バースデイズ・スーパー・ムーン

 郷土料理を作りたくて立ち寄ったスーパー・マーケットでカゴを片手にクリスマスソングに気を取られていた。プリマは、まだ、クリスマスには早いだろう、と世界のことを思い、十二月に支払うクレジットカード明細のことを思い、無機質に麦酒をそそぎだすビールサーバーのことを思った。
 ハロウィーンの灯りが消え、邪魔だと言わんばかりに暴力的に現れたクリスマスを見据えた光は、プリマを萎縮させたし、それと同じくらいに街に溢れる言葉たちも、成人したてのプリマをさらに脅迫した。

「やっと好きに酒を飲めるな」
「これで責任は全部君に収束するんだ」
「国民年金のお支払いにご協力ください」
「未成年は立ち入りをご遠慮いただいております」
「なんか、変わるか? 成人したくらいで」
「いいなあ、俺も十年若返りてえー」
「楽しむんだよ、たくさん」
「うるさい、わたしだってまだ二十代よ」

 バースデー・ケーキの上のロウソクを消すようにプリマは窓から見下ろせる街のイルミネーションにふっと息を吹きかけた。ただそれは曇って、プリマの反射する顔を見づらくするばかりであった。
 プリマは大好きな田舎の料理を作るために湯を沸かす。今日はプリマの誕生日、彼は一人でキッチンに立ち、牛肉を一口大に切り分ける。彼の頭の中にはイヴの笑顔、それだけがぼうっと浮かんでいて、ふるさとが同じイヴに自慢の手料理を食べて欲しい、それがプリマの誕生日のお願いだった。プレゼントはいらない、僕の料理を食べてくれーー、プリマは彼女にそう言う風に頼んだ。トマトの香りが高まった。
 あと一分、時計の針は二十三時五十九分を差す。プリマが呼び鈴の音に気づいて、火を止め外に出ると、マンションの玄関のところにイヴが立っていて、プリマにおめでとうと微笑む。ぎりぎりだなあ、とプリマがはにかむ。

クリスマスソングの前に、バースデーソングを忘れてるね、この街は。

 イヴはそう言いながら薄ピンクのバッグを探って、真っ白なハンカチを二枚出した。二つ揃いのを買って来たから一緒に使おうと、イヴは言い、甘すぎて恥ずかしいなと、プリマが答えた。外は普段の深夜より心持ち暖かいような気がして、プリマはイヴの誘いに対して、うんと答え二人は人気の少ない道を選んで歩いた。川は真っ黒に光って美しかったし、なによりプリマは川が好きだった。全てが理想的だった。全てが輝いているような気がした。まるでクリスマスを照らすイルミネーションのように。
 二人は歩幅を合わせて歩いた、ぽつりぽつりと会話は流れていき、イヴもプリマも似たような心地よさ、それはまるで抹茶ラテのような心地よさを共有しながら歩いた、どちらともなく手を繋いだ。二人の呼吸は溶け合った。それは彼らが繰り返して来たキスとは明らかに異質な何か、素敵な何かが存在していて、イヴは、プリマよりも後にやってくる自分の誕生日がこれほど幸せになるだろうかと思った。

バレンタインソングの前に、もう一度バースデーソングの季節がくるね。

と、キスの後にプリマがそう呟いた。思わずイヴはえっ、と叫んでしまってから、恥ずかしそうに私のはいいの、と言った。楽しみだね、とプリマは言い、楽しみだね、とイヴが言った。
 夜道を共に歩けることがとても幸せだった、その足音のハーモニーは太平洋を泳ぐクジラのような美しさ、サハラ砂漠を歩くラクダのような調和感であった。

そろそろ帰ろうか、美味しいシャンパンを用意したんだ。

自分で? さすがだね。

もともと一人で祝う予定だったからね。

何歳の独身よ。でも、日付変わっちゃったね。

今年成人だよ。祝ってくれてありがとう、嬉しい。

 プリマとイヴの温もりは冷たい夜の空気を切り裂いてぼうっと光っていて、彼らは一目散に家へと帰った。それはまるで、世界から逃げるようでもあったし、世界への挑戦のようにも見えた。
 北斗の星がそれを照らし、汚れた海も輝き始めていた。

「それから、もう一つ私からのプレゼントだ。今日は満月になって、君の誕生日を祝福してあげよう。」
 私は二人が愛し合うのを見届けて、縮緬のような柔らかな雲のローブに身を隠した。二人は、人工的なオレンジ色の中で、とても幸福そうにシャンパングラスをちん、と鳴らした。



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