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「地元」という言葉の哀しさ

 大学に入って「地元」という言葉を多用するようになった。
 私は地元を離れて大学に通う身なので、なおさら使う。きっとこれからも使っていくだろう。

 大きな引っ越しを経験しなかった高校生までは「地元」にいた。大学から「地元」を離れた。今は「地元」に帰っている。

 普通、「地元」は対外的に使う言葉だ。だから、自分や身内以外に使っている分にはなんにも哀しくないし、嬉しくもない。

 だけど、自分相手に使ってしまったときは違う。

 私は完全にここから追い出されてしまった、という気持ちになる。薄い透明の膜からポンッと押し出されて、そのすぐ傍で、呆然とその細胞の形をした球体を見つめている。どうやって自分はここに入っていたのか思い出せない。自分から出ていったに違いないのに。

 物理的に距離が遠かった頃は感じなかった、疎外感。

 つい数ヶ月前までは一切使わなかった「地元」を使い始めるようになって、私は急に「地元」を得てしまった。これから私は地元で働くことになっても、ずっと「地元」だと意識して生きていくのだろうか?

「カッターさんはどこ出身なの?」
「あ、いえ、ここが地元なんです」

 ずっと、このまま?



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