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勇気と無謀の違いは神様も教えてくれなかった (4)

 カロリック管区に入って、最初にたどり着いたのはスペクロという町だ。この町は、東西に走る塩街道と南北に走る真鯖街道が交差する位置にあるので、人や物の往来が多く、栄えているようだ。

 町の中央部にある教会――正確には、教会の廃墟――には、十人ほどの人たちが集まっていた。
 僕はいつものように法術を発動させ、守護天使バクティを具現化した。集まった町人の病や怪我を癒した。
 「おおっ」という人々の感嘆の声。感謝いっぱいの表情。しかし時間が経つにつれ、数人がそわそわし始める。「用事も済んだし……そろそろ帰らせてもらっていいのかな?」と迷っている様子だ。

 これまでだったら、こんな雰囲気になる前に、ヨハヌカン先輩が営業を開始する。
 神の守護のありがたさ、地獄の恐ろしさを諄々と説き、免罪符を買うことを勧める。
 けれども、今の僕は一人だ。ロランが僕と行動を共にすることを断ったからだ。
 僕は一人で、目の前のこの人々に対して、教えを説かなくてはならない。

「えーっと、皆さん……」

 僕が口を開くと、全員の視線がさっと僕に集中した。何かものすごく期待されている様子なのがつらい。僕は何と言えばいいのかわからずにいるというのに。

 僕は人前で話すのが苦手だ。緊張しやすいたちなのだ。布教にいちばん必要なのは説法の技術なのに、学生時代、説法の成績は最悪だった。法力の強さだけで卒業できたみたいなものだ。
 ヨハヌカン先輩はどういうことをしゃべっていたっけ? 出だしのせりふは何だっけ? 思い出そうとしても――頭の中は真っ白だ。

「ドヴァラス正教について、少し話をさせてください。ドヴァラス正教というのは、ザンクト・ドヴァラスによって開かれた教えです。ドヴァラスはゾルバドス地方に住む名もない石工でしたが、ある雷の夜に天啓を受け……」

 僕は思いきって話し始めたが、あっという間に、人々の目が泳ぎ始めた。町人たちが、僕を中心にして半円を描くように並んで立っているので、全員の反応がすぐに見て取れるのだ。
 歴史を語るのは良くないかもしれない。僕だって、学生時代いちばん退屈だったのは教史の授業だった。免罪符を売るのが目的なのだから、そういう話にもっていかなくては。
 僕は咳払いをして、

「えーっと。話題を変えます。皆さんが自分のものだと信じているその体は、神からの借り物です。魂は、何度もこの世界に転生を繰り返します。神からまっさらな体を借りてこの世に生まれ、数十年生き、最後には体を神に返して死んでいく。そしてまた、いつかどこかで、新しい体を借りてこの世に生まれ直す。魂はその循環を無限に繰り返すのです」

 これだけのせりふを言い切るのに、ずいぶん長くかかってしまった。つっかえたり、言い直したり、途中で考えたりしなければならなかったからだ。
 町人たちの顔がぼんやりしてきている。ああ、まずい。急いで話を進めなくては。

「人間の魂とは本来純粋で無垢なものですが、生きているうちにどうしても汚れてしまいます。盗みや人殺しなどの悪行だけでなく、人の目をごまかす、嘘をつく、裏切る、意地悪をする。そんな些細な行為でも、積もり重なると、魂を穢すことになるのです。そしてその穢れは、転生しても持ち越されます。人の魂は、数え切れないほどこの世に転生を繰り返しているうちに、少しずつ汚れ、歪んでいきます。汚れた魂を持つ者は、悪い運命をたどり、ますます罪と穢れを重ねていきます……」

「お話し中すみません、使徒様。家で子供が待っておりますので……」
「すみません、ちょっと急ぎますので……」

 ぺこりと頭を下げ、二人の女性が足早に離れていった。残った町人たちも顔を見合わせている。僕はあせった。しかし、途中で話の筋を変えられるほど僕は器用ではない。元の話題を続けるしかなかった。

「……あまりに穢れ過ぎた魂は、転生の循環からこぼれ落ちてしまいます。地獄に落ちるのです。二度と新たに肉体を借りることもできず、魂のまま苦痛に満ちた永遠をさまよわなければなりません。生命あるうちに悔い改めて善行を積めば、地獄行きを逃れることもできます。しかし、汚れてしまった魂が更生できることはほとんどありません。穢れた魂は、もう悪いことしか考えられないからです。悪い発想しかできないのです……」

