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[gururi note] したためる

昔から、手紙を書くのが好きだ。

小さい頃から、話すことよりも書くことの方が性に合っていて、それは大人になった今も変わっていない。悶々と考え込んでしまう時、ぐるぐるとした自分の内を、手帳や紙やノートに思いのまま綴ることが自分の解消法になっている。

そんな自分だから、伝えたいことは、大事なことであればあるほど、伝えたい感情が強ければ強いほど、手紙を書こう、と思ってきた。

手紙を書くことを「手紙をしたためる」とも言うけれど、わたしはその『したためる』という言葉が好きで、なんだかそれは、書き殴った自分の心の内を投げつけるように相手にぶつけるのではなく、ゆっくりと時間をかけて馳せた思いや考えをふわっとそっと布に包んで差し出すような、そんな優しさや柔らかさを含んでいるように感じている。

だから、手紙を書くときはいつも「したためている」のだと、思いながら便箋にペンを走らせるのだ。

とはいえ、手紙というものはとても手間がかかる。

今の時代、考えや思いを伝える手段なんて山のように(文字通り百ほど)あって、しかも、瞬時に、即座に、あっという間に伝えることが可能だ。

電話はもちろん、LINEやSNSを使えば、瞬きする間もなく相手に伝わるし、相手からの返答だって早くて(むしろ返答が来なくても相手がその内容を見たかどうかがわかる"既読"というシステムすらある)、会話を、目の前にいるようにテンポよく進めることが出来る。

便利になったものだなぁ、といつも思う。

それに対して手紙は、そもそも書くのにも時間がかかるし、道具(便箋や封筒、ペンも)が必要だし、切手も要るし、ポストを見つけて投函しなければいけないし、何より届くまでに早くても次の日、場所によっては1週間以上かかることだってあるのだ。

それでもわたしは、そんな手間のかかる手紙が好きで、届けたい思いがあるときにはゆっくりと気持ちを綴り、したためたくなる。

先日、10月30日に、gururiとして初めて外に出たイベントがあった。

リスノ雑貨店さんとOGU Donutsさんとgururiで開催した、"お山の上の雑貨店で景色とドーナッツと珈琲を楽しもう"というとてもとても素敵なイベント。

当日の会場の雰囲気がとてもあたかかくて、来てくださったお客さまが皆さんにこにこ楽しんでいらして、それはそれは、幸福な時間が詰まっていたイベントだった。

そんなイベントを準備している段階で、わたしは何度も、みんな(主催者それぞれ)が手間をかけ思いを配っている場面に胸がぐっとなっていた。

来たいと思ってくれている方々が申し込みしやすいのはどの曜日かどの時間なのかと考えること。申し込みフォームのわかりやすさや使いやすさを考えながら作ること。どんなものを準備したら喜んでくれるかなと考えること。ドーナッツを美味しく味わってもらうにはどんな形がいいかなと試行錯誤すること。どんなふうにテーブルや椅子を配置したら参加してくださった方が楽しめるか悩むこと。参加側も主催側も楽しめるようにとロゴイラストを作ること。みんなにサプライズでアクリルスタンド作ること。イベントが盛り上がるようにとユニフォームを作ること。来てくださる方々の期待に応えたくて夜遅くまで準備をすること。主催側のみんながイベントの合間につまめるようにサンドイッチや果物や飲み物を用意しておくこと。ドーナッツや珈琲を提供しやすいように電気の配線を工夫すること。イベントが滞りなく進むよう当日の細かいサポートをすること。来てくださった方が迷わないように駐車場でご案内すること。無線で連絡し合いながら参加の方々をスムーズにお迎えする準備をすること。出来立てほかほかのドーナッツと珈琲をお渡しできるように時間を計り合いながら準備すること。ひとりひとりに丁寧に説明をすること。そして自分たちも楽しい嬉しいという感謝の気持ちを来てくださった方々にめいっぱい伝えること。

書き出したらキリがないくらいに、そこには、みんなの愛情が気持ちが溢れていて、わたしは今、思い出して泣きそうになった。

わたしも主催側のひとりだから、普通はこっち(主催側)のこういう細かいことなんていちいち書かないのかもしれない。こういうことはお客さまを迎える立場として当たり前と言われることなのかもしれない。

でも、それは決して当たり前のことなんかじゃなく、来てくださった方々への思いはもちろん、主催側のお互いに対する愛情や尊敬や思いも全部含めてこのイベントは成り立っていて、だからこそ、来てくださった方がそれを感じてくださって、あんな幸福な時間が詰まっていたのだと、わたしは思うのだ。

余韻がすごいです、なんて言ってくださるお客さまもいたけれど、わたしも同じように、あの幸福な時間に包まれていた余韻に今もたぷたぷと浸かっている。

そしてたぷたぷ浸かれる余韻がある、ということに、また、胸がぐっとなっている。

ありがとう、が、すごく稚拙な言葉に思えてしまうくらいに、わたしの内で伝えたい思いがじんわりと沸き出しているそんな夜に、思いを馳せながらわたしは便箋に向かう。

届くのが数日かかってもいい。やっぱりわたしは手紙にしたい。

あの人へ、みんなへ、手紙をしたためよう。

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