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勇気と無謀の違いは神様も教えてくれなかった (11)

 ヴォルダは急にしゃがみこんだ。彼の作り物めいた笑顔が近づいてきた。

「科学者としては、理屈で割り切れないものを信じたくはないのだが……村の教会であなたの起こした奇跡には感心しました。すばらしい力だ。その力を、私と工房のために役立ててくださる気はありませんか? 例えば、〈生命の欠片〉を長い間服用して弱った職人を、神の御業で元の体に戻してやるとか……報酬は思いのままですぞ」
「! ……あなたのような罪人に加担するつもりはありません!」
「断れる立場だと思っておられるのですか? まさか、お仲間が助けに来るなどと期待しているんじゃないでしょうね? あれ・・はただのちんぴらですよ、あなただっておわかりでしょう。あの男は、この町でいちばん治安の悪いエビラ通りで、すでに評判になっているんですよ。盗人たちの上を行く凄腕の博徒だ、とね。さっきも、あなたと別れた直後、うちの職人の宿舎に忍び込んでいました。盗みに賭博……人相も悪いし……使徒の制服を着ているのが不思議なほどのろくでなしだ……」

 ああ。やっぱり、ロランの無断侵入は見つかってしまっていたのか。

 しかし、自分でも驚いたことに、僕は相手の言葉に強い反発を覚えていた。
 ヴォルダのような極悪人がロランを「ろくでなし」呼ばわりするなんて、許しがたいことのように思えた。

 ロランが夜な夜な賭場に入りびたっているのは、盗賊たちと親しくなって話を聞き出すためだ。
 工房の職人の宿舎に忍び込んだのだって、〈生命の欠片〉を探すためだ。
 すべては免罪符を売ることが目的だ。卑しい盗みや、博打の享楽なんかじゃない――!

「……人を見かけで判断するなんて、あなたは浅はかな方ですね。僕の同行者ブラスチは、ああ見えても、とてもまじめな使徒なんですよ。いずれ必ず、あなたの悪事を暴きます。覚悟しておくことですね」

 僕は、自分で感じているより自信たっぷりな口調を作って、大見得を切った。

 不意に太い指が僕の顎をがっちりとつかんだ。
 僕は驚いて、笑みの消えたヴォルダの顔を見上げた。
 頬を左右からぐいっと締めつけられて、僕の口がひとりでに開いてしまった。

「そう毛嫌いしたものでもありませんよ。あなたも一度試してみてはどうです、〈生命の欠片〉を」

 あっと思ったときには、何か塊が口の中に押しこまれていた。吐き出そうとしたが、ヴォルダの手がすでに僕の口をしっかり塞いでいた。薬は僕の喉の奥へ落ちていった。

 どうしよう。飲んでしまった。恐ろしい禁断の薬を。
 薬が全身に回る前に吐き出さなくては。僕はなんとかして嘔吐しようと努めたけれど、何もきっかけがないのにそうそう簡単に吐けるものではない。ああ、まずいよ。ゼフォン博士はこの薬の効き目のことを何と言っていたっけ。「最初の服用時には感覚の混乱が――」とか言ってたような気がする。何が起こるんだろう。早くも手足が痺れてきているように感じるのは僕の思い過ごしなんだろうか。骨を体の外へ引っぱり出されているみたいな、痛みとも快感ともつかない強烈な脱力感。

「……さあさ、長い間お引止めして申し訳ありませんでしたな、使徒様。もうお帰りになっていただいても結構ですよ」

 からかうようなヴォルダの声が遠く聞こえる。僕を押さえこんでいた男たちが手を離した。自由になった僕はさっそく立ち上がろうとしたが――体が言うことをきかない。というか、何と表現すればいいんだろう。手足の動かし方を忘れてしまった、そんな感じだ。
 僕は身を起こしかけて、ぶざまに床に突っ伏した。周囲の男たちがどっと嘲笑した。

「おや、もうしばらくここにいたいとおっしゃる? ええ、構いませんとも。ごゆっくりなさってください」

 気がつくと僕の目はほとんど見えなくなっていた。辺りはあいまいな闇に包まれ、親切ごかしたヴォルダの声だけが響く。

「また薬が欲しくなったら、遠慮なくおっしゃってくださいね。でもこれは私の大事な商売道具。そうそう無償では差し上げられません。次回は、信仰を捨てるという約束と引き換えに、ということにいたしましょう。今後は神にではなくこの私に忠誠を誓ってください。そうすれば〈生命の欠片〉はいつでもあなたのものですよ」

