自己紹介(恋愛とか結婚とかプライベート寄り)

地元の話

山本俊=GVAの山本になっているので、プライベートも含めてGVA以外の山本について自己紹介してみようと思います。

出身は三重県のほぼ最南端の熊野市というところです。僕が地元を離れてから認定されたので実感はないですが、熊野古道は世界遺産に登録されています。

熊野市の場所

小学生の頃はトランプ、花札、株札。中高は麻雀、競馬とギャンブルに明け暮れてました。

将来は「JRAの職員かプロ雀士になりたいなー」と思っていましたが、なんだかんだで大学受験をすることになり、高三からちゃんと勉強しました。

1年間はかなり勉強した結果、第一志望の岡山大学法学部に合格しました。ただ、すごいスムーズかというとそうでもなく、前期で落ちて後期でギリギリ受かりました。(小論文がハマった)センター失敗して前期D判定、後期E判定だったこともあり、願書出す時点で担任の先生からは前期は岡山大学にチャレンジしても良いけど、後期は別の大学にした方が良いと強く勧められました。僕はなぜか岡山大学にこだわっていたので後期も岡山大学にこだわり滑り止めも受験せずに一本にしました。この経験が良くも悪くも僕のオールイン思考につながっている気がしてます。

学生時代と司法試験

大学に入学してからは学部の友達と1年くらいは遊びつつ、2年からはテニスサークルに入り、ちょっと遊び飽きてきたということもあり、司法試験を目指すことにしました。司法試験の勉強するには予備校に通わないといけないという話を聞いたので、時給700円のちゃんぽん屋でアルバイトして100万円くらいの予備校代を貯めました。ベネッセの採点のアルバイトもロイヤルホストのアルバイトも落ちました😭

無事に予備校代も貯まり、結果としてはロースクールにも合格しました。高校まであんまり勉強してなかったせいか、余力があり大学時代はよく法律の勉強をしてました。

ロースクールは山梨学院大学法科大学院に入学しました。寮も完備で自習室等の環境もかなり良く、また甲府駅から一駅ズレていることもあり勉強に集中できる環境でした。もちろん勉強はしていたのですが、なんと甲府の隣の石和には場外馬券売り場のWINSがあったので、毎週のように通っていました。本当に楽しくて前日楽しみで寝れないことも多々ありました(笑)競馬はお金も時間も消し飛ぶので1年生の終わりくらいに「馬断」して司法試験の勉強に集中することにしました。

弁護士になった後の未来も見越して勉強していたので、英語は絶対に使うだろうと思って2年生になった頃に某英会話スクールに通い始めました。英語は苦手ではあったのですが想定以上にできずに中学生の男の子とよく一緒のクラスで勉強してました(笑)いや、僕ができなかったんじゃない、彼ができすぎたのか。

その頃に新卒で英会話スクールに入社してきて出会ったのが将来の妻となる女性でした。出会った時からいいなーとは思ってましたが、特にアプローチもせず司法試験の勉強に当時は集中していました。司法試験の半年くらい前は大晦日も元旦も含めて12時間から15時間くらいは勉強してました。

司法試験受験後の5月から発表の9月までは青春18切符を使って鈍行で日本全国回ってネットカフェとかに泊まってプラプラとしてました。

結果としては司法試験は一発で受かりました!詳細はコチラ。


恋愛と結婚

司法試験に合格したら英会話スクールの子に告白しようと考えており、方法を考えてました。(リアルで食事に誘ったり携帯を教えてもらうのは生徒さんには教えられないと体よく断られてました)

色々と考えた結果、ラブレター作戦でいくことにしました!レッスンの終わり際に旅行に行ったお土産の金粉饅頭とハニワと一緒に渡しました。(ハニワは後になんか怖かったと言われましたw)ラブレターの中に書いていたアドレスに1週間後くらいに連絡がきて、ご飯を食べにいくことになりました。

ご飯の場で改めて告白したのですが「英会話スクールの仕事に集中したい(先輩が辞めて新卒2年目の自分だけになってしまった)」「大学時代に癌を患っており再発の可能性がある」ということでフラれてしまいました。。。

途中経過は省略しますが、司法修習も甲府にしてずっとアプローチしてました。結果としては修習中の10ヶ月間では実らなかったのですが、僕が東京・埼玉に引っ越して2ヶ月後くらいに「英会話スクールを辞めて落ち着いたから、まだ私のことを想ってくれているなら少し考えさせて欲しい」と連絡がきました!

その後、考えていたのか3ヶ月くらい放置されましたが、なんとかお付き合いすることになりました!トントン拍子に婚約してGVA創業ちょっと前の2011年12月に結婚しました。

妻の死

結婚生活とGVA創業が同時にきてしまい忙しかったですが、楽しく暮らしていました。ただ、結婚から数年後に当初から懸念していた妻の癌が再発してしまい、治療を再開していくことになりました。癌の進行は早く2018年5月に余命3ヶ月の宣告を受けてしまいました。僕も病院に半年くらい寝泊まりしたり、セカンドオピニオンで色んな治療法を調べたりしましたが、どんどん悪化していきました。比喩的じゃなくて余命宣告とか受けた時は目の前が真っ暗になりましたね。

2019年に受けた手術が成功して最後の数ヶ月は家で過ごせましたが、2019年10月に亡くなりました。このような状況の中でも色んな人の支援の元でGVA法律事務所と当時立ち上げたばかりのGVA TECHを維持できたのは本当に感謝です。

当時の人生で最も大事なものを失ったわけですから、本当に辛い日々でした。常に全力は尽くしていたつもりでしたが「あの時こうしておけばよかった」みたいな後悔がどんどん頭をよぎるんですよね。ただ、結婚したことは全く後悔してないです。楽しい時間を過ごさせてくれたのとGVA創業期を支えてくれたことには本当に感謝の気持ちしかないです。

その後とこれから

気持ちを紛らわせるというわけではないですが、そこからはガッツリと仕事に集中しました。直後の取締役CTOの退任や資金調達活動の最後の方でコロナとぶつかって苦戦を強いられたとか色々と大変なことはありましたが、「気持ちさえ強く持てば事業での失敗は死に直結しない」と思い、走り切りました。

2020年、2021年と2年間コロナの中でさらに走り切った成果があり、GVA法律事務所もGVA TECHも良い土台が作れたと思います。

僕もGVAもまだまだこんなもんじゃなくて、もっとやれるという気持ちが本当に強いので来年も今まで以上にしっかりとやっていこうと思ってます!




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