 町人たちが次から次へと、軽く会釈して、あるいは会釈もなしに、立ち去っていった。

「……そんな魂をてっとり早く救済するための手段が免罪符です。どんな穢れた魂の持ち主でも、免罪符さえ買えば、すぐに救済されます」

 僕がようやく本題にたどり着いたとき。
 教会の中には誰もいなくなっていた。小走りに去っていく最後の町人の背中が見えるだけだった。

 どっと疲れが押し寄せてきた。法術で十人を癒した疲れ、緊張して慣れない説法をした疲れだ。また今日もだめだった・・・・・・・・・・。椅子にでも腰を下ろしたいが、廃墟同然の教会の中には、座れそうなものは何も残っていない。

 ぱたぱた、と軽い足音がした。うなだれていた僕は顔を上げた。十歳になるかならないかの男の子が三人、遠慮がちに近づいてくるところだった。今まで大人が大勢いたので中に入ってこられずにいたのだろう。
 子供たちは僕のすぐ前まで来て、好奇心いっぱいの目で僕を見上げた。

「ねえねえ使徒様。どうしてあんな魔法みたいなことができるの? 部屋を森に変えたり、病気の人を治したり……」

 この子たちはどうやら、僕の法術を見ていたらしい。
 僕はひとりでに笑顔になった。興味を持ってもらえたのがうれしかった。たとえ相手が子供でも。できるだけていねいに答えた。

「あれはね、神様の力さ。君たちも天使を見ただろう? 銀色の髪をして、水瓶を持っていた男の人が天使なんだ。天使は神様から力を借りて、この世に不思議を起こすことができるんだよ」
「天使って誰? どこから来たの?」
「天使は人間の魂の一部。誰でも魂の中に天使を一人持ってるんだ。君たちの中にも、天使が一人ずついるんだよ。まだ名前がついていないだけで」

 僕の言葉は子供たちに激しい興奮を引き起こした。顔を見合わせ、さえずるように早口の囁きを交わす。
 一人の子供が目をきらきら輝かせながら僕を見上げた。

「じゃあ僕たちもいつか、あんな魔法が使えるようになるの? 使徒様みたいに?」

 僕は笑いながらうなずいた。

「きちんと勉強すればね。天使を呼び出せるようになるためには、一つ大切なことがある。聞きたいかい?」

 聞きたい、と子供たちが高い声を揃える。僕は話を聞いてもらえる喜びに勇み立ち、熱を込めて説明した。

「君たちは、天使を呼び出すための『力』を身につけなくちゃならない。人間が神様と話をして、神様の力を借りるためには、大変なエネルギーが必要なんだ。そのエネルギーを法力といってね。人によって、生まれ持った法力の量には差があるけど、神様を信じて一生懸命勉強して、『人のために役立ちたい』と願っていれば、どんどん強い力を手に入れることができる。そのために神学校というところに入って勉強するんだよ」

「へーーっ」
と子供たち。ぴんとこない、といった表情だ。

 僕の話はやっぱり退屈なのか。わかりにくいのか。大人相手の時よりは、すらすらしゃべれたと思ったのに。
 落ち込みそうになる気持ちを懸命に奮い立たせ、僕は笑顔を保った。

「難しく考えなくてもいいよ。僕だって、君たちぐらいの年頃は、何も知らない子供だった。……毎日、お父さんやお母さんの手伝いを一生懸命して、友達と仲よくして、そして夜寝る前には神様にお祈りしていればいい。正しい生活は魂の力を強くするからね。そして大きくなったら、教会で『魂の命名』の儀式をしてもらいなさい」



 僕が重い足を引きずって宿屋に戻ると、正しい生活とは縁もゆかりもない僕の同行者プラスチが思いっきり怠惰なありさまで寝台に転がり、本部の資料を読んでいるところだった。
 町でいちばん安い宿屋の部屋は、粗末な寝台が二台と、壊れそうな机と椅子一脚ずつだけで、ほとんどいっぱいだ。そこへ僕らの荷物を置いたら、もう足の踏み場もない。そんな狭い空間では、いやでもロランの姿が目に入ってしまう。

 この町に着いてからというもの、ロランは昼間は宿屋の部屋でごろごろしていて、夜になるとどこかへでかけていく。一度「今夜は大勝ちだ」と言いながら、得意げに大金を持って帰ってきたことがあるので――信じたくはないが――使徒にあるまじき夜遊びにふけっているのは確かだ。
 何をやってるんだよ!? 布教はどうした!? ヨハヌカン先輩が言っていた「教団内で免罪符の売上ナンバーワン」というのは、別の人間のことじゃないかとすら思えてくる。僕の見たところ、ロランは免罪符を売るための活動をこれまで何もしていない。

