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人が大人になるのはお酒を飲み始めた時でも煙草を吸い始めた時でもなく

人はいつ大人になるか。
答えは簡単だ。

一人で銀行口座を開設した時である。

事情により、銀行口座が必要になった。
いや、今までも銀行口座はあったのだけれど、それは私が大学に入る前に母と共に銀行に赴いてつくったものであり、私は銀行の窓口で母と銀行員さんが会話をする隣でふむふむとただ聞いている風の顔をしているだけであった。
それが事情によって別口の口座が必要になったのである。


行くしかない。銀行口座の開設に。たった一人で。

当たり前である。
私ももう26歳。いくら中身が高校生ぐらいから変わってないとはいえ、もう立派な大人なのである。
口座開設ぐらいできなくてどうする。
行こうではないか、口座開設に。
そう決心したのが、金曜日の夕方。その日はもう遅く、銀行に行くのは翌週の月曜日だ。
決戦は月曜日である。

そうと決まれば、下調べである。
銀行口座を開設するには何が必要か、インターネットとは便利なもので、「○○銀行 口座開設」と入れるだけで欲しい情報がすぐに手に入る。
求めているサイトを開くと、なるほど、最近はアプリやネット上で口座が開けるらしい。ここにも電子化の波が来ている。

余談だが、私はお金に関して、電子化されているものをイマイチ信用しきれないでいる。
キャッシュレス、電子マネー、電子決済、○○ペイ。巷にはそういった言葉が溢れている。やめてくれ、もうこれ以上いろんなペイを増やさないでくれ。いくら耳を塞いでも時代の流れは止まらない。
しかし、ああいった仕組みは今現在のような社会が維持されることが根底にあった上で成り立っている。
ここは災害大国日本。いつ何があるかわからない。
もし万が一大きな地震や台風がやってきて電気がストップしたり、サーバーがダウンした場合、キャッシュレス世界に生きる者たちは、どうやってお金を払えばいいのだね。
と、思わず嫌な指摘ばかりしてくるタイプの上司顔になってしまう。

やたらとアプリでの口座開設やweb通帳を推してくるサイトを一通り確認する。いくらその気が無くったって銀行に行けば、アプリでの口座開設をいろんな特典と共に勧められるに決まっている。俺は詳しいんだ。

しかし、私の中の選択肢は窓口での開設一択である。
どれだけ進められようと普通に窓口で口座を開設し、通帳だって紙通帳を発行するのだ。

口座開設に必要なものを確認する。
「本人確認書類」と「印鑑」だ。
任せておいてほしい。私はこんな時のために免許を取ったのだ。
財布の中の免許証を見る。免許証の中の私は、どこか不安げな顔をしている。当たり前だ。こいつはまだ自分で銀行口座を開設したことがないのだから。

どうやら窓口に行く場合は予約ができるらしいが、私が行きたい月曜日の予約はすべて埋まっていた。飛び込みで行くしかない。
日曜日の夜、鞄に免許証が入った財布と印鑑を入れる。これ以外に持ち物は必要ないはずだ。
念のためにもう一度ホームページを確認する。この2日間で親の顔より見たサイトである。このホームページは、「よく閲覧するサイト」に表示されること間違いなしだろう。


決戦の月曜日である。
昨日は妙な緊張感からかなかなか寝付けなかった。
しかしそんなことは関係ない。今日、私は銀行口座を開設する。
テーマは「余裕のある大人」である。
その一挙手一投足から「口座をつくるなんて大したことじゃありませんですわよ」といったような余裕を表現しなければならない。
くれぐれも「こいつ無理して口座つくりに来てやんの~!」となめられてはいけない。
そのためには服装も重要だ。いつも着ているような動物があしらわれたTシャツではだめだ。もっとシックな格好がいい。襟のあるストライプのシャツを手に取る。
これに決まりだ。

身なりを整えて銀行へ向かう。
乗ろうと思っていた電車が目の前で行ってしまったが、慌てない。私は余裕のある大人なのである。

銀行に着く。ここからが勝負である。
まず入口に立つ係員さんに、口座開設をしに来た旨を伝える。いくつか確認された上で、先に2組ほど人がいるため、少し待つことになることが伝えられる。
想定済みだ。そのために早く来たのだ。
「大丈夫です。」とにこやかに答える。完璧だ。

