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ストーリー作りの悪手

この記事は、NHK朝ドラ『ちむどんどん』に対するネガティブな言及を大量に含みます。『ちむどんどん』がお好きな方はここで引き返していただくよう切にお願いします。

今期の朝ドラ『ちむどんどん』が大炎上中です。

かつて、脚本家がSNSで積極的に炎上を煽り、視聴率アップに貢献した朝ドラもありました(「神回」というのは、その脚本家が使い始めた用語だと記憶しています)。
けれども『ちむどんどん』は、それとは様相が異なります。自然発生的に燃えています。個性的すぎるドラマの展開とキャラ設定が、毎日のように新たな火種を提供しています。

私は、それほど熱心な朝ドラ視聴者ではありません。過去の作品もそんなに見ていません。今回の『ちむどんどん』は、たまたま生活環境の都合で毎日いやおうなく目に入ってくる、という感じです。
ですから、過去作と比べて今回の『ちむどんどん』が特にひどいのかどうかは判断できないのですが。

物語やキャラを作る上で「これをやっちゃいけない」という基本的なところを、軽々と踏み越えてくるこの作品を、毎日畏敬の念をもって見守っています。
「脚本家はヤキが回ったのか」「弟子にでも書かせているのでは?」「偉い人から謎の圧力がかかって歪められたのではないか」という憶測がネットで飛び交っています。本当に、プロがマジで書いたとはとうてい信じられないレベルの脚本です。

しかし……脚本家が「朝ドラをぶっ壊す」と宣言して書き上げた伝説的ドラマ『純と愛』の演出に携わっていた人たちが、『ちむどんどん』の制作統括を務めているそうです。
公言はされていないものの、今回の『ちむどんどん』も、「朝ドラをぶっ壊す」という気概を持って制作されているのかもしれません。
そう考えると、いろいろ辻褄が合います。脚本だけでなく演出も大変ひどいからです。

そこで『ちむどんどん』を、「プロが本気で作品を壊そうとしたらこうなる」実例としてとらえ、その手法を分析してみたいと思います。
いわゆる Don'ts(やっちゃいけないこと集)です。

主人公のキャラ設定

主人公は、一般的に見て「いい人」でなければなりません。「いやな人」に対して、視聴者は共感することが難しいからです。
作品中でろくでなし扱いされて、皆に嫌われていても問題ありません。「周囲に誤解されているけれど、本当はいい人である」ことが描写できている限り。

「いい人」の例としては、
(1) 最低限の常識や礼儀をわきまえている
(2) 心優しい。思いやりがある
(3) 他人のために行動できる(利他性)
があると思います。

(1)を満たす主人公は普通に受け入れられやすいです。視聴者もストレスフリーに主人公を追っていくことができます。
(1)はないけれど、(2)や(3)を備えた主人公もアリです。人格破綻型の天才を主人公にしたストーリーはこのタイプです。常識や礼儀を無視する、いわゆる個性派の主人公でも、ほんのちょっとした優しさ(物語が進むにつれて大きくなる)や、他人のため、社会のために動く気持ち(強い正義の信念など)を備えていると、魅力的に見えるでしょう。

さて、『ちむどんどん』の主人公の暢子ですが。

完全に、常識や礼儀のなっていない女性として描かれています。

・高三の頃、就職がだめになって困っているところへ、「雇ってあげてもいいよ」と言ってくれた親切な会社があったのに、その会社の経営者が見ている前で、地元のイベントのステージに立ち「私、東京へ行って料理人になります!」と突然叫ぶ(その会社の経営者にあとで謝りに行く描写などはない)。
・上京。普段着&スリッパ姿で銀座をうろつき、友達に超一流?のレストランへ連れて行ってもらうと、店じゅうに響きわたるような素っ頓狂な大声を上げて騒ぎ立て、周りの人々のひんしゅくを買う。
・超展開でレストランに就職。「料理も何もしないくせにオーナーは偉そうすぎる。みんなそう言っています(そのような描写はない)。私と料理で勝負してください」と、いきなりオーナーに料理勝負を挑む(そして負ける)。
・新入りの分際で自分の思いを主張し、店のメニューの味付けを勝手に変える。
・おさななじみの和彦が、六年つき合った彼女と結婚しようとしていると聞いたとたん、何の脈絡もなくその彼女に「私、和彦くんが好きだけどあきらめる」と宣言する(暢子と和彦の間で感情が高まっていく描写が一切なかったので、唐突感がものすごい)。
・別のおさななじみにプロポーズされて「仕事を優先したい」と断ったのに、その舌の根も乾かないうちに、和彦に自らプロポーズする(交際日数:0日)。
・和彦の母親に結婚を反対されると、母親に自分を認めさせるため、毎朝手作りの弁当を家へ届ける。「いらない」「受け取れない」と断られても強引に押しつける。やめた方がいいと和彦に忠告されるが、「私、何か間違ったことしてる?」と「いい顔」で言い切る。