 信仰を捨てる? この僕が? そんなバカな。この男はなんという愚かなことを言っているのだろう。
 僕はたまらなくおかしくなって笑った。自分の口から出てきたのは笑い声ではなく、聞いたこともない奇妙な唸り声だったが、まあよしとしよう。そんなことはどうでもいいことだ。何もかもどうでもいい。降って湧いたようにひらめいた、この輝ける真理以外のものは。突然僕は、世界のあらゆる神秘を自分が理解していることに気づいたのだ。一にして全たる絶対的な真理。どうして今まで誰も気づかなかったのだろう、世界のことわりはこんなにも単純なのに――!

 頬に当たる床の硬さに、はっと我に返った。長々と床に横たわっていた僕はあわてて起き上がった。体も動く。目も見える。ああ、危なかった。薬の作用でおかしくなるところだった。いったいどれだけの時間、僕は呆けていたのか。

 いつの間にか室内は騒然としていた。僕を押さえつけていたはずの男たちが辺りを走り回っていた。飛び交う怒号。誰かの悲鳴と絶叫。

「いたぞ! 坊主の片割れはあそこだ!」
「逃がすな。追え! 捕らえろ!」
「――この一連を献げて、火のぬくみ、水の潤い、風の息吹の恵みを乞い願わん。
この一連を献げて、生命の調和の恵みを乞い願わん。
この一連を献げて、個と全との合一と循環の恵みを乞い願わん。
……第二の円弧開放。微子合成!」

 ロランの凄みのきいた声と共に、暗かった室内があかあかと照らし出された。とつぜん中空に巨大な炎の塊が出現したのだ。走り回る男たちの真っ只中に。
 火傷を負った数名の男たちがすさまじい悲鳴をあげ、きりきり舞いして床に倒れこんだ。

 もちろんこれも現実の炎ではない。法術によって、居合わせた者の魂に直接投影された心象だ。ただし魂が「火傷をした」と認識している限り、肉体もそれに合わせて変容するので、現実の炎と結果は同じだが。

 ロランが僕のすぐそばまで駆けてきた。近くまで来て、僕は彼が唇の端から血を流しているのに気づいた。殴られた様子はないから、たぶん微子合成を使った反動が来ているんだろう。

 僕はうめいた。

「無茶だよ……第二の円弧だけで法力を放出するなんて」

 間髪入れず、ロランの怒鳴り声が返ってきた。

「アホ! てめえのせいだぞ。本当だったら今ごろ第六の円弧まで開放できてたはずなのに……おまえが変なこと言うから、途中で聖句間違えちまったじゃねーか、バカ野郎!」
「え? 僕、何か、変なこと言ったっけ?」

 僕はぼんやりとつぶやいた。

 きっとロランはしばらく前から物陰に身を潜め、聖句の詠唱にかかっていたんだろう。精神集中に向いているとはいえないこの状況で、百八連の聖句をひとことも間違えずに最後まで唱えきって六つの円弧を解放するのは、かなりの難行のはずだ。

 それにしてもロランが聖句を間違えるなんて。急におかしくなって、僕は笑い始めた。

 見る見る険悪になっていくロランの表情を眼前にしながら、爆笑を止めることができない。どうしよう。果てしなく愉快でたまらない。このままでは笑い死にしてしまうかも。あまりに笑いすぎて、僕の四肢をつなぎ留めているネジが外れてしまった。バラバラになった僕の体は床に落下した。ああ、ぶざまだな。それさえも笑いを呼び起こす。内耳に響く自分の笑い声がうひゃひゃ、という異様なものであることも、愉快さに拍車をかける……!

 誰かにむぎゅっと腹を踏みつけられて、我に返った。気づくと僕は仰向けに床に転がっていて、誰かが「ぎゃああっ」とわめきながら僕の上を通り過ぎていったのだった。いけない。僕はまたしても意識を飛ばしてしまったらしい。

 いつの間にか中空に再び炎の塊が出現している。僕の上を走り過ぎていった男も、炎の直撃を食らった一人のようだ。
 炎の塊に照らし出された室内で、五、六人が争っていた。不安定な光の中で、ありえないほど長く伸びた人の影が異様な姿でうごめき、からまり合った。火傷を負って床をのたうち回る男たちの絶叫が空間を満たしている。混乱した僕の目に一瞬、金梃らしき物を振り回して暴れているロランの姿が映った。