番号札をもらい、待合室のソファに座る。ここまではいい流れだ。少しも余裕が崩れていない。私は悠々とスマホをいじる。待ち時間が長くなった時のために、本だって持ってきた。
しばらく待っていると、声をかけられた。見上げるとさっき係員さんとは別の人が何枚か紙を持って話かけてきていた。
案の定アプリでの口座開設の案内である。これも想定済みだ。
次々とそうすることへのメリットを教えてくれる。「なるほど~」なんて言いながら相槌を打つ。話をしているうちになんとなく距離が近くなってきた。

これもまた余談であるが、私はなぜか、母や母より少し上の世代のご婦人からウケがいい。
母と旅行に行った際、観光地にいるボランティアのご婦人に、2・3言、言葉を交わしただけで「こんないい娘さんおらんよ!」とべた褒めされたこともある。
その他にも祖母の付き添いで行った病院の看護師さんや、実習で行った老人ホームの利用者さんなど、何がそうさせるかは全く分からないが、少し上の世代のご婦人になぜかめちゃくちゃ好意的に思われることが多いのである。

銀行で説明をしてくれたのも、母と同世代ぐらいの人だった。頑なに「いや~でもね~」と言う私に、「ウチの娘もそうなんですよ~」となぜか共感してくれた。最後には「いや、その警戒する感じ、下の娘に欲しいぐらい!」とまで言われてしまった。なんてことだ。
結局、アプリを使うことなく口座をつくり、通帳も紙でいきます。と宣言した私に、最後まで丁寧に対応してくれた。ありがとうございます。

そこからまた待ち時間が訪れた。
その人との会話で私はすっかり「余裕のある大人顔」から「娘顔」になってしまっていた。軌道修正をしなくてはならない。
少し居住まいを正して順番を待つ。

しばらくして番号が呼ばれた。いよいよだ。

窓口に座る。緊張する私とは裏腹に窓口のお姉さんはすっかり慣れた手つきで手続きを進めていく。
「本人確認書類のご提示お願いします。」「コピーさせていただきますね。」「記載事項間違いないかご確認ください。」「問題なければサインをお願いします。」「印鑑登録させていただきますね。」
あれよあれよという間に、通帳が発行される。
「また一週間程度でご自宅にキャッシュカード等届きますので、ご確認ください。ありがとうございました。」


終わった。
なんてことだ、もうこれで口座を開設し終えたというのか。
私は余裕のある大人顔をする暇もなく、必要事項を登録し、確認しているだけだった。
それなのにもうこれで口座が開設されただなんて。

しかし何はともあれ任務完了である。私は一人で口座を開いた。私は大人になったのである。
少し背筋を伸ばし出口へ向かう。さっきまでとは見ている世界が違うのだ。


すると、「あ~!ありがとうございました~!」と後ろから声がかかった。さっき丁寧に説明してくれたご婦人である。
「長々と説明失礼しました!また切り替え等何か必要であればご来店くださいね~!」とわざわざ受付ブースの中から出てきて挨拶をしてくれた。
「わかりました~!ありがとうございました~!」と私も元気いっぱいに返す。

外に出る。いけない、また娘顔になってしまっていた。
余裕のある大人は銀行口座をつくり終えた後も緩んだりはしない。私は余裕のある大人顔を整える。
しかし、どんな余裕のある大人であっても、みんな誰かの娘であり、息子なのである。私は大人になって、当たり前の気づきを得た。

電車に乗り込む。思ったより早く終わったため、時間ができた。この後どこかへ行こうか。
ずっと行こうと思っていた「さくらももこ展」が神戸に来ていることを思い出す。少し遠いけど行ってみようか。
電車に乗り込み、ホームページを確認する。最寄り駅を調べ、チケット代を確認する。
会場・会期などの情報がある中に一行、見落とせない文言があった。

【休館日:月曜日】



電車を降り、最寄りのタリーズコーヒーに入る。
こんなことで私の余裕は崩れない。

なぜなら私は今日、自分で銀行口座を開設した。

私は、大人になったのである。


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