オキナワンロックドリフターvol.67

自身への不甲斐なさからくる焦りや不安、それに追い討ちをかけるように2004年の一件の後も中立的立場で連絡をとっていたアルタイルさんとフランさんとはご両人の仕事と家庭環境の変化から連絡が取りづらくなり、さらにしばらくしてフランさんと完全に連絡が取れなくなったショックと喪失感もあるかもしれない。心の変調が身体にくるようになった。しかも、悪いことは連続する。職場で疲弊することが立て続けに起きてしまった。
ひとつめは職場に配属された新人さんを苛めたという疑いをかけられたことだ。その方は長年料亭の仲居をされていたという方で、食品を扱う仕事らしかぬ厚化粧と香水臭さが印象に残る人だった。かつての職業柄なのか、職場の人間関係を即座に把握されたようで、上司と上司のお気に入りにへつらい、私を馬鹿にする言動が日増しに目立っていった。
なのにも関わらず、その新人さんの指導を私が任された。しかし、なかなか覚えず、やんわり注意しても知らぬ存ぜぬな表情をし、投げたように食品の計量をする彼女にきつく注意したのがまずかった。彼女は突然泣き出し、「辞めます!」と叫ぶや否や、社長室に駆け込み、私が苛めたと吹聴した。幸い、その場を見ていた職場のパートさんが比較的私のことを理解してくださる方でその方がフォローしてくださったから事なきをえたものの、もし、折り合いの悪い上司やコンサルタント担当ないし彼女らのサイドキックスしかその場にいなかったら私は職を失っていた。
これだけでも疲れていたのに、さらに疲れる事態が起きた。仕入先の営業マンさんに気に入られたようで、休みの日に出掛けないかとか食事に行かないかとか誘われるようになった。その営業マン氏は人懐っこい笑顔と軽妙なトークで上司とコンサルタント担当のお気に入りだった。だからなのか、二人は私が営業マン氏の誘いに困惑していると、「あんた、選り好みする程偉くはないとだけん、誘いを受け取りなっせ」、「早く結婚せな」とやたら焚き付け、それに気を良くした営業マン氏がやたらアピールする悪循環に具合が悪くなりそうだった。営業マン氏は本当に好意を抱いていたのかもしれない。しかし、子どもの頃からの迫害のせいか、同じくらいの年の人と話すと極端に緊張し、ましてや男性となると恐怖が勝った。それに、猜疑心が強いので「私をからかって何が楽しいのか?」と営業マン氏に苦手意識を抱くようになり、休みはゆっくり体調を回復したい私には営業マン氏の誘いは迷惑でしかなかった。しつこくアピールされてから2ヶ月後、営業マン氏は別のルートに転属されることになり、私はほっとしたのだが、腹を立てたのは上司とコンサルタント担当だった。営業マン氏が去ってから私への風当たりは強くなり、彼女たちは聞こえよがしに「何様のつもりね」、「偉そうに」と言うようになった。
極めつけは、昨年末にかつての同級生が違う部署とはいえ、同じ職場に入社したことである。食材を受け取りにその部署に来た際に彼女から懐かしそうに声をかけられたものの、私は彼女が苦手なので愛想笑いをして返すしかなかった。それから数ヵ月後、彼女は所属部署のリーダーと結婚した。
ある日、渡された食材を検品していると彼女から声をかけられた。
「コサイさんは高校よかとこに行ったのに、なんで大学いかんかったと?」と。
マリッジリングをさりげにちらつかせながらの明らかなるマウンティングだった。
私は心から血を噴き出しつつどうにかはぐらかした。
仕事帰りの駅のベンチで私は泣いた。このままこの職場にいたら私は……。
以来、朝から頓服を口にしないと仕事に行けないくらい心は磨耗していった。
パニック障害の再発は7月27日の朝だった。電車の中でつり革にしがみつくように立ち、駅に着いた途端に目眩がひどくなり、胃液を吐いた。食品を扱う仕事で嘔吐は御法度である。駅員さんに冷たいお茶を頂き、一呼吸つくと職場に連絡した。上司は吐き捨てるようにお大事にと棒読みで返し、私は欠勤となった。
しばらく休ませてもらい、家に引き返し、蒸し暑い部屋の中、冷えピタとアイスノンを使って頭を冷やし、眠りについた。
起きたのは午後15時だった。
そういえば今日は城間兄弟の誕生日だ。おめでとうを言いたいな。どうか俊雄さんがおられますようにと願いながら城間家に電話した。
5コール目で電話が取られた。ぼそぼそした喋りだから俊雄さん?しかし俊雄さんにしては声が明瞭だ。正男さん?
ぼやけた頭だったせいなのか「すみません、コサイと申しますが、俊雄さんはご在宅でしょうか?」とうっかり口にしてしまった。
沈黙が流れ、電話を取ったのが正男さんだと気づいた時は血が爪先まで急降下する勢いだった。恐怖で鼓動が早くなった。どうしよう。また逆上したら?また揉めたら?失敗は許されないのに。今度こそおしまいだ。
過呼吸寸前だった。しかし、正男さんの口調は淡々としていた。
「ああ……。俊雄は今留守ですよ」
テンションは低く、声は暗かった。
まだ、ふさぎこんでいるんだと察した。
私は続けた。
「正男さん。2年前はごめんなさい。あんな、暴言を吐いて」
言いたいことは山とあるが詰るような手紙を送り、暴言を吐いたのは私だ。私も正男さんを追い詰めた一人だ。謝りたかった。謝ってもすまされないけれど。
しばらく沈黙した後に正男さんはせかせかとした口調で返された。
「ああ、いいんです。過ぎたことですし、僕が悪いのだから」
色々思い出すのだろう、私とあまり話したくないのが伝わった。
だから手短に伝えた。
「正男さん、誕生日おめでとうございます」
「え?」
正男さんは戸惑われたようだ。
フライングしたかなあと悔やんでいたら正男さんは返された。
「あ!覚えてくれていたんだね。ありがとう、ありがとうね」
その声は今まで電話口で聞いた正男さんの声の中で一番優しく柔らかかった。
「俊雄さんにも宜しくお伝えください」と言い、電話を切ろうとすると正男さんの声が返ってきた。
「わかりました。俊雄にも伝えておきます。ありがとうね」

こんな柔らかい声が聞ける日は永遠にこないと思っていた。
少し前進したようだ。
いつか、いや、来年あたり城間兄弟に会えるだろうか?会いたい。切実に。

早鐘を打つようなリズムの心音がだんだん落ち着き、パニック発作から冷えきっていた手足は温かさを取り戻していった。
好きという感情は最良の特効薬なのかもしれない。
私は蒸し暑い部屋でほっとして泣いた。
その日以来、私は正男さんと電話で話す機会が増えていった。
最初は警戒心が残った喋り方だったものの、少しずつ身近な話や紫時代の話をしてくださるようになった。
そんな中、mixiのマイミクさんがとあるSNSを勧められた。“My Space”というSNSだった。日本語版は出たばかりだが、ミュージシャンたちはこのSNSを使い、自身の音源を配信したり、アップロードしたりしていた。
見ると、マリーさんも公式ページを作り、新曲の情報を配信しているようだ。
私は新規登録し、英語の勉強も兼ねてMy Space内で英文日記を書いたりした。
マリーさんのページから、新曲“Asian Rose”のプロモーションビデオが配信された。
期待して観たものの、個人的には残念ながら拍子抜けするものであった。

(オキナワンロックドリフターvol.68へ続く……)

(文責・コサイミキ)

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