オキナワンロックドリフターvol.87

幼い頃から私は父が嫌いだった。
180cmの身長と容姿を鼻にかけ、私を醜いとせせら笑うこの男は恐怖でしかなかった。
父が出張でいない時、私たちは安堵した。たまに不意打ちで帰り、家の中が片付いていないと私たちや母に暴力を奮い、自身の学歴コンプレックスに裏打ちされた歪んだ教育論を振りかざすこの暴君に対して私が抱いた感情は保険金なり遺産なりを残して早く死ねばいいのにだった。
しかし、父の代わりに、私が17の頃に母はスキルス胃癌で他界した。今思えば病で亡くなることでしか母は父から逃れられなかった。父同様に学歴コンプレックスから歪んだ教育論や精神論を振りかざす母のことも好きではないがこの点に関しては同情する。
母が他界した後、女だからと家事全般を押し付けられ、それが覚束ないとアザだらけになるくらい殴られた。耐えかねて、父の会社の同僚の手助けを借りて祖父母の家に身を寄せた。
そんな私に父がした仕打ちは養育の放棄だった。
大学進学は経済的事情で諦めた。
18の時に夢を奪われ、21の時に自分の置かれている状態の辛さから心を病み、23歳まで色んなものを憎みながら生きてきた。
「趣味に逃げてもそぎゃんもんは役にたたんぞ」
不登校に陥っていた頃、私が貪るように本を読み、音楽にすがると父は吐き捨てるように言い放った。
しかし、私はそれらのお陰で生き長らえた。
父が軽視し、ことあるごとに壊したり破り捨てた本や音楽がなかったら、私はあっけなく人の道を踏み外し、ここにはいなかっただろう。
1998年の春に家を出てからはや9年。
祖母の機転で10年の定期預金にされた母の遺産を思い出し、私は父に何故母の遺産を必要としているのか理由を併記し、問い合わせの手紙を出した。
しかし、なしのつぶてだった。
私は何度も手紙を出し、こうなったらと父の勤務先に内容証明という形で送付した。
父から連絡がきたのは12月20日の寒い夜だった。
ちょうど、仕事帰りに祖母から買い物を頼まれ、そのスーパーで3歳から母が亡くなる17の頃まで通っていた習い事の先生にばったり会い、スーパーの2階のバンケットルームで開かれている習い事の教室に招かれた矢先だった。
マザーグースの歌や英語劇を歌い、踊りながら覚える子どもたちを見て、かつての自分を思い出していた矢先だった。
私の携帯に着信があった。
見慣れない番号に胸騒ぎがした。もしや、父から?
私は、お手洗いに行くといい、教室近くの化粧室に駆け込むと電話に出た。
着信はやはり父からだった。
電話口から父の鋭い罵声がいきなり入り、私は身を固くした。
俺に恥をかかせる気か?
ろくな学力もないくせに今さら大学?笑わせるな。
家を出たお前にやる金はない。ざまあみろ

父の怒声、暴言、嘲りを聞いているとフラッシュバックが起こり、そのまま縮こまり、諦めそうになった。
しかし、ここで諦めたら試合終了どころか私の人生が終了してしまう。あるかないかのチャンスだ。
それに、罵りには耐性がついているだろ?
2001年、映画雑誌のライターたちにサイトを完膚なきまで荒らされ、閉鎖に追い込まれてもお前は復活した。
2003年、お前はゲート通りで手痛い歓迎を受け、満身創痍になりながらも自分の好きという感情を貫いてきた。
ネットでの荒らしに耐えながらサイトを維持してきた。
そして今もパワハラに耐えながら仕事を続け、受験勉強してきたじゃないか。
私は声を張り上げて反撃した。

その時の私の罵詈雑言はあまりに酷いものだったので割愛させて頂く。
端的に言えば、当時の私にあるだけの罵倒のボキャブラリーを全てぶちまけたとだけ書いておく。 もし失敗したら、刺し違える覚悟だった。

数十分後、父は涙声になり、乱暴に電話を切った。
やはり駄目だったのか?
抜け殻のような私はふらふらと化粧室を出た。
すると、習い事の先生が青ざめた顔で私を見ていた。

こちらの部屋にも聞こえていたわよ。
親に向かってなんてこというの?
あなたのお父さんにも事情があるはずよ。

家族愛を当たり前のように信じている習い事の先生が異星人に見えた。
さらに先生は言ってはいけない言葉を放った。
「世の中にはもっと大変な人がいるのよ」
私は先生を思い切り睨み付けた。
その時の私は負の感情を総動員させたものになっており、それが顔に出ていたのだろう。先生は怯え、「あなた、今まで何があったの?こんなに怖い子だったの?」と震えながら呟いていた。
私は何も言わずに踵を返して去った。
仕方ないでしょ。世の中にはもっと大変な人がいる?今の私は十分に大変だ。
それともなんだよ。あなたたちがサーロインステーキや寿司を楽しんでいるのを横目で見ながら泥水を啜っていろと?
ふ ざ け る な。

そう言ってやりたかったが。一生わかってもらえないだろうと諦めた。
満身創痍の状態で帰りの電車に乗り、涙をこらえた。
大学に行きたかった。地元でやっと学びたいことが学べるチャンスだったのに。
振り絞るような声で「ただいま」と呟くと、血相を変えた祖母から腕を掴まれた。

「ミキ!あんたお父さんに暴言ば吐いたってね!」
私は反論せず頷いた。
もう駄目だ。私の人生はここで詰むのか。
しかし、祖母は泣きながら私を強くハグした。
「お父さんが泣いて電話してきたとよ。お母さんの遺産はやる。来週書留で送るけん、もう俺に関わるなって。ミキ、あんた大学行けるね。良かったね」
血の吹き出るような思いで言葉のナイフを武器にして27年の恨みを爆発させ、父を滅多刺しにするような戦いだった。
かなり乱暴なやり方ではあったが、悲願成就は目の前に近づいてきた。
祖母の言葉を聞きながら、まるでろくな装備を持たない勇者がたった一人で強大な力を持つラスボスに挑み、そのラスボスを倒したような達成感に心身が満たされていったのを、今でも私は忘れない。 
文字通り血路を拓いて私は大学進学を勝ち取れたのだ。

(オキナワンロックドリフターvol.88へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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