 いつまでも呆けてる場合じゃない。ロランを援護しなくては。
 僕は頼りない足を踏みしめて立ち上がった。

 そして神になった。

 雲を突き抜け遥かなる高みから地上を見下ろした。百億ダローリウスの海と百億ダローリウスの大地が僕の手中にあった。僕がまばたきをすると稲妻が生じ、大地に四散した。僕がひとしずくの涙をこぼすと雷鳴と共に銀色の雨が緑の森林に降り注いだ。僕が笑うと哄笑が大地を揺るがし、海が波立ち、怯えた鳥たちが群れをなして空中を渡っていった。僕は太陽と共にあった。僕は森羅万象と共にあった。僕は――
 息が詰まった。

 みぞおちに痛撃を受けて、僕は思わず体を二つに折った。

 我に返った僕の、涙でにじんだ視界に、ロランが映った。彼は再び蹴りを入れてきた。まったく容赦のない本気の攻撃だ。僕は床に両手をついた。四つん這いになった僕はさらに荒々しく蹴られた。

 痛い。苦しい。何するんだ。そう叫ぼうとしたが声にならない。

 ああ、だけど……よく考えてみるとロランが怒るのも無理ないな。僕は変な事ばかりしているように映るだろうからな。急にへらへら笑ったり寝転がってみたり……。

 苦しみの中で、不意に体の内部から酸っぱいものと、突き上げるような衝動が湧き起こってきた。僕は四つん這いの姿勢のまま、床に向かって、身を震わせながら吐いた。何も出てこなくなるまで吐き続けた。

 吐き終わると、驚いたことに、ひどく気分が良くなった。頭がすっきりしたように感じる。
 さらに意識をしゃんとさせるため頭を振ってから、立ち上がろうとした。そのとき自分の吐いたものの中に黒い塊をみつけた。それが何であるかはすぐにわかった――僕がさっき飲まされた〈生命の欠片〉だ。

 もしかして僕は助かったのか? こんなに気分が良いのは薬を吐いてしまったからだろうか。
 ということは、もう、自由に行動できるということだ。僕を押さえこんでいた男たちのほとんどは、すでに戦える状態ではなくなっている。

 立ち上がり、辺りを見回した。大勢の人間が床に倒れているが、ヴォルダの姿はない。少し離れたところで、三人のやくざ者と睨み合っているロランが見えた。敵の拳が顎に決まり、ロランは尻餅をついた。その手がすばやくフォーゴの印を結ぶ――また微子合成を使うつもりらしい。

 禁術をそんなに連発するなんて無謀すぎる。死んでしまうじゃないか。

「うおおおっ!!」

 ためらっている暇はない。注意を引くためにわざと大声をあげて、僕は姿勢を低くし、やくざ者たちの背後から思いっきり突っ込んだ。僕の両肩は二人の男の腰に同時にぶつかり、彼らを軽々と吹っ飛ばした。

(神よお許しください。せっかくお与えいただいた健全なる身体と力を、人を傷つけるために使ってしまいました。でもこれは人助けのためなんです。僕の同行者を助けなくちゃならないんです。どうか今回だけは見逃してください……!)

と内心で神に詫びつつ、僕は残るもう一人の男の顔を殴りつけた。手加減している余裕がなかったので、自分でもはっとするほど強烈な手ごたえがあった。血をまき散らしながら男は仰向きに倒れた。
 わあ、しまった。やり過ぎた。僕が心の中で懸命に詫びているうち、ロランが立ち上がり、みぞおちに一発ずつ入れて三人のやくざ者を完全に動けなくした。

 ヴォルダの子分たちが全滅してしまった後の部屋に、僕らだけが残っていた。

 殴られて気絶している者、火傷の痛みに泣き叫んでいる者。悪人とはいえ、あまりにも気の毒な有様だ。バクティを具現化して傷を癒してあげなくては。
 でもそれはもう少し後の話だ。僕らには急いで解決しなければならない事柄がある――。

「ヴォルダは……どこへ行ったんだろう?」

 僕の声はしわがれていた。ロランは蒸気機関のすぐ隣にある扉を指さした(そんな所に扉があるなんて、僕はまったく気づかなかった。視点が低いロランだから、よく見えたんだろうな)。

「あそこから逃げやがった。あの古狸、絶対に逃がさねぇ。急げ、追うぞ」
「……って、君、大丈夫か? 足元ふらついてるぞ。無茶な法術の使い方するから……」
「てめえ誰に向かって物を言ってるつもりだ。ここからが俺の出番だろーが?」