ざっと挙げただけでもこれぐらいですが。
他にも細かい点で、「普通の人なら、そこでお礼を言うだろ」「そこは謝るところでは?」というところで、絶対にお礼を言わないし謝りもしない。それが積もり重なって、嫌悪感につながっていきます。
また、上京して数年たった設定でも、方言がまったく抜けず、「アサキミヨォッ」とTPOをわきまえず素っ頓狂な声を張り上げ、子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねている有様は、痛々しいものがあります。

これは「脚本家が『天真爛漫な女の子』を描こうとして失敗したのだろう」と世間では噂されていますが。
まじめに描いてこのキャラ設定だとしたら、頭がおかしいとしか言いようがありません。すべて、主人公にヘイトを集めるための脚本・演出でしょう。

常識外れな主人公に対して、周囲がたしなめたり眉をひそめたりする描写があれば、まだインパクトも緩和されるのでしょうが。
この『ちむどんどん』の世界では、暢子は高い評価を受けています。周囲の大人たちは「可愛くてたまらない」といった目で暢子をみつめます。「人柄は百点満点」「キラキラ輝いている」「暢子の良いところは『ありがとう』と『ごめんなさい』がちゃんと言えることだ」などと大絶賛です(この最後のセリフでは、「どこがやねんっ!」とツッコんだ視聴者が日本中に大勢いたことでしょう)。
そういった描写が、さらに絶妙に、主人公への嫌悪感を助長する効果をあげています。まさにプロの仕事。

また、暢子が他人に「思いやり」を示す描写は一切ありません。「優しさ」「気遣い」もありません。
暢子はどこまでも自分が一番、徹底的に自己中心的です。

他人に迷惑をかけておきながら「私たち、幸せになります」と叫びます。
何一つ我慢せず、他人を踏みつけ、押しのけて意思を通しておきながら「私は何もあきらめない。幸せになりたくてドキドキしている」とうたいあげます。
字づらだけは「いいセリフ」なのですが、やっていることが裏腹なので、ホラーじみた薄気味悪さが漂います。

百歩譲って――暢子が常識も礼儀もなく、他人への思いやりがまったくないキャラでも――「料理を通じて人を笑顔にしたい」という強い信念を持っていて、それに従って邁進しているとすれば、ギリギリ共感を得られるかもしれません。
料理以外は完全に人格破綻者、社会不適合者。でも料理にだけは人並み外れた才能を示し、その料理で周りの人々の人生さえも変えていく。
それなら主人公としてはアリだと思います。朝ドラ向きではないかもしれませんが。

それなのに、暢子の料理に対する情熱が、まったくと言っていいほど伝わってこないのです。
このドラマは料理人を主人公とするドラマなのに、料理をちっとも大切にしていないことで有名です。制作陣は、自分たちは料理のことを全然知らないし興味もない、と堂々と公言しています(本当にそうでも口にしちゃだめだろ)。料理監修のプロの意見を無視している、という話も聞きます。
料理人という役柄にしては、暢子を演じる女優さんの手つきはいかにもたどたどしい。調理シーンも適当で、素人でもわかるおかしな点が多い。その上、致命的なことに、不潔に見える。
これもまた、ドラマを壊すための一つの手段なのでしょう。

(素人の小説書きだって、あまり知らない分野の話を書くときは、説得力のある描写ができるよう十分下調べをするのですが……)

脇役の扱い

良いドラマは、脇役にも人生があります。
ほんのちょっとしたしぐさ、描写、セリフから、脇役にもその人なりの人生があり、ドラマの中でちゃんと時間が流れているんだ、と感じられることは視聴者の満足度をぐっと上げてくれます。

