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第一巻 工場街育ち  1、ペニシリン注射

1、ペニシリン注射

※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。

 俺の名は、横田宗助。俺は、これまで、この世とあの世の境にある塀の上を三度歩いたことがある、もちろん好きで歩いたわけではない。歩かなければならない羽目になった。どの場合も運良く風が吹いて、こちら側に落ちた。運が良かったとしか言いようがない。もし逆の風が吹いていたら、俺は今頃、この世にはいなかっただろう。他の人の人生は知らないが、誰でもこんな経験が何回もあるものだろうか? 

 小学校の三年か四年生の頃だったと思う。夏の夕方でもう薄暗くなってきた頃だった。俺は突然、目が覚めた。俺は、元来元気一杯の子供だったから、こんな時間に目が覚めたことの方がおかしかった。この時は多分、食中毒だったのだろう。さらに奇妙だったのは、俺の枕元に兄が座っているではないか。兄が、「おまえ、泣け」と、言った。俺は、気分爽快でとても泣く気分ではなかったが、兄が言うので思いっきり泣いた。俺が痛くも痒くも無いのに泣いたのは、この時が最初で最後だった。俺が泣いたら、足元の方で、母親がワッと泣き出した。この瞬間、俺は黄泉の国から生還したらしい、後で聞いた話だが、、、。

昔は、大きな病院の先生でも緊急の時には往診してくれた。かぶらぎ先生は、俺が食中毒になったこの時も来てくれていたのだ。俺の青ざめた顔を見るなり、「この注射で意識が戻らない時は、覚悟してください」と、言ってペニシリンを打った。しばらく待ってもダメのようなので帰ろうとした時に、俺の意識が戻ったらしい。神様ありがとう。

 俺は昭和二十五年生まれなので、団塊の世代の次の年に生まれた。俺には三つ年上の兄がいる。俺も兄もどちらかというと健康であまり大きな病気をした記憶はない。ただ兄貴は、どう言うわけか二、三ヶ月に一度、扁桃腺を腫らした。この時は高温になることが多く、大田区役所の裏手にある『かぶらぎ小児科医院』によく行った。その時は俺も、母親と一緒にこの病院に行った。かぶらぎ先生は、ペニシリンが好きで扁桃腺の時は、兄貴はよくこれを打たれていた。それは、親指の太さもあるでかい注射器で、子供の腕には太すぎて打てないので、尻に打たれる。俺はこれが怖くて、ペニシリンは絶対打たれたくないと子供心に思っていた。俺は結構要領が良かったのだろう、あまりこの太い注射を打たれた記憶がない。しかし、一度だけ決定的な時に打たれたらしい。俺には意識がなかったので、それはそれで良かったのだが、、、。おかげで、俺は黄泉の国から奇跡的に帰ることができた。ペニシリンさまさまである。

 幼き日 三途の川の渡し賃 払わなかった ペニシリン様

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