同じことが言えるのですが、マレーシアではマレー語という表現のほうが一般的なこともあり「私はマレーシア語を話します」というのは教科書やスローガン以外まずないですし、実際の会話レベルではよほど国家主義者でない限りは「マレー語」という表現を使うのでこの辺は気にしなくていいと思います。

 ただ実際、街中にいるとよく「マレーシア語(Bahasa Malaysia)」という文字はよく見かけると思います。たとえば言語選択欄はほぼ間違いなくマレーシア語です。銀行のATMはだいたいそうですね。なにかのホームページとかで言語を選択する際もEnglishかBahasa Malaysiaか場合によっては中文もあるかというかんじで、公式な場面ではマレー語ではなくマレーシア語という表現を使うのがお約束です。

 インドネシア語はマレー語リアウ方言を基にしましたが、マレーシア語はマレー語ジョホール方言が基になっています。これはあまり本題と関係ないですが、ジョホールのマレー人が話すマレー語はまじで早口で聞き取りにくいです。

 先述の通り、小中の授業ではマレーシア語という言語名になっています。ただし大学に行くと、国民言語としてでなく自然言語としてのマレー語について学んだり研究することになるので、国民言語としてのマレーシア語を研究するという場面以外ではマレー語(Bahasa Melayu)となるのもお約束です。

画像7
バス側面に貼ってあるラジオ局の広告。「国民誰もが理解できるように」と公共の場面では中国語ラジオ局でも「マレーシア語」での広告表記が義務付けられています。いちばん右に中国語が書いてあるのは中国語をロゴマークとして採用しているからです。

英語に敗北したシンガポール

 概ねマレー語とインドネシア語、マレーシア語にかんする話はなんとなくできたかなというところですが最後におまけとして、マレーシアから追い出されてしまったシンガポールと、マレーシアにならない道を選んだブルネイについて軽く述べたいと思います。

 シンガポールはご存じの方も多いかもしれませんが、マレー半島の先っぽにくっついているような形の華人(中華系民族)が7割ほどを占める都市国家です。この国では公用語が英語とマレー語、中国語、タミル語と定められていますが、国語はマレー語だけです。

 そもそもシンガポールはマレーシアに併合することを目指して実際に3年ほどマレーシアだった時期があるのですが、その辺の話は終わらないので割愛します。軽く独立までの経緯を説明すると、マレー人中心の国づくりをしたかったマレーシアに対して華人人口が多いシンガポールは全民族が平等となる国家を求めていました。その過程でいくつか譲歩したり調整したことがあったのですが、シンガポールはマレー人が主体の国家であるマレーシアの国語としてマレー語を認めていたのです。

 まあそのへんでいろいろあってシンガポールはマレーシアから追い出されてしまうのですが、このときに華人人口が多いので、このとき共産化した中国に近付きません、あくまで東南アジアの国家として「自分たちは中国ではないです」というアピールでマレー語を国語になりました。

 シンガポールにはマレー人人口が多くないこと、そして小国の生き残り政策として英語中心の国づくりを選んだことでマレー語はマレー人だけの言語みたいになっていますが、自分たちはマレー世界の国家であるという意思表示としても国歌はマレー語で歌われます。

画像8
マレーシア併合を目指していた時代を描いた版画。Gunakan Bahasa Kebangsaan(国語を使おう)というスローガンに、主にムスリムが着用するマレー帽(songkot)をかぶっている男性が描かれています。

 ブルネイに関してですが、こちらは1984年に英国保護領から独立しました。そこまで人口も多くなくマレー人の国であるという意識が強いため、こちらもまたマレー語という名称のままです。

同じ言語か、違う言語か

 長々とマレーシア語とインドネシア語、ということについて解説させていただきましたが、最後にこの「ふたつの言語」がいかに違うか、同じ課ということについて超ざっくり述べます。

 まず、基になった方言が同じマレー語でもジョホール(マレーシア)とリアウ(インドネシア)であるというところがあって少し違います。インドネシアはジャワ語やスンダ語といったインドネシア各地の言語から取り入れた語彙も目立ちますが、マレーシア語はインドネシアに比べてマレー語の特有の語彙を多用するところに違いがあります。またインドネシアはサンスクリットの語彙を好む、マレーシアはアラビア語由来の語彙を好む、といった細かい違いもあります。しかし実際の運用レベルでは、ちょっと会話したりお互いの文章を読むくらいなら、違和感は感じながらもだいたい通じますし読めます。

 そんなかんじで「読めばわかる」くらいのレベルなふたつの言語ですが、実際にマレーシア語とインドネシア語がそのようになったのは1972年のことで、このときに英語由来の綴りが目立ったマレーシア語とオランダ語由来の綴りをしていたインドネシア語の統一綴りが運用されるに至りました。国内事情の話をすると、マレーシアが複数の民族間対立事件を経験し統一言語としてのマレーシア語を制定したのが1969年。マレーシアに対して攻撃的な姿勢であったスカルノが失脚しインドネシアが強固な独裁体制を敷きはじめたのが1968年。お互いに国内情勢を落ち着かせていこうとする時期のことです。

 統一綴りはできましたが、いまも細かい違いなどが見受けられますし、そういった違いをこれから先の記事で解説していければいいかなと思います。

画像10
左から小6「マレーシア語」の教科書、小6「インドネシア語」の教科書、シンガポールの小5「マレー語」の教科書

 いろいろな側面から比べてマレーシア語とインドネシア語は同じ言語である、いや違う言語である、といった議論はできますが、この記事では「同じ言語の違う規範」であるとして扱おうと思います。それが違う言語ということなのでは?という突っ込みもあると思いますが、どちらの国とも言語とも関わっている身として、このブログではそう定義したいと思います。

 というわけで、マレーシア語とインドネシア語のそもそも、の話でした。次回から具体的な違いを紹介していきたいと思います。

 Terima kasih!(ありがとうございました)

画像9
ジャカルタの青空書店。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?