 ふわあ、とロランがのんきにあくびをした。僕はひとこと言わずにいられなくなった。

「君も外へ出て、人々に教えを説いて歩こうとは思わないのか? 一日中寝てばかりいて……」
「なに? 『今さら睡眠をとったところで背なんか伸びない』とでも言いてぇのか?」

 僕を見上げるロランの瞳に険悪な光が宿る。僕はうんざりした表情を見せないよう注意しながら、

「そ・ん・な・こ・と、ひとことも言ってないだろう? 勤勉は使徒の第一の務めだ、って言ってるんだ。一人でも多くの人に神の言葉を伝えるのが僕たちの役目だ」
「ほぉー。で、今日は免罪符を何枚売った?」
「うっ……!」

 痛いところを突かれ、僕は涙ぐみそうになった。鼻の奥がツーンと痛くなる。

 答えはゼロだ。この町へ来てから、一枚の免罪符も売れていない。

 午前中は、町内の民家を一軒ずつしらみつぶしに回って「病人や怪我人がいたら癒しますので、午後から教会に来てください」と宣伝して歩く。午後は教会で待機し、訪れた人たちを法術で癒す。神の御業を体験してもらい、感動している人々に免罪符を勧める。――ヨハヌカン先輩と一緒にやってきた流れをそのまま踏襲しているはずなのに、売上がまったく上がらないのは、僕の力不足のせいだ。それ以外のなにものでもない。

「き、君だってまだ、この町で免罪符を一枚も売ってないだろ」

 つらい話題から逃れようとして、僕は叫んだ。ロランはふんと鼻を鳴らした。

「いーんだよ、俺は」
「何が『いいんだよ』だよ。意味がわからないよ。……町の人に声をかけて歩くの、君も分担してくれればいいのに。そうすれば、教会に集まってくれる人数が二倍になる。免罪符を売れるチャンスも増えるだろ。僕一人でこんな大きな町を全部回るなんて無理だ」
「断る」

 ロランは即答した。

 同行者プラスチは己の半身と同じ。寄り添い、支え合い、慈しみ合わなければならない、と『使徒規則』の最初のページに書いてあるのだが。こんな当たり前のことでも協力を断るなんてどういう了見だろう。

「どうしてだよ。僕が免罪符を売れないのを馬鹿にするぐらいなら、手伝ってくれればいいじゃないか。それが同行者ってものだろう? 布教のために協力し合うのが当たり前だ。僕のこと気に食わないとしても、使命に個人的な感情を持ち込むなよ」
「テメエはテメエのやり方でやれ。俺は俺のやり方でやる。そのへんの普通の庶民に無印免罪符を売りつけるようなセコい商売は、俺はやらねーんだ」
「セコいって……!」

 僕は絶句した。ヨハヌカン先輩と一緒にずっと続けてきたやり方を侮辱されて、怒りを覚えてもいいはずなのに。僕の胸を刺したのは何か別の感情だった。
 ロランは資料に視線を戻し、ぱらり、と乾いた音をたててページをめくった。

「安心しろ。使徒のランキングは、ペアとしての合計販売額で決まる。つまり、俺と組んでる限り、おまえは何もしなくても自動的にランキング上位ってことだ。おまえはただ、俺の足さえ引っぱらなきゃいい」
「まっぴらだね! 君のおこぼれをもらうなんて、死んでもお断りだ。あー、わかったよ、僕は自分一人で、自分のやり方でやっていく。ランキングなんてバカバカしい。そんなものどうだっていいんだ。僕はただ、人を助けたくて使徒になったんだから!」

 腹の底から大声を出してしまい――僕はただちに反省した。怒りに流されるなんて、使徒としてあってはならないことだ。ロランと会話すると、たいていこういう終わり方になるのだが。
 これはきっと、神が僕に与え賜うた試練に違いない。ロランは、僕がかっとなりやすい性格を正し、冷静さを保つための練習台なのだ。

 そのとき、部屋の扉を、誰かが控えめに叩いた。
 荒々しい呼吸を抑えて「どうぞ」と扉を開けると、そこに立っていたのは二十代半ばと見える小柄な女性だった。
 いわゆる美人ではない。でも、卵型の顔に浮かぶ素直で親切そうな表情と、無造作に背中に流した長い黒髪のつややかさが、好ましい印象を与える人だった。真新しい華やかなドレスをまとっている。女性は憂い顔で僕を見上げた。

「突然お訪ねする無礼をお許しくださいませ、使徒様。お疲れのところ大変申し訳ないのですが……」

 朴訥とした、でもまぎれもない真剣さの伝わってくる口調で女性はしゃべり始めた。

「私、ミレイユと申します。昼間教会で見せていただいた奇跡を、この私にも施していただけないでしょうか?」
「無礼だと自覚してるんなら、ノコノコやって来るんじゃねえ、このバカ女。もう夜だぞ? 日が暮れたら、神も営業終了だ。明日出直してこい」