 扉の外は薄汚れた茜色の夕暮れだった。僕らが工房の玄関をくぐったのは昼前だったから、中庭で頭を殴られた僕はずいぶん長い間気を失っていたことになる。

 扉を出ると、すぐ目の前に工房の通用口があった。
 遅い時刻にもかかわらず工房内はたくさんのランプで明るく照らされ、職人たちがあいかわらず整然と作業を続けていた。

「ヴォルダさんは、どっちへ行きましたか?」

 僕の声は意外と大きく響きわたった。
 血相変えて飛び込んできた僕らを見て、職人たちは仰天したのかもしれないが、仕事を進める手に乱れはなかった。雇い主がどちらへ向かったか、あっさり教えてくれた。

 ヴォルダは工房の一角を木の壁で仕切ってこしらえた事務所にいた。
 棚のすべての扉、机のすべての引き出しが開け放たれていた。ヴォルダは金をつかみ出して、あたふたと鞄に詰めこんでいるところだった。
 机の上でぱっくり口を開いた旅行鞄は、詰めこまれた大量の硬貨や紙幣や手形のせいで、いびつな形に歪んでいた。

 僕はゆっくりと事務所の中に歩み入った。

「いくらお金があっても逃げきれませんよ。神の裁きからは何人も逃れることはできないのです」

 ヴォルダは追いつめられた獣の視線で僕を見上げた。温厚な表情は跡形もなく消えてしまっていた。

「逃げる? この私が? はははは、何を言っておられるのですか。逃げたりするわけがないでしょう。この工房は私のものなのですよ? 世界の進歩の先駆けとなる、このすばらしい工房は。そのうち世界中が私の経営に倣うようになるでしょう。私の名は歴史に残るでしょう。そんな私が、逃げるなどと……!」

 初老の実業家はやけくそのような大声で笑った。その間も、鞄に金をつめこむ手は休めない。
 僕は相手の瞳をじっと見据えて、さらに歩を進めた。

「職人の生命を絞りとって栄えた経営など、神がお許しにならない。あなたの言う『進歩』は、ただのまやかしです」
「あなたに何がわかるというんです。古めかしい迷信に埋没して、科学技術からも世界の進歩からも目をそむけているあなたに。私のやった事は間違ってはいなかった。最大の効率をあげるためには仕方のないことだったのです。死んだ職人たちには気の毒なことをしましたが……進歩のためにはやむを得ない犠牲です。それに、彼らだってそれなりの賃金はもらったわけですからな。満足して死んでいったんじゃありませんか?」

 僕はあきれ果てた。

「あなたは……そんなことを本気で信じているんですか? あなたは本当に、金と効率でしか、物事を量れないんですか? 薬の魔力で正気を失い、衰弱して死んでいった人たちが、満足などしているはずがないでしょう」

 そのときどこからともなく、漆黒の異形の者が事務所にすーっと入ってきた。何の重みも持たないような動きで。
 鋭い角、長く尖った耳、真紅の瞳、耳から耳まで大きく割れた口、馬のひずめを備えた六本の脚、短い翼、猿の尾などをあわせ持った、その人ならざる存在はあまりに禍々しく、恐怖そのものと呼んでもよかった。
 その異形の姿を目にしてヴォルダが凍りついた。宙で動きを止めた彼の手から金貨や銀貨がじゃらじゃらとこぼれ落ちた。

 アヴァドゥータだ。扉の外で聖句を唱えていたロランが、第六の円弧を開放して守護天使を具現化したのだ。
 それが天使だと感じ取れるのは、僕が使徒だからだ。普通の人の目には悪魔か何かに見えるだろう。少なくとも天使には見えない。絶対に。

