Everyone is me in rain

* 
明日は楽しみにしていた。
明日は、映画を観に行くの。完璧なスケジュールができている。わたしはテレビをつけて夜の最終チェックをする。大切なお出かけだから、荷物も全部、お気に入りのピンクのハンドバックに入っている。クロエの高級なやつよ。朝は七時に起きれば間に合う。わたしはパパに似て目鼻立ちがしっかりしているからメイクもそれほど時間がかからない。ベースとファンデーションを塗ったら、あとはチークとリップを軽く使うだけでわたしは満足する。昔は目元も大きくやっていたけれど、いいの。わたしはこれで。
 絶望的な知らせが聞こえる。テレビのメランコリックな低音はわたしを地獄へ引き摺って行く。
「明日は、関東、北陸は一日中雨の予報です」


雨は好きだ。雨の日はみんな傘をさして出かける。傘は個人的だから僕は自分の部屋を持ったまま世界に出て行くことができる。毎日ずっと、雨だったらいいのに。雨の日は、朝から雨の匂いがする。アメリカの大きな岩の内奥から発されたような、世界中の植物たちが一斉に息を吹きかけているような、そんな、ふうわりとした香気が僕の部屋を包んでいる。素敵だ。僕はカエルかナメクジにシンパシーみたいなものを感じて、恋人に手紙を返す。もっとも恋人と思っているのは僕だけで、彼女が僕を恋人と思ってくれているかどうかは怪しい。それは天気と同じ曖昧なもので、雨といえば雨だし、曇りといえば曇りなのだ。今日は雨だね、と書き出したところで僕はううん、と思う。彼女はもしかしたら雨が嫌いかもしれない。


やれやれ、と俺は思いながらカーテンを開ける。これじゃあ洗濯物が乾かないどころか部屋にカビでも生えちまう。昨夜は飲みすぎて覚えてないが、多分女と一緒に俺は帰ってきたんだろう。ピンクのハンドバックが置いてある。忘れていくなんて、不用心なやつだ。しかし、どんな女だったかさっぱり思い出せない。きっと抱いたんだろうが、ここ最近、記憶がないことが多すぎる。酒には気をつけなきゃあな。しかし、今日の雨はロクでもない。秋霖ってのはどうやら昔の暇な歌人たちにとってはそれなりに価値のあるものだったようだが、これじゃあ、今日の予定がひとっつも進まねえ。あれ、今日はしなくちゃあいけないことがあった気がしたんだがな、さっぱり思い出せない、なんだっけ。とりあえず、ビールでも飲んで落ち着いてから考えよう。


ああ。やっぱり雨だ。予報通り。映画は別の日にしよう。雨じゃあわたしの完璧なスケジュールが成り立たない。それに低気圧で頭も痛いしね。
机に手紙が置かれている。雨は素敵だねって?
ねえ、わたしはあなたのせいで、天気予報が倍になっちゃったのよ。あなたの街の天気予報を気にしているの。あなたのところでも、雨が降っているのね。それなら、いいかな。会えなくても、季節と天気が一緒なのは嬉しいな。また、映画行こうね。
そしてわたしはやれやれ、と思う。まただ。ビールの空き缶。男の字で書かれた恋人の手紙。ああ。ああ。


手紙の返事はない。机に伏して眠ってしまったみたいだ。手紙に薄ピンク色のリップの跡がついている。彼女がここにいたのだろうか? 会いたいよ。


そうだ、思い出したぞ、今日は映画を観に行こうと思ってたんだ。チケットもとっていたはずだ。やれやれ、そんなことを忘れているなんて。どこだっけ、ああ、そうだ、机の上に紙切れがある、これじゃないか? あれ、なんだ、このラブレターみたいなのは。


ああ、ああ、ああ。ビールの空き缶が増える、手紙の返事が届く。わたしは気を失いかける。僕は雨を窓に打ち付ける風の音色に耳をすませる。俺は一体何を忘れている? わたしは、わたしは、上手にメイクをして、これから映画に、ねえ、君は雨は素敵だって思わないかい? 僕は雨の匂いが好き、ああ、やれやれこれじゃあ洗濯できないじゃねえか。

「今日は、午後まで激しい雨が続きそうです。秋雨前線の影響で各地……」

明日は、楽しみにしていたんだ。

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