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徒然なるままに、冬の憂鬱をここに記す。

春はあけぼの
夏は夜
秋は夕暮れ
冬は鬱

鬱の季節である。
そんな季節があってたまるか、と思うが、どうやら世の中には「冬季うつ」という言葉があるらしい。
何やら日照時間の短さが関係しているらしいが、なるほど、冬は憂鬱である。

私はそもそも冬が嫌いである。
外の寒さを考えるだけで何もしたくないし、冷たい風に吹かれながら外を歩いていると、私は何のためにこんな苦痛を受けているんだ、と勝手にイライラしてしまう。
夏派か冬派かどちらかと言われれば、断然夏派である。
服を着込んで白い息を吐きながらうごうごと歩くよりも、できるだけ身軽な格好で汗だくになる方がいい。

しかし意外と世の中はそうではないらしい。
教員時代、地理の授業中に、夏と冬だとどっちが好きなの?と生徒に聞いたことがある。
すると大多数が「冬派」で「夏派」は少数派なのだった。
納得いかず、なぜなのか聞いてみたら「だって夏は暑いやん!」なんていう身も蓋もないような理由が返ってきた。
「冬も寒いやん!」と反論してみたが、どうやら中学生にとっては、クリスマスやお年玉をもらえるお正月がある冬の方がよっぽど素敵な季節らしい。
「夏休み」なんていう一か月近くの長期休みがあるにも関わらず、彼らは冬がいいというのだから、人の気持ちなんて簡単にはわからないものである。

とにもかくにも私は冬が嫌いである。
冬が訪れる度、冬眠することを本気で願ってやまないのだが、鼻で笑われて終わりである。
こんなに寒いのにせかせかと働いて何になる、人類よ。

だって冬は寒い。それだけで布団から出られないし、外にも出られない。
暖房の入った部屋からトイレまでは体感100kmになる。
これだけで気持ちが落ち込むには十分な条件が揃っている気がする。
冬は憂鬱である。

そんなこんなで、私のメンタルは今絶不調である。
心の奥底に重りを入れられたように、気持ちは沈み、体は重い。
圧倒的な憂鬱に襲われた時、私はまず言い訳を探す。
今が冬であること。生理前であること。寝不足が続いていること。
でも、そんなのでは説明がつかないような何かが自分の中にあって、それは何かと考えるために思考に沈んでいく。
今まではそこで落ち込んで終わっていたことが、こうやって書いて吐き出すことを覚え、思考に意味を持たせてくれるような本に出会い、少しずつ咀嚼できるようになった。
それで楽なったという訳ではないのだけれど、少しの客観視を手に入れることに成功したのである。

憂鬱の理由を並べてみる。
冬である。
仕事に行きたくない。
やりがいはある。しかし、だから何だというのだ。
こんな毎日がこれから何十年も続くのか。
もう一月が終わる。ただ無為に過ごしていただけだ。
毎日毎日考えたくもないようなニュースが舞い込む。
それが起こる現実と自分が生きる現実とは地続きである。
その現実にこれからもさらされ続けなければならない。

もういい。終わりにしてくれ。
今この瞬間にエンドロールを流して、幕を下ろしてくれ。
自分の中にある靄を振り払いながら、どこか他人事のように思う。

こんな気持ちを世の中の人はどうしているのだろう。
自分の中で上手く消化しているのだろうか。
消化しきれずにいながらもそれを抱えながら生きているのだろうか。
それとも、そもそもそんな考えなど浮かばないのだろうか。

私はこの先ずっとこんなことを考え続けるのだろうか。
私はどうなったら心から安心して満足できるのだろうか。

きっと無理なんだろうな。これは私のどうしようもない性質だから。
考え込む自分に振り回され、こんなにも疲弊しているのに、それを止めた私は、きっと私ではなくなる。
苦しい、嫌だ、疲れた、辞めてしまいたい。

だから書こうと思う。
飲み込まれないように。それでも歩き続けられるように。

止まらない思考の中、今日も私は床で眠る。
布団に入れば朝が来てしまうから。朝が来れば始まってしまうから。
明日を遠ざけるための精一杯の抵抗は、浅い眠りによる寝不足と、乾燥による喉の痛みとなって明日の私に遅いかかる。
それがますます憂鬱に拍車をかける。
これも全部冬のせいだ。突き刺すような冬の寒さのせいだ。
きっと春になったらもとに戻る。
もとがどんなだったかなんて、とっくにわからなくなっているけど。

ほんの少しの希望を抱えて、眠気に抗えない体を横たえる。
触れた地面は無機質に私を受け止める。そこから感じる温度は、まだ春は当分先であることを告げている。

夜毎見る夢は、幸せな夢でさえ、もう断片も思い出すことはできない。

「全部空のせい」そう思えたら、ある種の割り切りと、感情や衝動に身を委ねられるようになれたら、この世界はもう少し摑みやすい形になってくれるのだろうか。全てとは言わない、ただ一つの悲しみやただ一つの後悔、ただ一つの感情だけでも、空のせいと言えれば私たちはもう少ししなやかにそれらを内包して生きていくことができるのだろうか。

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』「パリ―05シエル」より


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