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第3章 過酷修行と言われるヴィパッサナー瞑想より、毎日の実生活の方が過酷修行と悟った話。


なんだかんだで、全く話が始まらない、さわでぃー瞑想話、気がつけば第三章へ。




10日間、誰とも話してはいけない、書物を読んでも書いてもいけない、ただひたすらに瞑想しまくる過酷修行、ヴィパッサナー瞑想があると聞いて、日本でもできるのに、なぜか瞑想といえばインド!と思い立って、一人旅をしたこともないのに決行。


インドに到着したらしたで、インドのカオスさにすっかり魅了され、これを味わいに来たんじゃないか!?ビバ・インド!最高\(^o^)/となり、危うく本筋を忘れかけ、やっとの思いで瞑想センターに到着。

瞑想センターに入ると、学校の図工教室にあるような、大きな木の机が何個かあって、そこに、ペラッペラの透けそうな紙を4枚並べて、近所のおばちゃんとおじちゃんみたいな人達が、受付をしていた。


携帯、iPad、本など、あらゆる端末と暇つぶし道具をこの受付の方々に預けること、
そして、パスポートまでも預けろと言うので、(たしか。)
申込用紙を書き、10日間逃げません、色々承知しました、大丈夫です。みたいな用紙にサインするフリをしながら、日本人の秘技、“空気読み・同調“を使い、左目の端で周りのみんなの様子をリサーチ。大変申し訳ないけど、全てを疑ってこの国に来ているもんで、全てを預けて大丈夫なのか、信用しがたかったのだ。


手はサインをする形で、背筋を伸ばし、私の左端の目、右端の目で、全員の様子を確認。

到着順に、携帯デバイスやパスポートを彼らに預けているのを確認して、そのボランティアらしき方々から発される“優しさ”も相まって、

「うん。彼らを信じよう。」と、事務にパスポートを含む貴重品の全てを手渡した。

(お財布も預けて良かった気がするけど、私のことだから、各所に分散させて持っていたために、面倒で渡していないと思う。)(結果的に、頑丈な金庫に保管してくれており、預けても安全だった。)


受付を終えた先では、完全に男女別に分かれており、2人1部屋になるので、事務のボランティアさんが部屋割りを到着順にしていた。


「へえ!日本から来たのね?あなたの名前は、マリカ    かあ〜。さっき、似た名前の子がいたから、その子と同じ部屋にしましょう!ルーム33に行って!開始は、16時から!食堂に来て!」


そんな案内を受けて、私は、ルーム33のドアを叩いた。
そこを開けると、ハーイ!と明るいフランス人が待っていた。
彼女の名は、“マリア”。    ルーム33は、マリ&マリ    ペアである。


ルームメイトのマリア。
彼女は、フランスの大学でジェンダー論を学んでおり、交換留学でスリランカに1年留学中。
この時は12月だったので、冬休みにネパールを目指して北上し、その途中でこの瞑想を知り、ネパール道中に立ち寄ったという、私よりだいぶ肝が据わった軸のある子であった。


初対面の彼女と私はこの後、“あ・うん(阿吽)”の呼吸で、10日間、会話をせずに、なんとか共に生活をし、共に瞑想を楽しんだ。


マリアとマリカは、自己紹介をして、互いに、来たる10日間に向けて、ワクワクと不安について話した。そんな時も、あっという間に、開始時刻の16時になった。


建物の構成は、食堂、宿舎、瞑想の建物×2つがあり、瞑想の10日間中は、女性チームは、お手伝いの方も全て女性で、男性の姿を見なかった。きっと男性側にも同じ分だけ建物があると思う。


宿舎から、てこてこ歩いて、食堂の建物へ行き、マリアとマリカは事務の方々の周りに座り、説明を待った。周りを見ると、女性だけで、参加者は50人程度。高齢の方から、高校生くらいまで年代は様々だった。

私のような海外勢は10人程で、イギリス、フランス、韓国、オーストラリア、スペイン、アルゼンチン、日本、と多岐に渡った。
(帰りに、イギリス、フランスの方に、アメリカ人て今回いないのね?と話したら、あんな自由の国で悩まないでしょう。はっはー!と、大陸ブラックユーモアをかまされた。)



全員が集まったところで、説明が始まり、10日間、話さないこと、アイコンタクトやジェスチャーも禁止。ただ、内観し己と対話してほしいことが言い渡された。朝は4時に起こすこと、就寝は21時。ご飯は、朝と昼にカレーがでて、Tea  timeが17時から。夕飯はない。

