盲点
恋をしている人には、恋する相手の欠点は見えません。
あばたもえくぼ。
たでくうむしもすきずき。
好きは好きでいい。
好きになってしまえば、
どくくわばさらまで。
それもまた、人間らしいです。
とは言うものの、当人はいいにしても、
迷惑をかけられるのはご免こうむりたいものです。
恋をしている人には恋する相手の欠点が見えない。
これは実は、ウソです。
恋する人も、恋する人の欠点を見てはいる。
ただそれを欠点だと思っていないだけです。
欠点だと思いたくないから思わない。
欠点だと思いたくないのは、相手が欲しいからです。
欲で目が眩んでいるんです。
いや、ホント。
その証拠に。
恋が成就して相手がパートナーになると、
欠点は途端に欠点になります。
「素敵なメイク」は「濃い化粧」に。挙げ句は浪費――
男なんて自分勝手なものですが、まあ、女性も同じでしょう。
同じ「転換」は、恋に破れたときにも起きる。
パートナーになっても、恋に破れても、
もはや相手が欲しくなくなったことに違いはないから。
恋は成就しても、破れても、
アドラーが言うところの「人生の再選択」を迫られます。
よく結婚のことを「ゴール」と言います。
これは芸能ネタではありません。
結婚が「ゴール」なのは、
その先、人生を再選択しなければならないからです。
その「再選択」がうまく行かなかったら。
結婚は人生の墓場
になる。
アドラーがそんなことを言っているかどうかは知りませんが、
結婚で幸せになろうと思ったら、
勇気が必要なことくらい想像できますよね。
再選択がうまくいかない理由はいろいろあります。
もっとも多いのは、結婚した当人たちが再選択をしようとしなかった、ということでしょう。結婚する前からあれやこれやと条件を考えてしまって、結婚後もその延長だと思っていたりする。
「婚活」なんてのは、そうした「条件の摺り合わせ」では?
そして、妥協が出来ればゴール!!
――なにか違うような気がします。
「就活」も同じかもしれません。
正社員という身分を欲して、欲に呑みこまれてしまうと、
相手の欠点が分からずにダマされて、
ブラックなところへ落とし込まれてしまったり。
再選択したはいいけれど、
それがバランスを欠いたものであったなら、長続きはしません。
選択には勇気が必要だけど、知恵も必要です。
さて、いきなり話のスケールを飛躍させます。
私たちが生きている現代社会は、とてもアンバランスな社会です。
グローバルな金融ネットワークでつながった社会。
金融資本主義は生け贄を要求します。
アンバランスな存在だからです。
アンバランスをバランスさせるためには、支える何ものかがいないといけない。
その「何ものか」とは、
私たちが暮らしている地球の環境であり、
生身の人間である私たち自身です。
金融資本主義は大きく発達したために、
要求する生け贄もまた大きくなっています。
大きくなり過ぎてバランスを支えられなくなってきています。
アメリカFRBのQEやら、日本ではアベノミクスやら。
これらの金融緩和と呼ばれる現象は、
「バランスをとってくれ」という金融システムからの要請です。
お金をもっと回すから、もっと儲けてもっと生け贄を!
というのが金融緩和の「心」です。
意訳すると、
もっとあなたに愛情を注ぐから、
もっと儲けてもっと私を愛して!!
マイナス金利というのは、
どう頑張ってももはやバランスが取れなくて、
いじけだした状態。
私を愛してくれないのなら、あなたのお小遣いを減らします
これも意訳ですが、マイナス金利の「心」です。
しかし、バカな男は相手の強欲さに気がつきません。
なぜなら、相手は金ピカで、誰もが欲しがる最上の美人だから!
・・・
・・・
・・・
おしまい。
感じるままに。