「古めかしい迷信と言ったな、傲慢な人間め? おのれの卑小さを思い知るがいい!」

 身の毛もよだつような口調でアヴァドゥータが叫んだ。
 とたんに視界が暗転した。僕らはもはや狭い事務所ではなく、果てしない広大な暗黒の空間に漂っていた。「バカな……そんなバカなっ!」ヴォルダは必死で机にしがみついた。
 机の上の旅行鞄には無数の金貨や銀貨がびっしり詰まっていたが、突然その一つ一つから青々とした双葉が伸びてきた。まるで硬貨が花の種であるかのように。見る見るうちに双葉から長い茎が伸び、葉が生い茂り、僕らの視界は緑の茎と葉で埋めつくされてしまった。僕はその葉がサハの葉にそっくりであることに気づいた。
 まもなく植物は真紅のつぼみをつけた。つぼみは開花した。咲いたのは花ではなく人の顔だった。何十、何百、何千もの、人の顔をした花。それらの小さな顔がヴォルダを睨みつけ、いっせいに口を開いて、この世のものとは思えない不気味な悲鳴をあげた。
 顔たちの叫びが空間を埋めつくした。叫び声が次第に大きくなり、聞いているのが耐えられないほどの音量と不気味さに達した瞬間、顔は爆発でも起こしたように弾け飛んだ。濃い真紅の血液が飛び散った。
 何千もの顔がいっせいに弾けたので、血が雨のように降り注いだ。旅行鞄には金貨ではなく血が溜まり始めた。

 ヴォルダが絶叫した。狂乱状態で頭を抱えこみ、激しく机に突っ伏す。なんとかして眼前の恐ろしい光景から逃れようとするかのように。

 血の雨の中で、今度は植物から真紅の腕が何本も生えてきた。人間の男の腕のように生々しい筋肉の質感を備えている。それがヴォルダの全身にからみつく。四肢を捕らわれて身動きの取れなくなったヴォルダの顔を、何本もの腕が襲った。腕がその手に握っているのは黒い球体――〈生命の欠片〉だった。
 腕はヴォルダの口をこじ開け、中に〈生命の欠片〉を押しこんだ。一個ではない。何個も何個も。

「うぐっ……ぐぎっ……! ぐごごぉっ……!」

 無理に薬を押しこまれてヴォルダの顔の形が変わっていた。不意に彼は嘔吐しようとするように大きく身を震わせた。でも腕たちは手もなく彼を押さえこみ、口をしっかり塞いで、吐かせなかった。
 苦悶のあまり仰向いたヴォルダの顔は涙と血で汚れていた。血は彼のものではなく、頭上に生い茂った植物から降り続けているものだ。

「現世で許されぬ罪を犯した者は地獄に堕ち、未来永劫、哀れな魂一つとなってさまようのだ。……現世で人を食いものにした者は、地獄で食いものにされる。生きながら食われる苦痛を永遠に味わい続けるがいい!」

 暗黒の空間にアヴァドゥータの情け容赦ない宣告が響いた。
 口を塞がれたまま、ヴォルダがくぐもった悲鳴をあげた。

 数え切れないほどの〈生命の欠片〉を押しこまれたおかげで丸く膨れ上がった彼の腹が、急に裂けて、巨大な双葉が出現した。ヴォルダの腹からすごい勢いで植物の茎が伸び始めた。
 おそらく彼の腹の中で植物の根が暴れ回っているのだろう。体内に収まりきれなかった白い根が、ところどころ内側から皮膚を破って顔を出し、また体内へ引っ込んでいく。
 ヴォルダは喉も涸れんばかりに絶叫を続けていた。しゃれた服が、降り注ぐ血の雨だけでなく彼自身の血で重く濡れ始めた。
 彼の味わっている苦痛がどれほど凄まじいものか、僕には想像することさえできない。

 なんというおぞましい法術だろう。僕が打ちのめされつつ見守っていると、

「救済を望むか、咎人よ。この苦しみを逃れるには、神による魂の救済しかない」

と、守護天使 アヴァドゥータのこの世ならざる声が響きわたった。
 ヴォルダは苦しみに顔をひき歪めつつ、何度もうなずいた。

 彼をとらえていた真紅の腕が外れ、植物の中にしゅるしゅると引っ込んでいった。ヴォルダは四つん這いになり、激しく咳きこみながら《生命の欠片》を吐き出した。

「たす……けてください……何でもしますから……ああ、お願いだ……!」
「おまえほど罪に穢れた魂では、この先一生かけて懺悔しても、すべての罪を拭い去ることはできない。地獄堕ちを逃れたければ免罪符を買うのだ。そうすればおまえの受けるべき償い、罰、苦難を教会が免除する。おまえの罪深い魂もただちに救済される。地獄堕ちを逃れれば、また来世も人として生まれ変わることができるだろう。どうするのだ? 人として永遠の循環を手にするか、魂のまま永遠の煉獄を徘徊するか……」
「か……買います、買いますっ、免罪符! お願いです……買わせてください。私にはとても耐えられない……!」

 ヴォルダはむせび泣きながら崩れ落ちた。



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