体調が悪くなれば、ボランティアに申し出て欲しいとのことで、最悪の場合は、ここから救急車だったりGive  upもあるとの事が言い渡された。瞑想の先生が、先導していくので毎日、疑問があればいつでも質問して欲しいとの事だった。


こちらは、毎日のスケジュール。

まあ、夜型の私がみて最初に思ったのは、朝4時起きで“BE HAPPY”って言えないぞ。
と、この掲示板に突っ込んでいたけども、ここまで来たからにはやるしかない。
何が起ころうとも、“BE HAPPY”のMindを得て帰国するしかない、と腹を括った。



17時。
「この食堂の入り口を一人ずつ出てもらうけれども、そこからこのプログラムが始まります!さあ!立って!」

そんな、ボランティアの方の掛け声とともに、みんなドギマギと立っている中、私の横のマリアはすぐさま立ち、食堂の入り口へ向かった。


こ、こやつ!やりよるっ!さすがマリアだ!と思いつつ、後に続き、2番手に私も入り口を出て、我々ルーム33は、2人とも無言生活を開始した。


初日は、18時からの瞑想が開始。
こんな所で、座ってみんなで瞑想する。
中心には、先生が座る。

最初の1時間は、全く集中できなくて、足が痛いだの組み方が悪いだの、隣の人の体臭が気になる気がするだの、私は、大丈夫なのだろうか?


なんて、さまざまなことが頭の中を忙しく駆け巡っていった。
何も考えない状態で、瞑想なんてできるのだろうか・・・?


そんな不安を抱えながら、初日1時間の瞑想を終了し、ルーム33部屋に帰った。
部屋に帰ると、今までの疲れが一気に押し寄せて、すぐにそのまま横になってしまい、
マリアのお風呂に入る音で目が覚めた。


ワンルームのような部屋には、ベッドが2人分と、トイレとシャワーが付いている。
窓はあるけど、枠にガラスが入っていずに、全て網戸である。
カレンダー上は12月であるが、ここ南インドの気候は、日本の東京の秋ぐらいで最高25度、最低15度くらいだった。



マリアのシャワーが終わり、私もそういえば、昨日のモスラ事件で日本を出てからお風呂に入れていないことを思い出して、意気揚々とシャワーに向かった。


窓が網戸なので、半外でシャワーを浴びているような感じなのだが、途中で重大なことに気がついた。


“お湯が全く出ない・・・。”


そう、インドでお湯が出るシャワーとはかなり貴重らしく、水風呂が基本らしい。
夜15度の気温で、寒がりの私には、過酷な水風呂・・・。
何を隠そう、温泉が大好きで、寮暮らしでは週4で近所の温泉が出る銭湯に通っていたくらいお湯が好きなのだ。


自分の経験の中で、水風呂がなく、甘くみていた私は、頭も洗い、丸っと水風呂で全身を冷やした。


まあ、大丈夫だろう。


そんなことを思いつつ、持ってきたドライヤーで髪を乾かそうと思ったけど、もう、21時を超えていて、辺りは暗く、この窓ガラスのない世界で、ドライヤーの音はみんなを起こしてしまうのでは?と言う遠慮を抱き、タオルドライをして念のためタオルを巻いて就寝した。


翌朝。
私は、猛烈な喉の痛みで目を覚ます。
そう、直ぐに身体に症状が出やすいのである。


あれ?これはやばいな・・・。
そんなことを思いながら、2日目を迎えた。

続く・・・。④



【追記】
大体、シャワーからは、下水の匂いがするので、手洗いやシャワーの下の蛇口を捻って、バケツへ水を溜め、桶で頭を洗ったり身体を洗ったりする。

トイレも、まあ、水圧が低いので、バケツに水を溜めて一気に流す。
兎にも角にも、バケツがかなり役に立つ。
シーツは持参で、ベッドの衛生的には○。
トイレットペーパーはインドではどこでも無い(ショッピングモールでも。)ので、日本から4ロール持参した。


ただ、南国に来ると、私だけの注意だけれども、蟻の襲撃に毎回あい、今回もなぜかこのベッドの上を蟻が移動ルートと設定するという事案が発生し、夜な夜な、私の体の上を蟻が歩いていくという、蟻さんからの地味な嫌がらせにあった。朝、ご飯の時に、どこからともなく私に付いてきた蟻さんが出てきて、私より先にご飯を食べているのが常だった。

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