シナリオと小説の違いは、「目的」の違い?

自分は最初小説から書き始めて、それからシナリオの勉強を始めてーというかんじで、手探りで小説とシナリオの違いをぼんやり考えながら、うまく言葉にできないかなあともやもやしてきたのですが、なんというか・・・・・

あくまで私の「主観」なので、「違うわい!」みたいな突っ込みどころがあれば、どうかご容赦ください。

小説は、それ自体が、言葉のひとつひとつが「作品」として、読んでくれる人がいるんですね。読者にとっても、小説の言葉ひとつひとつこそが「目的」っていうか・・・・・小説であるじゃないですか、「この一言が忘れられない」とか「この言葉に打ち抜かれた」みたいな。そして、それは読んだ人の頭の中で「イメージ」されるんですね。読者の「心の中」で像を結ぶ。

シナリオは、目的が「こういう映像を創ってほしい」ようは「俳優さん女優さんにこういう演技をしてほしい、この人とこの人がこういう「台詞」でこういう芝居をして、こういうシーンの映像を創ってほしい」みたいな「指示」をする、「現実に存在する役者さん」に、「現実に演じてもらう」ための指示というか、現実に肉体を持った役者さんを通して「実体化」「具現化」「映像化」してもらって、それを撮影して、ドラマなり映画なりでオンエアされて、それを視聴者が初めて視聴して、そこで初めて視聴者が「映像」を見て、「役者さんの台詞、音」を「聞いて」、視聴者に届く。シナリオは、役者さんに「こうして」という「指示」を出すのが目的、みたいな、そんな感じ、なのかなあ? だから、小説だったら読者の心の中で「イメージ」はできるけど、役者さんが芝居で現実に「演技して」「具現化」「実体化」できないような、「演技しようがない、イメージ的な「言葉」」は、シナリオでは駄目。てことなのかな・・・・・

例えば小説で、

そんなの、やりきれない。

で済む一文でも、


これをシナリオだったら、「それ役者さんに「どう演技してもらうの?」」

を考えなきゃいけない。そんなの、やりきれない。という気持ちを「どう役者さんに「演技」してもらって」撮影して「映像化」するか?


英二、うなだれる。

とか、

英二、曇り空を見上げる。

とか、

英二、近くにあった机を思い切り蹴る。

とか、、、


それを考えるのが、シナリオライター、脚本家の役目、なのかなあ。


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