言うまでもなく、『ちむどんどん』にはそのような配慮はありません。

脇役はただの「記号」。お話を進めるための「装置」として扱われます。
必要な機能を果たすための、ただの駒なので、性格もブレブレ。最初に設定された性格と相いれない言動をしたり、常識では考えられないようなセリフを吐いたりします。(脚本家が、わざと破綻した話を作らされる苦しさのあまり、酒をひっかけながら書いたんじゃないかと思えるほどです)

私のような素人物書きでも、小説を書くときは、簡単な年表を作ります。誰がどの時期に何をしていたのか決めて、描写に矛盾が生じないようにします。
それなのに『ちむどんどん』の脚本は、そんなことすらやっていないようです。過去の設定がぐらぐらで、計算の合わないところや矛盾が次々出てきています。放映の途中で公式サイトの記述がひっそり修正されるなんて、なかなか前代未聞です。

後先考えず脇役をポンポン投入し、きちんとした設定も描写もないまま使い捨てる。制作者自らドラマを壊しにかかっているとしか思えません。少なくとも、「良い作品を作ろう」としてはいないでしょう。どう考えても。

脇役―—と呼んでいいのか。重要キャラクターである暢子の家族たちは、暢子に負けず劣らずの強烈な人々です。何の落ち度もない人を暴力で傷つけ、詐欺を働き、借りた金を踏み倒すバクチ狂いの兄。いったい何をしたいのかよくわからない、少なくとも教師にはあまり向いているように見えない暴走型の姉。そして子供たちがどんなに間違ったことをしても絶対に叱らず「愛で包み込む」母親。
この家族は、暢子以上に視聴者のヘイトを集めています。良い役者さんたちの無駄遣いです。
こんなにも、共感できない、まともじゃないキャラクターばかり出てくるドラマって……すごい。確かに、朝ドラを壊すことには成功しています。

その他

「『ちむどんどん』における時空のねじれ」問題については多くの視聴者が言及しています。銀座、鶴見、沖縄の間の距離を感じさせない脚本になっているためです。登場人物は数十㎞、数千kmの距離を一瞬で移動します。それこそセットからセットへ移動する感覚で。
(同じようなことは『鎌倉殿』でもときどきあったのですが……ストーリーが面白いと「細かいことには目をつぶろう」となるんですよね)

SNSでは、時代考証のミスについても、よく指摘されています。きちんとドラマを作ろうとはしていない、ということでしょう。

『ちむどんどん』では、登場人物の心情描写がほとんどありません。本当に、出来の悪いコントのように、キャラが舞台で騒ぎ立てているだけです。
ですから、登場人物のすべての行動、物語のすべての展開が「唐突」で「うすっぺらい」ものに映ります。そこへ至るまでの心の動きが描かれていませんので。
登場人物の心の動きを、きちんと描くことが大切なんだな」ということが、『ちむどんどん』を見ていると逆に痛感できます。ドラマとはつまり、人間の心の動きなのでしょう。

ただ――『ちむどんどん』では、ひねりのない安っぽい展開や、後出しの強引なオチ、「なんでそうなった!?」という奇想天外なトンデモ展開も多いので――そこに至るまでの登場人物の心の道筋をきちんと描き出すことは、不可能なのかもしれません。ストーリーが異次元から異次元へワープしているような状態ですので。

最後に

『ちむどんどん』放映中にもかかわらず、NHKが、特に評判の悪い役を演じている俳優さんを『あさイチ』のプレミアムトークに出演させ、素顔を紹介する、という試みをしています(和彦役の俳優さんは体調不良で出られませんでしたが、他の役の人をわざわざ呼んで和彦について語らせていました)。

役の評判が悪すぎて、それを演じている俳優さんにまでダメージが来ているという事実をNHKが察知し、補正にかかっているのでしょう。
俳優さんの素顔を紹介することによって、ドラマ内のキャラクターと俳優さん個人が別物であることを視聴者が認識し、俳優さんへのヘイトがやわらぐ、という効果を実際に上げているようです。

そんなことまでしなくちゃならないなんて……。

「伝統を打破したい」「型を破って、これまでにないものを作りたい」という意欲は良いのですが。
そのために、視聴者に嫌われるキャラを大量に生み出し、ご都合主義満載のでたらめなストーリーを紡ぐというのは、悪手としか言いようがありません。他にいくらでもやりようはあったはずです。





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