 いきなりロランの罵声が飛んだ。ミレイユと名乗った女性はびくりと身を震わせ、泣き出しそうな顔になった。
 僕は振り返ってロランを睨んだ。

「君こそ、僕の足を引っ張るのはやめろよ。この人は僕を訪ねてきてくれたんだぞ。口を出すな」

 盛大に鼻を鳴らし、ロランは資料を顔に載せて寝たふりを始めた。
 僕はミレイユに向き直った。彼女は怯えながら、後じさりを始めていた。

「も、申し訳ありませんでした、お邪魔しちゃって……失礼します……」
「ああ! いいんですよ。お入りください。遠慮しないで」
「す、すみません……! 傷を……他の人に見られたくなかったものですから……お宿まで押しかけてしまって……」
「大丈夫です、そういう方はよくいらっしゃいますよ。さあ、どうぞ」

 僕はミレイユの肩に手を添えて、部屋の中へ招き入れた。
 実際、これまで布教に歩いてきた町々で、「内密に」と癒しを頼まれることは珍しくなかった。他人に知られたくない病や傷を抱えている人は大勢いる。誰もが公衆の面前で患部をさらせるわけじゃない。

 ミレイユがおずおずと室内に歩み入ってきた。
 椅子に腰かけ、ためらいがちにドレスをはだけ、ほっそりした背中をむき出しにした。姿勢を前かがみにして、背中が僕に見えやすいようにした。

 その肌には数えきれないほどの傷跡が刻まれていた。
 鋭い爪を持つ猛獣に襲われた跡のようだった。そのほとんどは、まだ血をにじませた生傷だ。傷ついていない元の白い肌をみつける方が難しい。

「……気の毒に。痛いでしょう」

 僕は瞳を閉じて心を澄まし、聖句の詠唱を始めた。第一から第六までの円弧を順に開放し、ベントの印を結んで守護天使バクティを具現化した。
 宿屋の粗末な部屋が広々した緑の平原に変わる。頭上には光に満ちた青空。平原を覆いつくす背の高い草を、風がざああっとなびかせて通る。
 暖かいそよ風がミレイユの背中をそっと撫でて通る。風の通ったところから、きれいな肌が見る見るうちに甦ってくる。彼女の口から嗚咽が漏れる。彼女は涙にむせびながら神の名を呼ぶ。

 傷の数は多いが深くはなかったので、癒すのにさほど時間はかからなかった。癒しが済むとミレイユは立ち上がって服装を直し、丁重に礼を述べた。
 僕は訊きたくてたまらなかった質問を吐き出した。

「どうしたんです、そのひどい傷は。……何かお困りなら、手助けさせてください。僕にできることはありませんか?」

 彼女は長い睫毛をしばたかせ、涙をこらえた。でも言葉は出てこなかった。

「何が起きているんですか。あなたにそんなむごいことをしているのは、いったい誰です」

 僕の再度の質問に、無言を続けるのは失礼だとでも思ったのか、ミレイユは青ざめた顔に無理に笑みを浮かべてみせた。

「つまらないことですわ……夫婦の間の、ちょっとしたことなのです。夫は優しい人で、普段は私に手など上げたりしないのですけど。ヴォルダさんのガラス工房を辞めて以来少し体調を崩しているようで……。ありがとうございました、使徒様。どうかお気遣いなさらないで……」

 ミレイユは扉の向こうへ消えていった。僕は、彼女が去った後の扉から目が離せなかった。

 その夜、僕は寝つけなかった。
 ロランが夜遊びにでかけてしまった後の真っ暗な部屋で、横たわって天井をみつめる。さっき見せられた無残な傷跡が、目の前に浮かび上がってきた。

「夫婦の間のちょっとしたこと」
だとミレイユは言った。でも、夫婦喧嘩でできた傷にしては、あれは異常だ。
 彼女はこれからも、あんな傷を受け続けるのかもしれない。
 法術で傷を癒すだけでは十分じゃない。彼女がもう二度と傷つかないようにしなければ、本当の救いではない。

『免罪符の売上ランキングなんかどうだっていいんだ。僕はただ、人を助けたくて使徒になったんだから!』

 ロランに向かって叫んでしまった言葉。考えてみると、真実はその中にあった。
 僕は人を助けたい。困っている人を放っておけない。
 もちろん、免罪符の販売を通じて人々の魂を救済することも大切だ。学校で教わった通り、それが使徒の最優先の使命なのだろう。けれども、人々の困りごとに手を貸すことだって、神がお喜びになる行いではないのか?


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